真ん中であり続けることはとてもむずかしい・・・
・・・それを最近よく感じる

なにか、出っ張りやへっこみ、極端がある方が、メリハリがあり
自分が何かになりつつあるかのような感覚を得られる

それ程までに私達は絶望することを恐れている
 私達は生まれてきてまず、絶望を味わう
  名前が付けられると言うことは、「何ものかになる」ということだ
   それは自分が宇宙の中の小さなひとつの塵に過ぎないと思い知ることだ

私達の根深いところには生まれて来た事への徹底的な絶望があり
それを決して思い出したくないし、認めたくは無い・・・・
何ものかであり、何ものかになりつつあることに
常に希望を失いたくは無いのだ

松岡修造、その情熱が海外メディアにもバレるwww

OSHO:the secret of secretsより

真ん中にいなさい・・・忙しい人の為の瞑想。

人は、まさに、真ん中にいなければならない。

人々は、あまりにも、行動的になるか、
あるいは、あまりにも、無為になるかの、どちらかだ。

あまりにも、行動的になれば、不安が生まれる・・
一種の焦り、せわしさ、速さ、落ち着きの無さが、生まれる。

あまりにも、無為になれば、
眠りが、一種の無感覚、怠惰が、生まれる。

真ん中にいなさい。

この、真ん中にいる、ということが、
常に、用いられるべき、判断基準だ。

あまり、多く食べてはいけない。
あまりに、飢えてもいけない。

寝すぎては、いけない。
必要より、寝足りなくてもいけない。

いつでも、真ん中にいることを、覚えていなさい。

極端は、よくない。
あらゆる類いの極端は、捨てなければならない。

それは、真ん中にしか、
マインドの、リラックスした状態は、ないからだ。

もし、このようなバランス・・

努力と、無努力の間に、目的と、無目的の間に、
存在と、不在の間に、マインドと、ノーマインドの間に、
行為と、無為の間に、

このようなバランスを、達成できたら・・

その時、あなたは、
ものごとが、流れるのといっしょに、
自分が、流れるのを、許すことが出来る。

あなたは、自分を、手放すことが出来る。