昨日、友人のメールへの返信として、ふと〝精進〟という言葉を使った

「頑張ります」とも違う
  かといって
   だらけるとか怠けるわけでもない

それは単純な「集中」とも「弛緩」とも違う
       「努力」とも「放縦」とも違う

〝精進〟という禅寺の修行なんかで良く使うこの言葉は、まさしく
「弦を緩めるのでもなければむやみに締めすぎるのでもない・・・」

ただただ瞬間瞬間に油断なく、注意深く専念していくこと・・・

重要なのは「為すべき事の種類」でも、その重要性の「大小」でもない

  選択した一つ一つの関わりへのトータリティー(全面性)だ
  選択の中にあって分裂していないこと、選択のミスを悔やまないこと・・・

「ほかの -いつかどこかなにか?- のほうが良かったのじゃないか?」
そう浮き足立っていると、「いまここにあるもの」を全面的に味わうことが出来なくなる

  なんであれ、「それ」が「そう」であるならば「そう」なのだ・・・
        いまここにおいて、他に「どう」しようがあるというのだろう?

中道というのは、
まさしく到達点でも、到達すべき〝境地〟なのでもなく「いまここにあること」そのものだ

だれかに認めてもらう為に従事する行動ではなく
どこまで行っても動かない・・・〝行(ぎょう)〟そのもの、それが〝精進〟だと思う

【神の手】
職人が作った一切のゆがみがない「真球」を細い台の上で転がした結果が凄い!!

自分は移動もしないし、自分は変化もしません。
時計がいくら回転したところで 自分の時間は一秒たりとも進むことはないんです。

 パーソナルパワー (牧野内大史の公式ウェブサイト)
 タオタオ:相補対待という視点。
より