今朝ふと自分は・・・

「人生とは〝疲れる〟ものなのだ・・・」と思い込みすぎているのでは?と自分を疑った

もちろん!!そのとおり!!、人生は〝疲れる〟  ・・・それは別に間違ってはいない
そのことは今までの人生で証明されきっている

しかし、その事実にあまりに囚われ過ぎていなかっただろうか?

どんなものでも「使ったら使っただけ」消耗するものだ
しかし、「汲めども汲めども尽きぬエネルギー」というものもある

「使ったら減る」というのは人間の根源的な恐怖感と結びついている

中東の石油を略奪するために米国がしょっちゅう戦争しているのもそれだ
通貨とは本質的に借金だ・・・  マイナスの借用書・・・  それがお金の本質だ

だから紙幣を私立銀行群であるFRBが、自分勝手に印刷しまくると
インフレーションが発生してしまう・・・

いま、世界は「消耗する事への恐怖」に突き動かされている
そして同時に「消耗する事への快感」にも酔いしれている

・・・この「恐怖感と快感」とのペアーこそが、いま、環境を破壊し
 戦争をしないと数年以内にデフォルトしてしまう日本と世界の経済を追いやってきた

「世界の終わり」と「私の恐怖感」とは見事にリンクしている

「消費するとは枯渇すること」
これを誰が否定出来るだろうか?  これはあまりにもベーシックな物理法則だ

それを人間にも当てはめるなら
「生きるとは疲れることだ」っとなる

はたしてこの物質世界の中に一切の無限性は顕現しないのだろうか?
「肉体を持って生きること、生きていると言うこと」というのは有限性に縛られ続けること?

如何に強固な絶対性を帯びた真実も、
かならずその裏側には正反対の様に見える〝対極の真実〟があるものだ

それが、存在の神秘そのものではないか?

・・・勇気を持って正反対の真実の可能性を仮設してみるべきではないだろうか?

人はひとつの信念に取り憑かれたなら、
必ずそれを肯定するかの様な〝証拠〟が取り巻きはじめるものだ・・・

それはネガティブなものでもポジティブなものでも原則として同じだ
だから「神も仏もない」のではなく「神も仏もある」のだ

そしてまた「神や仏」が原因ではないともいえるし、
にもかかわらず「神や仏」を理由にもしたがるわたしたちの依存心がある

成功法則の教師達は、その根底に在るネガティビティーを転換せよと言っている

わたしたちは「ネガティブな多くの証拠」に取り囲まれて暮らしてきた

  「だから」

わたしたちはつぶやく

  「だから私の考え、観念は正しい・・・」

そしてそれらの「長年蓄積してきた証拠の数々」を指さす
しかし「別の観念」で生きてきた人は「別の証拠の数々」に囲まれて生きている

だから「証拠(過去)」とは、理由にはならないのだ
「理由」は私たちのさび付いた視座にある・・・

その視座が、恐怖でさび付いて柔軟性を失ったところにあるのだろう