乳ガン子宮ガンの共通の人格小林正観メッセージ235


別に自分の〝性別〟だけに限ったことじゃない
これは「自分のいまここ」に与えられたもの全てに言える

人が生まれてきたことによって求めうる野望とは
「自分のいまここ」から「いつかどこか」へ逃避し、「何か」に到達しようとすることだ

  ・・・人間のマインドの活動の大半はその為に忙殺されている

   それゆえに人間は自然界の生物にはあり得ないような巨大な不幸を抱えていて
   そのさらに最大の野望とは「悟ること」だろう

    本当は「悟ること」とは何か?誰もが曖昧なイメージしか持っていないのに
    人はそれを渇望する

    「この肉体へのアイデンティティーはニセモノで
     私はもっといつかどこかの、どこか彼方に自分の本性があるに違いない」

      と言うことだ  そして何か「超越的な体験」を求め続ける


しかし、最大の超越とは
「いつかどこかへの逃避への野心」の超越であり
「いまここへの帰還」こそが、人間が為し得る最大の跳躍~ジャンプだ

  だから、「悟りとは求めて得られるものでは無い」ということになる

     この命題は〝正しく〟もあり、〝間違って〟もいる


  よく、
  瀕死の極限状態を体験した人が「悟りの境地」を体験することがあるというのは
  だれもが聞いたことがある話だと思う

ゴーダマ・シッダルータもまた、6年間の極限的な苦行の果てに悟ったといわれている
それを外野席で眺める私たちは、これらの体験談から
「極限的な苦行体験そのもの」が「悟りをもたらす」という安易な公式を導き出す

・・・この公式を実践したのがオウム真理教だった

   こんな恐ろしい実例を日本人は目撃しているのにもかかわらず
   この思い込みは多くの悟りを求める人々にいまだ強く根付いている

でも実際の原理としては、
「生老病死を超越したい」という「いつかどこか」への強い憧憬の結果としての
強いテンションが瀕死の状態をつくり、その正反対の方向・・・
  ・・・・つまり「いまここ」に投げ返され、空なる洞察が得られたと言うだけだ

  「なんだ、超越すべき生も死も、エゴも、どこにもないじゃないか??」

原理は「輪ゴム鉄砲」と変わらない
ただし、野心というものが「外向きの射出」であるのに対し
唯一の「内向き」であるところが「輪ゴム鉄砲」と大きく異なる

実際にゴーダマが
「いつかどこか、彼方の極限・・・」で得られた洞察とは「いまここがすべて」ということだ

自分の足元に、どれ程祝福がすでにあったのか?
それは弦楽器の弦が「弛みすぎ(放心)ても、張りすぎ(緊張)ても」見えてこない~中道
また、「具体的に何かが理解出来た」ということでもない~空理

誰もが人間の達し得る最大の境地が「動物たちと同じ地点」であるなどと認めたくは無い
だからなぜゴーダマが悟った後、動物たちに語りかけることが出来る様になったのか?
その意味が理解出来ない

・・・きっと悟ったことによって得られた「超能力の一種だろう」というぐらいにしか思わない

人間のような「野心だらけ」の生物種が「いまここ」に完全に着地することなど滅多に無い

  人間はいつも空や海の先に憧れ、
    常にそういう乗り物を発明したり、UFOや宇宙人を探している

     だから、やぼったくみえる「感謝」やら、「自己受容」への重要性が
      現状に甘んじ、安易に「自己肯定」に酔っているようにしか見えない

     だから、「自己否定」して、「その次」に妥協すること無く邁進し、
       精進するべきなのだと教師達はいう

これもまた「正しく」もあり、「間違って」もいる・・・  だから見極めが難しい!

完全に「間違って」いるならば、人は誰もそこに長居はしない ・・・誰でも遅からず判る

ところが半分、「正しく」もある
死の限界の淵には「陰きわまって陽と転ずる」〝生の発見〟が有り得るのだ
だからこの極限まで行って生還してきた人を、私たちは「真実を垣間見てきた人」・・・
あるいは「悟りを得た人」「変容を成し遂げた人」なのではないかと思って敬うのだ

いま、科学や(得にIT)技術の発達は、
人間がいままで人の一生を掛けても得られないような極限的で豊かな体験を
出来る様になってきている・・・  

とくに今年はVR元年とも言われている

時代の加速がいよいよピークに達しつつある実証なのだと思う
これはドラッグの体験にも似て、それは「人生体験の限界的な濃縮化」だ・・・
多くの人を廃人にもするだろうし、また多くの人に「知性の爆発」を引き起こすだろう

〝シンギュラリティー〟とは人工知能に起きる前に、まず人間自身が体験するだろう

 でもそれは、決して「前人未踏の、未曾有の・・・」ことではないのだ

   バーチャルな「臨死体験」を人工的に得られるようになるのを待つまでもなく
       リアルな「いまここへの感謝」とは「生と死のボーダレスな世界」として
                   ・・・・ずっと私たちの目の前にあり続けたのだから