「美」
「エクスタシー」
「フィボナッチ数列~黄金比」
「うずまき」「相似象」・・・・

これらのキーワードとは
つまるところが「シンクロニスティーのメカニズム」だ

「マクロなものからミクロのものまで、すべてはシンクロしている・・・」

だから
唯一なるものの奇跡の成就にあたり、
下なるものは上なるものの如く、
上なるものは下なるものの如し。

エメラルド・タブレット 

「シンクロニスティー」、「量子のもつれ」とは
論理的な「原因と結果の因果律」が
ものごとを一面的に見た時の「説明のしかた」に過ぎない事を示唆している

・・・それはすなわち、「この宇宙の根底とは〝底なし沼〟だ」というのに等しい

世界がシフトしたからと言って、それが「良くなった」とか「悪くなった」と
絶対的に評価すべき基準も根拠も、存在しない
そんな特定の〝根拠〟があったとしても、
そこで「絶対性」を振りかざすのなら、
それを絶対と認めるためのさらなる権威が必要なのだ・・・

  これが〝底なし沼〟だ・・・

   「これこそが万物の絶対性の根だ」と宣言し、指さした対象には
   必ずそれを支える、より偉大な「何か」の支えを必要とするのが宿命だ

これが本質的に「イタチごっこだ」と気が付いた時、
「わたしは未完全な自分を受け入れてしまった・・・、人々と私との違いはそこだけだ」
                    というOSHOの言葉が分かるはずだ