Q:なぜ人びとは ただの人であるのに飽き足らず 
地位や権力への衝動をこれほどまでに抱えているのでしょうか?


OSHO

ひとつには
あなたは一度も受け入れられてこなかった
両親からも先生からも 近所からも 社会からも
   ・・・あるがままでは受け入れられてこなかった

誰もが あなたを改善しようとしていた
あなたをより〝良く〟しようとしていた

あなたに反する絶え間ない条件付けのせいで
あなたの中にアイデアが生み出された

「私はそのままでは十分ではない
 何かが欠けている・・・・
 どこかよそに行かなくてはならない

 ここではなく・・・
 
 ここは私がいるはずのところではない
 どこかもっと高いところ・・・
 もっと
 力があって
 支配力があって
 尊敬されて、有名にならなくては」

これが話の半分だ
それは醜い・・・事実であってはならない 
これは取り去ることができる

もし人びとが もう少し賢くあって

母であること
父であること
教師であることとは何かわかったなら…

あなたは 子供を駄目にするためにいるのではない

子供の自尊心
子供の自己受容

・・・あなたはそれが育つよう 助けなければならない

しかし2番目の部分は途方もなく重要だ
こうしたすべての条件付けが取り去られようとも
あなたが条件付けを外されて
あなたのマインドからすべての概念が取り去られたとしても
それでもあなたは自分は十分ではない と感じるだろう

・・・しかしそれは まったく異なる体験だ

言葉は同じだろうが、その体験は異なる

あなたは十分ではない
なぜなら あなたはそれ以上になれるからだ

それはもはや 有名になるとか
尊敬されるとか権力を得るとか
金持ちになるとかいう問題ではない

それらは まったくあなたの関心ではないだろう
あなたの関心は、あなたの実存は
種に過ぎないということだ

生まれたとき あなたは木として生まれてはいない
あなたはただの種として生まれる

そしてあなたは花を咲かせるところまで育たなくてはならない
そしてその開花が あなたの充足感、成就となる

この開花は
権力とは何の関係もない
金とは何の関係もない
政治とは何の関係もない

それは全くもって あなたに関係がある
それは個々人の過程だ
種は花になるために
遠く旅しなくてはならない
それは長旅だ
この欲求は美しい それは自然から与えられたものだ

しかし社会はこれまでのところとても狡猾で、 
あなたの自然の本能を捻じ曲げ、道をそらし、誤用し
社会にとって便利なものにした

これらふたつの側面があなたに
自分はどこにいても何かが欠けていると感じさせている

あなたは
何かを得なくてはならない
何かを達成しなくてはならない
達成者に、登山家にならなくてはと感じさせる

さあ あなたの知性が必要だ
はっきりさせなくてはならない
何があなたの自然な欲求で
何が社会の条件付けなのか?

社会の条件付けを切り捨てなさい それはすべてゴミだ
自然が 純粋なまま 汚されないまま残るように
そして自然はいつでも ユニークだ
あなたは成長して 花を咲かせて
バラの花を咲かせるかもしれない

他の誰かは成長して
マリーゴールドを咲かせるかもしれない

あなたがバラを咲かせるからといって
優れているわけではない

彼はマリーゴールドだからといって
劣っているわけではない

あなたたちはともに 開花に至った そこが重要だ

そしてその開花が深い充足感を与える
すべての欲求不満
すべての緊張が消えうせる

深い平安が あなたを包み込む
理解をもたらす  ・・・平安だ

しかしまずあなたは
社会の戯言を完全に切り落とさなければならない
さもなければ それはあなたの道をそらし続けるだろう
あなたは豊かにならなければならない 金持ちにではない
豊かさは何か別のものだ

乞食も豊かでありえる
皇帝も貧しくありえる

豊かさとは 実存の質だ