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私自身も若い時にバツが付いている経験者ではあるが
私の両親は「死別離婚」なのだから、 見かけ上は「添い遂げた」とも言える

・・・しかしその実質的な内容としては、「社会的体裁を気にして離婚しなかった」だけだ

  だから結婚が本当の愛情や信頼の絆で継続しているケースとは、
          「一体どれぐらいなんだろう?」と、ふと思った

・・・自分や、自分の周囲の感覚からすれば、本当に〝わずか〟であるように思う
 
しかし、たとえ〝わずか〟であっても、きっとそんなカップルにとっては、
結婚制度とは、そのまま〝愛の絆〟を公認してくれる素晴らしい制度だったのだろう

自分達には子供もいて、また物理的にも共同生活している居住空間があり
また、家族相互には信頼関係がある・・・

そして、土地や建物に明確な法的保護、権利保証があるように
家族関係も戸籍で明記されている・・・・

 ・・・これが生まれてから死ぬまでの血縁や所属を証明する

この文化は特に日本のような古い社会においては重視されてきた
自分の「血のルーツ:歴史」を辿れるということは素晴らしいことだと思う
自分の肉体に流れる血液とは、
長い長い生命の歴史における多くの先祖達の記憶が刻まれているのだ・・・

そう思いをはせると、
ご先祖様についてほとんど知らない、墓参りに行ったこともない私が
結婚が長続きしないのは当然だったような気もする

「袖触れ合うも多生の縁」と言うけれど、それは歳を喰ってきてみると感じる

まるでスポーツやゲームのように異性との交わりを求めていた若い時を
いま振り返っても、「契りを交わす行為」というのはすべて、何か〝不思議な縁〟が
奥深くにあったような気がしてならない・・・

・・・男と女というものは単なる快楽の追求だけで「ああいう」不思議な行為には至らない

でもそれらはすべて「瞬間的な」ものだった・・・むしろ、結婚という形で
社会的継続性の中に押し込めておくこと自体が、もはや無理な気もする

「継続性」というのは、「契約」なのではなく「起きる」事だと思う

  ・・・それは男女関係だけではなく、親子、兄弟のような血縁関係でさえそうだ
   ・・・交友関係ももちろんそうだ

「さあ、お友達になりませう!」と宣言して交友関係は起きることではない
どんな人間関係も、気が付いたら始まっていて、気が付いたら終わっていた

・・・さらに思うのは、人生における全般のことは、人間関係だけでは無く、
  住居にしても、仕事にしても「不思議なご縁」を感じることがよくある

人生には確かに自分の意思で決めたように見えて、実際にはすべてが
「夢のように始まり」「夢のように終わってゆく」・・・そう思い起こしてみれば奇跡の連続だ

すべてが「ぼんやりと流れ去っていかないように」
人々は「区切り」とか、「けじめ」を付けてこようとしてきたのだろう・・・
                ・・・・すべてが忘却の彼方に流されないように

わたしは「忘却しないように」こうやって人にも読んで貰える形のブログを書いているが
でも反面それは「安心して忘却出来るように」書いているような気もする

つまり「記憶の外部化」だ・・・
・・・最近の科学的な実験でも、「記憶は外部化した方が忘れにくい」そうだ

「覚える」ことをハードディスクやクラウド・サーバーに依託することで
「記憶に留める」という緊張から解放される・・・と言うことなのだろう

はたしてどちらの方が、「ボケないで済むか?」(笑)

・・・・痴呆症というのは、究極的に言えば「アイデンティティーの喪失」だ
   究極的には、親子関係でさえ忘れる、自分自身が誰か?さえ、忘れ得るのだ

記憶というのは情報の集積で、
 ある意味では物体では無いが、
  やはり〝物体〟であり、結局は〝重荷〟なのかもしれない

伴侶としての義務、親としての保護義務、扶養義務、 雇用関係における義務・・・

・・・〝友情〟以外の全てには何らかの社会的義務が付随する
   そして、それと同時にその関係における権利、権限も保証される

これらの〝義務と権利〟のすべてが「重荷」となって意識を押しつぶそうとする時
ひとは「ボケる」のじゃないだろうか?

たとえば老夫婦などで、どちらかがどちらかを介護しなければいけない状況の時
ひとは「ボケる」ことすら許されず、ひたすら相手の命を支え続けなければいけない

確かテレビ番組で聞いたのだけれど・・・熟年離婚において、意外にも
    『相手の病気で要介護になって離婚する』というケースは少ないとのことだ

かなりまえに書いたことだけれど「この人の介護を喜んでしたい」という気持ちを
相手にもてるか?どうか?というところで、本当の愛が試されるのかも知れない

それが、野島伸司の脚本のテレビドラマ「この世の果て」のテーマだった

[(048319)12-28-12] 

戸籍制度も、結婚制度も、「利用したい」ひとは今後も利用すれば良いだろう

でも、ひたすら義務で人を縛り合うための制度であれば、いつかは破綻する
      また、自発的にひとが「背負っていきたいもの」があるならば
         制度的な拘束、義務など無くても、ひとは背負っていく

人はみな弱く儚いものだけれど、「背負いたいもの」があるとき、人は強いのだと思う 

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