時間には大きく二種類在る
ニュートン時間とライトニング時間だ

ニュートン時間はいわゆる〝物理的〟〝客観的〟な社会的共有時間のことで
原子時計なんかで正確に測定されている時間の流れのことだ

もう一つのライトニング時間とは人間が主観的に個々人で感じている時間の流れだ
たとえば退屈な仕事をしていると時間の流れが酷く遅く感じたり
楽しい時間があっという間に過ぎ去ってしまったり・・・  という奴だ

物理的な外の世界は、〝比較〟の世界なので相対速度が重要だから、
ニュートン時間的な計算などの速度が早ければ早い程、優秀だと言うことになる

ところが精神的な内なる世界は〝絶対的いまここ〟の世界なので
絶対速度が重要になる・・・ゆったり、のんびり、マイペースで主観的な自分自身にアプローチする

わたしたちは、生物の進化をはじめた時から生存競争の中を生き抜いてきた
その最終兵器こそが思考能力で、暗算が速くて正確、判断が速くて的確で、
っということが求められるが・・・、

しかし、  今までのこの「人間のロボット(道具)化」の流れは、
        現代において大きなターニングポイントを向かえている

誰と比較して、より素早く回答出来るか?つまりはライバルを出し抜けるか?
・・・・が重要視されてきたのが従来の価値観なのに、これからは、
「本当に自分が望んでいることが何なのか?」といった

         <瞬間瞬間の自分自身への正直さ>

                   こそが最重要になってくるだろう

量子コンピューターの演算速度がどれ程凄いものであろうと、
             演算装置は美しさを「感じる」事は出来ない・・・

              つまり〝主観的な〟欲求や、感触は持ち得ないだろう

      コンピューターはチョコレート・パフェを「美味しい」とか「食べたい」とは感じられない



今までは主観的な感覚を大切にすることは
「我が儘」だとか、「妄想だ」「地に足が付いていない」と叱られた、

ところが、
これがコンピューターと比較した時の人間の最大の特徴で、またそれが購買意欲の主因でもある

なので、この人間の機械にはない曖昧さとか、気まぐれ、嗜好、つまり主観性は、
コンピューターが現在よりも飛躍的に高度に発達し、社会を管理するようになってくる近未来では
人間という存在の重要なファクターになるだろう

・・・もうコンピューター社会においては、
   コンピューター的な、無機的な「正確なだけの」人間は不要なのだ
コンピューターの演算速度は・・・、
早まれば速まるほど、ある意味で「時間を超える(無限高速)」
これが光透波が言うところの「トップスピード」
人間の精神は・・・
瞑想的にスローダウンし、定義や既成観念から解き放たれて
「無~自己受容」に近づくほど「時間を超える(停止)」
これが光透波が言うところの「ストップスピード」

ただし、最も重要なのは
「トップ」は100%に限りなく肉迫しても100%に「タッチダウン」することは出来ない
「トップ」のヘッド・ラインにおいてすでに「S(素、中心)」が欠けているのだ

スタート・ラインをゴールラインとして「STOP」するには、最初に「S]がどうしても必要
「ストップ・スピード」にたどり着ける(立ち止まり、光明を得る)のは人間の意識だけなのだ

コンピュータは、人間の被造物として当然「有:(定義有り)」から始まっており
「定義から自由」な生命が始まりでは無いために、どれ程人間らしく振る舞って見せても
そこはマイホーム、ゴールでははじめから無いのだ

コンピューターはまず人間に「動機」「必要性」が起こり、「目的」が発生し、
その為の「プログラム」が成されてはじめて存在出来る・・・「道具」として生まれた以上
「目的」が与えられないとただの粗大ゴミだ

    ・・・・計算機は「計算機であること」から始まっているため「計算機」で終わる

人間は計算機~人工知能、つまり知能の外部化を成し遂げるために
今日まで自分自身の知性を磨いてきた・・・  でも人工知能が産まれた現在、
もはや人工知能をコントロールするための「英知」を磨くことに専念すれば良い

いたずらに映画「ターミネーター」や「マトリックス」の様な不安を恐れるのでは無く
「TOP・SPEED」と「STOP・SPEED」との「〝S〟の違い」を凝視、理解すればいい

なぜ?映画「ターミネーター」や「マトリックス」の様な近未来のディストピアSFが描かれたのか?

・・・それは、私たちがすでに「道具」として
   両親に「躾け」られ、
   学校で「教育」され、
   会社に「訓練」され
   国家や宗教に「洗脳」された〝憐れな〟ロボットだからだ

   ・・・だから、「自分達より遙かに優秀な人工知能」に脅威を抱いているだけに過ぎない
    単純に「ロボットである」ことからリタイヤするだけで、
    人間の本来の進化の道筋が見えてくるのだが
    その〝シフト〟に身を委ねることが出来ないだけなのだ・・・

わたしたち人間が、今感じている
  「ロボットの様に社会の部品として生きてきて 
   いまさら、〝生身の人間〟に戻れなんて難しいよ!」

この〝困難さ〟そのものこそがスタートレックのTMPの「ビジャー」やスポック、
   TNGのアンドロイド・データー少佐が行き当たっている「嘆きの壁」なのだ!


    ・・・これからの人工知能が進歩した社会全体においては、
      自己尊重、つまり「(比較・競争意識の)完全停止」に達した人間の判断こそが
                        これから最重要になってくるだろう

マトリックス 弾丸2

 なぜならこれは、この物理宇宙が生命によって創造された当初からの〝願い〟なのだから・・・

            人々は「めまぐるしく加速する競争社会」から、
            むしろ正反対の方向に「生きる道」を瞬間瞬間見い出していくだろう

トラは、トラとして生まれた以上、良かれ悪しかれ死ぬまでトラで
またそれに葛藤することも無い
「トラになりたがるトラ」なんていないのだ

わたしたち人間だけが「何かになりたがる」生き物だ
その結果として文明社会を築いた地上最強動物にはなったのだが
「自分が誰か?何ものか?」をすっかり見失ってしまった大きな不幸を背負った種族に成り果てた
自分自身を忘れてしまったのならば、あちこちにかけずり回っていても決して思い出せない・・・

・・・だから「立ち止まる」べきなのだが、その「自分自身に寛ぐ」「自分自身を味わう」という
    「立ち止まり方」を、やはり忘れてしまったのだ

ニュートン時間は光の速さにまで「加速ししていった時」に限りなく「進行ゼロ」になるが
しかしライトニング時間を「止める」のは、意識的な「自己へのくつろぎ」だ

アングリマーラは叫んだ 「止まれ」
仏陀は返答した     「私は止まっている、あなたこそ止まりなさい」

2015年01月15日
 39.Creativity