「グラウンディング 丹田」検索結果

植物の根っこは地中に生えている・・・・
そして、人間の根っこは消化器であり、
特にその中でも小腸大腸が水分、養分を吸い上げる要だ
場所的にはそこに相当するのが下腹で、その中核が丹田だ

グラウンディングとは、つまり地球のマグマと私たち一人一人の丹田とのシンクロ(きずな)を
思い出すことだ・・・  それは決して一度も切れたことはない・・・なぜならそれは重力だからだ

腸内造血論が正しければ、
ここで即、分解吸収された養分は人体に適合した
原子転換が成されて幹細胞が生成されているということになる
腸は最も原始的な細胞、分化能力も可逆性も強いと考えられます。
その腸で赤血球ができる(一次造血)とすると、分化能力・可逆性に
富んだあらゆる細胞になり得る素材ができるのは当然といえます。

有機自然農法の基礎知識(腸造血説)より
OSHOは「丹田を意識せよ」というけれど
わたしはどうもこの「意識せよ」というのが苦手だ(珍しくOSHOに異論)

これは「あらゆる事に気付き続けなさい」というバガヴァンの言葉が
実は一種の「逆効果の法則」を狙っており、パラドックス的方便なのではないか?と
先日書いた記事ともリンクしてくるだろう

ものごとは「意識すればするほど」不自然になっていく・・・、なぜなら意識すると言うこと自体が
フォーカス、つまり集中であり、〝力み〟だからだ・・・

そこで「オーゴッド!お手上げです」となった時に一気に脱力する・・・
・・・その最終結果こそが〝期待される効果〟ではないか?というのが私の憶測だ

一般的には丹田を意識した方がパフォーマンスがでると言われているのに、

逆に、何も意識しない方がパフォーマンスがでるのはなぜだろう?と考えていました。

ぼくの結論としては「丹田を意識する方法が間違っていたんじゃないか?」というもの。


丹田を意識するために脱力する | ほげほげブログより


つまり、まず意識ありき、ではなく あくまでも「結果として気が付く(意識する)」ということ・・・

まあこのあたりは堂々巡りの話に成る・・・もし、わたしの憶測が正しいのだとしても
ただストレートに「ネタをバラして・・・」してしまうことが能ではない・・・大切なのは
皆誰もが「騙されたつもりでやってみて」銘々が実感することこそが、メソッドを
「絵に描いた餅」で終わらせない大切なプロセスだからだ・・・

「不自然な努力をしてみる」こともまた、「結果として自然さに放り戻される」大切な過程で、
「嘘も方便」なのだ・・・  「急がば回れ」とも言うではないか?

何事も自分の実感を大切にして、トータル(出し惜しみ無し)でやってみること、
体当たりで実験することだとおもう・・・  そこで他人には言葉では伝わらないものを伝える
「智恵」というものを実感出来る・・・

ただそこで、絶対一言口出ししたいことは、

  「すべてのすべてを鵜呑みにして教条主義に陥らない」ことだ

瞬間瞬間のおのれの実感に、常に耳を澄ませることだ・・・

でないと、「焼き切れて」しまうだろう・・・  「焼き切れるまでトータルにやる」というのもいいが
正し人生で起きることは全て、最後の最後は〝自己責任〟だ

もはや
「羊飼いと羊」の時代は終わり、「マイトレーヤ(カルキ)というのは〝良き友〟のことだ」という
奥義がもはや開かされた後の時代を、わたしたちは今生きていることを何よりも忘れないことだ

バシャールはメッセンジャーに囚われてメッセージを理解出来なくなっている人が多いです」
警告しているが、これこそがかれら外宇宙の〝友人達〟が迂闊にディスクロージャーしてこない
最大の理由であることを、肝に銘じておくべきだ

彼ら善良で善意なメッセンジャー達は、またしても地球人が「家畜の様な羊たち(盲従者)」に
なってしまうことが、一番の害悪であることを地球の今までの歴史から学んだ・・・

彼らはむしろ自分達、「より高度な地球外文明が干渉したことでもたらされた弊害」に対する
代償行為として人類にコンタクトしているが故に、非常に慎重なのだ

  ・・・今人生で起きていることの全ては、一つの巨大なジョークに行き当たったところで終わる
    その大爆笑に辿り着いたところで、「すべての智恵、メソッド、方便の方舟」は役目が終わり
    その「彼岸」こそがOSHOがいうところの「究極の死(輪廻転生からの卒業)」だ

ここで最初のテーマに戻ろう

・・・だからこそ私たちはグラウンディングこそが、最優先課題なのだ!

         それこそがアルファーであり、たぶんオメガでもあるだろう

つまり自分たち自身の人生に根を下ろす・・・「いまここ」この大地に生きていると言うことに・・・

いったん、丹田に波長を合わせたら、
あなたは、勇気をもって生きられる。
生は丹田から始まり、丹田で終わる。

osho
丹田とは、へその真下3寸のところにある、
中枢(センター)をさす日本語だ。
このセンターを意識することは、
大きな助けとなるだろう。
だから、出来るだけ長い時間を、
丹田で過ごすといい。
何もすることのない時、
静かに坐って、内側へと入り、丹田へと・・・
正確に、へそ下3寸のところへと、落ちてゆき、
そこに留まってみなさい。
そうすることで、あなたの全生命力に、
強力な中心が、生まれるだろう。
ただそこを、見つめればいい。
それだけで、それは起動する・・・。
生全体が、
このセンターを中心にして動くのを、
感じるだろう。
生は丹田から始まり、丹田で終わる。
身体内の他のセンターは、どれも、
身体の中心から、隔たったところにあるが、
丹田は、ちょうど真ん中にある。
私達がバランスと、根付きを獲得するのは、
この中心においてだ。
だから、丹田を意識するようになったら、
多くのことが起こり出す。
たとえば、
丹田を覚えていることが、多くなればなるほど、
思考は減る。
エネルギーが、頭に向かわなくなる為、
思考は、ひとりでに減るのだ。
エネルギーが、ハラへと向かう。
ハラを思い出すことが、多くなればなるほど、
また、ハラへの集中が増せば増すほど、
あなたは、自分の中に、ある種の規律が、
生まれて来つつあるのに、気づくようになるだろう。
それは、自然に生まれるものであり、
むりやり、創り出そうとする必要はない。
丹田・センターを意識すればするほど、
あなたからは、生と死に対する恐怖が減っていくだろう。
それは生と死をつかさどる、センターだからだ。
人々は、その両方を恐れている。
死を恐れるというのは、あからさまだが、
人々は、生も恐れている。
これは、あからさまなことではないが、
それでもこれは、死への恐怖と同じくらい真実だ。
そしてそこには、自然な論理のつながりがある。
死を恐れているならば、生も恐れずにいられるだろうか?
死をもたらすのは、生なのだから。
死は、ひとりでにやってくるのではない。
生きることによって、やって来るのだ。
だから、あなたが死を恐れているならば、
当然、あなたは生も恐れている。
自分では、それを意識していないかもしれないが、
あなたは、生を恐れずにはいられない。
生はゆっくりと、死へと向かいつつあるのだから。
死は、生が最終的にもたらすものであり、
誕生は、死の始まりだ。
両者は、このように互いに結びつき合い、絡みあっている為、
その片方を恐れるならば、残りの片方も恐れることになる。
人々は、死を恐れ、生を恐れて暮らしている。
ということは、人々は全く生きていないということだ。
いったん、丹田に波長を合わせたら、
あなたは、勇気をもって生きられる。
勇気は、丹田に波長を合わせることから生まれるのだ。
思い悩むことは減り、沈黙が増し、
取り乱すことも、少なくなる。
自然な規律と勇気が生まれ、
しっかりと根を降ろし、大地と結びついて、
生きていられるようになる。