今朝見た夢

わたしには妻が居て赤ん坊がいた
しかし赤ん坊の口の周りには何か砂のような物がこびりつき
呼吸困難を起こしていた

・・・息子か?娘かは?は判らなかった
  でもとにかく
  その赤ん坊は苦しんでいた・・・ 呼吸に必死だった・・・


   突如その口の周りの砂のような物(※夢見ている最中は
   ハッキリとその物質の正体は解っていたのだけれど) が消えて
   赤ん坊は楽に呼吸出来るようになった

私と一緒に赤ん坊を心配していた妻は驚喜して喜んだ

  「ああ、これでこの子は自力で呼吸出来る!」

       もちろん、夢の中でわたし自身もホッと安堵し、そして目が醒めた


この「自力で」という夢の中の架空の妻の言葉には何か特別なメッセージを感じた
私はこの夢で、ヴィパサナという極めて内照的な瞑想を「自分の赤ん坊」という
分身を通して外側から見るというヴァーチャル体験をしたのだ

それは今朝フェイスブックのタイムラインで流れていた以下のOSHOのメッセージと
シンクロしているのではないかと思う

人間のエゴは種子に他ならない。
それはあくまでも自分を守ろうとする。


人々は私に尋ねる。

「エゴが神に対して
 これほどの障壁となるなら、
 そもそもエゴは
 どうして存在するのですか?」

それはあなたを守るために存在している。
ちょうど固い殻が
種子の潜在力を守るために存在しているように。

その潜在力はひじょうに柔らかい。
まわりに固い殻がなければ
壊されてしまうかもしれない。
固い殻は敵ではない。


固い殻が敵になるのは、
春が来て、
土壌が用意されているのに、
種子が死ぬことを拒むときだけだ。
固い殻が


「さあ、春を敵にまわしても、
 おまえを守り続けるぞ。
 この土から君を守ってやるぞ」


と言えば、問題が生じてくる。

      ・・・問題が生じるのはそこだ。


エゴそのものが問題なのではない。

子供には自我が要る。
さもなければ
子供はまったく無防備のままにさらされる。


子供はこの闘争の世界を
どう生き延びてゆけばいいのかわからない。
子供はたび重なる危険から身を守る術を知らない。


子供はひじょうに柔らかく、もろい。
覚者(ブッダ)になる前に死んでしまうだろう。


自我が彼を助ける。
自我は一種の鎧であり、マインドもそうだ


   それは子供を守っている。



〝赤ん坊〟への愛情・・・  それは「自分の分身に対するエゴイスティックな愛」だ
この「赤ん坊」と「愛」とは「逆も又真なり」ということで、倒置可能かも知れない

つまり  「愛とは、他者を自分の分身(赤ん坊)と見なし、
        自分と同じ〝呼吸する存在〟と感じること」  という風に・・・

「愛とは〝開花した自己愛(=エゴ)〟のことである」 という言い方も可能かも知れない

だから前記事で書いたように
〝愛〟という言葉を、高邁な、神聖な、何か、だと考えて
              理想の神棚に飾り付けることには、わたしは反対だ

   その瞬間からわたしたちは〝愛〟を
       聖職者達の専門分野として手放し、「いつかどこか」 に追いやってしまう

  〝愛〟は私たちに永遠の安らぎを絶対的に保証しているのではなく
        日々刻々の営みの中で、呼吸と寄り添って〝在る〟ものだと思う
                    それは最も身近な〝日常必需品〟だとおもう

   その場合にのみ〝愛〟は、無条件で、無償でいられるのではないだろうか?
     だからこそエゴが有ろうが無かろうが、誰もが料金を気にせず呼吸出来る

もしエゴが、エゴのまま終わり、固い殻の種子のまま死んでしまうなら
その中の宇宙も死んでしまう、「単なる〝可能性〟であった」だけで終わる

そして呼吸こそが「エゴというブッダの種子」を片時も離れずに見守る乳母なのかも知れない

私たちは「自分は光の天使」だの「あいつ等は悪魔」だのとレッテル貼りに勤しんで
せっせとエゴ退治に従事して来たが、それゆえに私たちの中のブッダは開花することがなかった
・・・のだとしたら?


呼吸・・・ヴィパサナとは、もっとも「自分は〝在る〟」という強い自覚を促す
   ・・・呼吸が思いのままに出来ない時の地獄の苦しみは、誰でも即座に体験出来る

でもそれと同時に、呼吸ほど無自覚に出来るものも無い
私たちが日常で呼吸を意識するのは、呼吸が困難な場合のみだ

     「わたしは在る」 と 「わたしは無い」 との自覚をシームレスに往復しているのが
     〝呼吸〟という不可思議な営みだ


私たちの年収がいくらか?という前に、
 私たちが男か?女か?である前に

 私たちの人生の価値とは?意味とは?
  私たちの人生の目的は?理想は?と考える前に
   私たちの人生とは、SOMETHING=何か?である前に、・・・・

     ・・・・私たちの人生とは、ただシンプルに  (無言)  ・・・〝呼吸〟なのだ