宮井陸郎 シャンタン
29分前 ·

私は、全世界が女性的資質でいっぱいになって欲しいと思う。

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osho

宗教体験に関する限り、男性は女性ほど恵まれた位置にはいない。

だが、男性にはひとつの資質がある。
それは戦士の資質だ。

いったん挑戦を受けて立つと、
彼はどんな資質でも成長させることが出来る。

女性的な資質でさえ、彼はどんな女性よりもよりよく育てることが出来る。
男性の闘いの精神がバランスを取る。

女性は生まれながらにして、様々な資質を持っている。
男性は、それを呼び起こす必要がある、課題を与える必要がある。

それらの資質は、男性には元から与えられてはいない・・
男性は、それを稼ぎ取らなければならない。

そして、もし男性と女性が共にそれらの資質を生きることが出来たら、
私達がこの世を天国に変容出来る日は遠くない。

またフリードリッヒ・ニーチェを思い出した。

彼は、イエス・キリストやゴータマ・ブッダ・・
こういう人達は真の男性ではない、なぜなら、
彼らの資質は女性的なものだからだ、と言った。

他に誰もこんなことを言った者はいない。
信奉者達の中にも、敵対者達の中にもいなかった。
だがニーチェは、確かに全く新しい洞察を発見するコツを掴んでいる。
彼はイエスに反対し、ゴータマ・ブッダに反対している。
なぜなら、人々が彼らに従うなら、誰もが女性的になるからだ、と。
ニーチェは男性の資質を愛している・・特に戦士の資質をだ。

私は女性の資質を支持する。
男性的資質を支持するニーチェの強調ゆえに、
アドルフ・ヒトラーは生まれた。

アドルフ・ヒトラー、ゲッベルス、そして彼を取り巻く犯罪者達の群れは
全て、知性に関する限りフリードリッヒ・ニーチェと比べれば小人だ。
彼らはニーチェを完全に誤解した。
彼らはファシズムを、殺人を、無実の人々を侵略すること、
罪のない人々を殺害することを支持している部分だけを取り出した。
この点で、私はニーチェに反対する。

私は男性を愛している。
私は男性の洞察を愛する。
だが、だからと言ってニーチェに賛成するということではない。
私はニーチェには同意しない。

私は、全世界が女性的資質でいっぱいになって欲しいと思う。

 そうなって初めて、戦争は消え去ることが出来る。
 そうなって初めて、結婚は消え去ることが出来る。
 そうなって初めて、国家は消え去ることが出来る。
 そうなって初めて、私達はひとつの世界を、愛に満ち、
            平和に満ち、静かな美しい世界を持つことが出来る。

だから、
男性があなたに与えた全ての条件づけを捨てなさい。
あなた自身の資質を発見して、それを開発しなさい。
あなた方は、男性を模倣する為にいるのではない。

私が、
男性は女性的資質を育てなければならないと言う時、
男性が女性を模倣しなければならないという意味ではない。

あらゆる人は、男性であろうと女性であろうと、
父親と母親から生まれる。
彼の実存の
半分は男性から与えられており、
半分は女性から捧げられている。
だから誰もが両方だ。

もしあなたが男性なら、
男性が最上部にあり、その下に隠れているのが
全ての女性的資質、あなたの母親から受け継いだ資質だ。

もしあなたが女性なら、
あなたの女性的資質が最上部にあり、
あなたの男性的資質はその下になっている。
それが、あなたが父親から受け継いでいるものだ。

そして、自分の中でどんな葛藤も起こす必要はない。
なぜなら、あなたは
同時に男性でもあり、女性でもあるからだ。


私の仕事の全ては、
葛藤を生み出すことではなく、
あなたにその道を示すこと、

   どうすれば、
あなたの資質全てのオーケストラを創れるかを指し示すことだ。


2015年11月25日


つまり、命無き鉱物界に対し、生物とは男性的だ、

鉱物とは
「生き延びたい」と欲する生命体の〝体〟・・・ボディーを構成しながらも、
                      自らはそういった意思は持たない・・・・

    ・・・少なくとも私たち生物には「鉱物が自らの意思を持っている」様には見えない

しかしその鉱物界でさえ、空間という存在母体からみれば、
             強い〝有る〟というスタンスを維持している

マハムドラー(存在)の詩は、こうはじまる
Mahamudra is beyond all words and symbols,

マハムドラーはすべての言葉とシンボルを 越えている」

but for you, Naropa, earnest and loyal
must this be said;

しかし真剣で忠実な ナロパ
あなたのためにこれを言わなければならない

The void needs no reliance,
Mahamudra rests on nought.

空は頼るものを必要としない
マハムドラーは支えも要らない

Without making an effort,
but remaining loose and natural,
one can break the yoke . thus gaining liberation.

努力することなく
しかしゆったりと自然に留まり
人は束縛を打ち破り それゆえ解放される


            つまり、空間こそが、全ての、すべての、すべての・・・
                   ・・・根本的な存在基底であり、存在母体だ

すべての存在事物の「ふるさと」とは?、「母、子宮」とは?
・・・それは〝真空〟であり、
   真空とは、物理的なものが空気すら〝なにもない存在しない〟ということだ



「まずはじめに言葉ありき・・・・」
・・・そんな馬鹿なことはあり得ない 「始めも終わりも無い」

「いまここ」を分離意識で見れば「原因と結果」「過去と未来」という時間軸が見えるだけだ
〝設計者(アーキテクト)〟の意識でこの世界を見れば
時間とは未来から過去へと逆流して見える

たとえば、「この土地にビルを建てる」という意図があるからこそ
そこで設計図が引かれ、土地が買収され、土木工事がはじまる

もし、歴史そのものに巨大な〝意図〟があるならば?
もし、人類という種族そのものに巨大な〝集合意識〟があるならば?

そういったものがあり、そういったものがアジェンダ=予定を孕んでいたなら?

過去の様々な〝流れ〟は未来から〝やってきた〟のかもしれない
    何が原因で、何が結果なのか?
    何をもって〝過去〟と呼び、何をもってして〝未来〟と呼ぶべきなのだろう?

しかしあえて〝はじめ(始原)〟を問うならば、それは
間違いなく〝静寂と静止〟である

・・・そこから、あらゆる〝動き=エネルギー〟が起こり、存在〝する〟が始まる

あらゆる男性原理は、女性原理から生まれた・・・・

   〝空間〟から〝エネルギー〟が・・・
    〝無〟から〝有〟が、
     〝鉱物〟から〝生物〟が
       〝単細胞〟から〝複細胞〟が・・・(単純から複雑へ)
         〝植物〟から〝動物〟へ
           静かな〝海〟から生存競争の厳しい〝陸〟へ
            〝冷血動物〟から〝温血動物〟〝哺乳類〟へ

          そして〝猿〟から〝人間〟へ
               〝人間(LONLYの群れ)〟から〝人(ALONE)〟へ
                 そして〝ひと〟は〝無の人=ブッダ〟へ

そしてこの宇宙は
人間の動物的アイデンティティーが消滅した
〝涅槃=ニルヴァーナ〟というかたちで終わる

つまりそれがOSHOが上記で語っている人間の植物的(母性的)進化のことだと思う

でも、女性原理というのも正確には男性原理よりも〝前〟からあるわけではない
親は子を産むことによって初めて〝親〟になる、・・・そういう意味では
たとえ見た目には、「親が先で子はあとから現れた」様に見えても真実はそうではない
親と子、母と息子、女と男、過去と未来、観測対象と観測者とは同時に生まれたのだ

    ・・・・・・・・・・・ではその前に在るのは何か?

            すべてのすべての、すべての〝始原〟とは何か?

            それはすでに述べたように、姿としては〝空間〟であるが
             その本質とは〝中立性(ニュートラリティー)〟だ

    しかし、あらゆる中立性とは、〝視点〟(観測者の存在)によって
         女性原理と男性原理とに分離して見えるようになる

    〝観念〟〝観点〟〝概念(コンセプト)〟を体系的に知的に理解しようとする生物
   つまり私たち人類こそ、空間の発見者、宇宙の観測者なのだ

   地球上での生物の進化過程、私たちはずっと、当然この空間で暮らしてきた、
   にもかかわらず、「空間とは何か?」問いかけるのに、今日まで掛かってしまったのだ
   ・・・それまではあまりにも身近過ぎてしまって、〝発見〟出来なかった、〝疑問〟に思えなかった

   「これはなんだ?」

   と空間を指さした時、私たちは初めて「空間をディスカバーした」のだ

   しかし、ディスカバーしただけでは、まだその発見の本質を理解したとは言えない
   そこからはじめて
    〝分離意識〟が芽生えただけで、
        〝分離意識〟がなければ〝発見〟は不可能だった・・・・

     〝空間〟と〝人間〟は、そこではじめて出会った
       互いに〝はじめまして〟として挨拶した・・・・

           この時から私たちと〝空間〟とのハネムーンが始まったのだ


そしてやがて量子力学者は叫んだ・・・「観測者と観測対象とには分離が無い!」
物理学者達は存在事物の究極的な姿を探索して、物質を素粒子レベルまで切り刻み
遂には空間と私たちの意識とは分離不能だったと気が付き始めたのだ

「空間という〝母〟」と「人間の意識という〝息子〟」との再会が起きつつある
「母を訪ねて三千里」の長い長いドラマが完結しつつある・・・・・

「ふるさとは、とおきにありておもうもの」・・・・・
「分離意識」があってはじめて「帰郷へのドラマ」は成立する

   遠い遠い  「絶対的な静寂と静止」  を、
     人々は       「沈黙と無為」  によっていまここに体現しようとしている

そして、〝点〟は〝天〟へと、・・・・
・・・・〝自覚性〟というビッグな手土産を持って里帰りするのだろう・・・

私たちは本来、究極的には
「母と子」でも、「男と女」ですらもなく、はじめからずっと〝一心同体〟なのだから・・・・