宮井陸郎 シャンタン

他人がそこにいると、あなたは緊張する。恋人といても、安心できない。

osho

私たちのマインド、私たちの文化は、

ことごとく攻撃、競争、闘争を基盤としている。

私たちはまだ協調の秘訣を身につけるほどには成熟していない。

世界は闘争状態あるのではなく、協調して存在している・・

他人、隣人はたんなる競争相手ではなく、

私をいっそう豊かにしてくれる相補的な存在だ。

他人がいなければ、私はそれだけ貧しくなる。

この世界から一人でも消えれば、私はそれだけ貧しくなる。

彼によって生み出された豊かさ、

彼によって周囲に持ち込まれた豊かさは、もはや存在しない。

どこかで何かが空虚になっている。

私たちは争いながら生きているのではなく、共存している。

だが、マインド、集合的無意識は、いつも闘争という観点でものを考える。

誰かがそこにいるということは、常に敵がそこにいるということだ。

敵が基本的な前提だ。

友情を育むことはできるが、それはあくまで

育まれるものであり、他者は敵だという基本的な前提がある。

友情を元からある感情につけ足すことはできるが、

その根底に敵意が、他人は敵だという大前提があるために、

あなたは決してくつろぐことができない。

自分の友情をどうしても当てにできないのはそのためだ。

友情の根底には敵意があるからだ。

あなたは偽りの友情を育ててきただけだ。

あなたはあるものを作為的につけ加えた。

だが、どこか心の底では敵がそこにいることを、

他人は敵だということを片時も忘れない。

だから、友達といても、安心できない。

恋人といても、安心できない。

他人がそこにいると、あなたは緊張する。

敵がそこにいるからだ。

もちろん、見せかけの友情をつくり上げれば、緊張は減る。

減りはするが、それはそこにある。

こういう姿勢が発達したのには理由がある。

進化上の理由がある。

人間はジャングルから現れた。

人間の進化は多くの段階、様々な動物の段階を経てきた。

肉体は知っている。

というのも、肉体は人間の所有物ではないからだ。

「私」の肉体と言うとき、

私は自分の持ち物とは言えないものを自分のものだと主張している。

肉体は、長い時代にわたる発達を通して私のものになった。

私の基本的な細胞は受け継がれてきたものだ。

基本的な細胞のなかに、私はかつて存在した一切のものを受け継いでいる。

あらゆる動物、あらゆる樹々・・

かつて存在した一切のものが私の基本的な細胞に寄与している。

私の基本的な細胞のなかには、

かつての闘争、苦闘、暴力、攻撃の体験がそっくり蓄積されている。

細胞のひとつひとつがかつての進化の苦闘を余さず伝えている。

これは肉体面だけでなく、精神面でもそうだ。

あなたのマインドは今世で進化しただけではない。

それは長い旅を経てあなたのものとなった。

おそらくその旅は肉体自体の旅よりもまだ長い。

なぜなら、肉体はこの地球で進化してきたものであり、

40億年以上を経ていることはありえないからだ。

それが地球そのものよりも歳を経ていることはありえない。

だが、最初のマインドは別の惑星からきた。

それゆえに、マインドは肉体よりもずっと進化の経験を積んでいる。

そして、こういった経験のすべてがあなたを暴力的に、攻撃的にさせる。

あなたはこの現象全体に醒めていなければならない。

醒めていない限り、人は自らの過去から自由になることができない。

そもそも問題は、自らの過去から自由にならねばならないのに、

この過去が絶大で、とらえどころがないという点にある。

かつて生を受けた一切のものが今もあなたの内にある。

かつて存在したすべてのものが今もあなたの内に種子の形で胚胎している。

あなたは過去からやってきた。

あなたは過去だ。

そして、この過去に方向づけられたマインドが

攻撃性を引き起こしつづけ、攻撃という観点でものを考えつづける。

だから、宗教が受容的であれと語っても、その助言は聞き入れられない。

マインドはどうすれば受容的になれるのか考えることができない。

マインドは自らが受容的になった体験をひとつしか知らない。

それは死だ。

マインドは死のなかでは為すすべがなく、手も足も出なかった。

マインドが知っている受容的にならざるをえなかった唯一の体験は死だ。

だから、誰かが受容的になりなさいと言うと、

あなたはどこかで死の影を感じる。

私が受容的になりなさいと言うと、

マインドは「おまえは死んでしまうぞ。

生存したければ、生き残りたければ、攻撃的になれ!

適者生存だ。

もっとも攻撃的な者が生き残る。

ただ受容的でいたら、死んでしまうぞ」と言う。

このために、受容性は決して理解されることがない・・

聞き入れられず、理解されない。

受容性は様々な形で語られてきた。

誰かが「明け渡しなさい!」と言ったら、

それは受容的であれということだ。

明け渡しとは、攻撃的になってはいけないという意味だ。

誰かが「忠実でありなさい!」と言ったら、

それは受容的でありなさいという意味だ。

論理を使って攻撃的になってはいけない。

存在をあるがままに受け容れ、それを招き入れなさい。