「自分が必要とされなくなったらどうしよう?」っという
恐怖感は男性にも根強い・・・

女性にとっては〝愛を独占すること〟(結婚)
男性にとっては〝社会的に認められること〟(仕事)

だから男も女も「無為の中に留まる」というのは
「死ぬほど怖くて辛い」ということになる

OSHOブログ「女性の条件付け」

「仏陀か・女性に弟子になることを許さなかったのも、
同し・理由によるものた・。」

「女性は商品として扱われてきた。
そして女性もそれを支えていた。」

「女性は自分か・必要とされることを求めていて、
もしも自分か・必要とされなくなったら、
別の女性か・自分のかわりに使われることになり、
自分は役立たす・になってしまうと考える。」

「必要とされることを求めるというのは、
あまりに大きく、あまりに根深い条件づけた・から、
独力て・それに気つ・くのは不可能た・・・・。」
なぜ女性がキチガイじみた化粧をしたり髪を染めたり
〝女子力アップ〟に日夜勤しむのか?
ダイエットに狂って過食症や拒食症で命を落とすのか?・・・・

アンチエイジングやブランド品に分不相応な大金をつぎ込み
経済破綻していくのか?

単純に「美しいものが好き」「カワイイものが好き」だけ
だからなのか?

なぜ妻は夫の浮気を見つけた時、相手の女を
「泥棒ネコ」と罵り、探偵まで雇うのか?

その答えはきっとここにある


そもそも一夫一妻制は男性の為の制度なのだろうか?
女性が一夫多妻や多夫一妻制について強い嫌悪感を
露わにするのはなぜだろうか?

一夫一妻制に息苦しい思いをしているのは、夫と言うより
むしろ妻なのではないだろうか?

「泥棒ネコ」と「家猫」との陣取り合戦はいつ終わるのだろう?

私も自分自身の結婚式を含め、いくつかの結婚式を体験してきたが
社会的な帰属意識に嫌悪を感じるアスペの私にとって
両家の親族、縁故、友人、知人がぞろぞろ集まり
彼らを立会人にして、たかだか数十年しか生きない私達が
神の前で永遠の愛を誓う・・・・

これが時代錯誤でバカバカしいと感じるのは私だけなのだろうか?


いわゆる「おしどり夫婦」が自然に成立して、夫が死ぬまで
妻だけを愛でる、妻も夫以外は眼中にないというのは
とても微笑ましい光景ではあるとわたしも思う・・・・

しかし、〝自然〟界では、シンプルなひとつがいだけではなく
ライオンやさるのような、オスが中心の複数の家族もあれば
昆虫のような女王蜂や女王アリを中心とした群れもある

人間の世界でも
イスラムでは戦争で夫を失った寡婦の生活救済の為に
亡くなった夫の兄弟がその未亡人を娶るという一夫多妻がある

・・・私にはむしろその方がヒューマニティーがあるように思える

〝貞淑な妻〟を女の鏡とみなしてきた社会意識は、男子の血統を
重んじてきた日本において最も根強い気がするが、男と女が
一対一で独占し合うことが、それほど美しいものなのだろうか?

性的な潔癖性へのこだわりは、個人差はあるが確かに現代の
男性にも女性にもまだまだ強い・・・・

・・・さまざまな男性との情交を求める女性は〝ビッチ〟だと罵られる

しかし、その反面40代、50代でもまだまだ若くて美しい女性が
街を往来していて、今さら彼女たちの「非処女率」を気にする人も
いないのではないだろう

そんなことを追求するのはネット上の童貞軍団ぐらいだろう

女性達もいろいろな男性との恋の経験で、心理的にも深みがまし
人間性にも、その愛情の質も、深みとセンスの多様性も、過去とは
比較にならない

そもそもなんでアラサー、アラフォー、アファフィフの女性達が
これ程までに若く美しく、可愛らしいのかと言えば、化粧技術や
アンチエイジング医療の向上というよりは、彼女たちの
内面のコンシャスが向上しているからではないだろうか?


外面の医療技術はあくまでもその追随に過ぎないのじゃないだろうか?

つまりは女性の生き方の「多様化」「個性化」が進んだことがことこそが
最大のアンチエイジングなのじゃないのかとわたしは思っている

この、「多様化」「個性化」に関しては恋愛のかたち、結婚のかたちの
「多様化」「個性化」も例外ではないと思う


アメリカの大学での意識調査では、
「現代の小学生が成人する頃には(IT化の波を中心として)
今ある職業の80%が消えて無くなり、別の新しく生まれる職種に
替わっているだろう」っという結果があった

愛情や結婚制度が、もう実質内情的にはどんどん変化していると同時に
職業に関しても、私達の慣れ親しんできた職業というのは
どんどんと思い出へと押し流されていくだろうと思う

こんな中で、登校拒否、ニート、ヒキコモリの若者を、単なる怠け者と
一喝出来るだろうか?

ひょっとしたら彼らは次の時代の到来を息を潜めて待っている
サナギたちなのではないだろうか?

生物としての最大の衝動は「生き延びなければいけない」という
サバイバル意識だろう

kiseizyuu-01-237

私の様なアスペや、登校拒否、ニート、ヒキコモリ、・・・・
昔であるならば、無頼漢、一匹狼、渡世人・・・・

こういう〝はみ出し野郎〟たちは「集団VS集団」の戦争をあまり体験しない
自分ひとりの為の生存競争がほとんどだ

集団同士の闘いには、団結の為の戦意昂揚やらもっともらしい大義が必要だ
しかしどこにも帰属意識が無く、集団の大義とも無関係に生きる者にとっては
若いうちは「生き残ること」に夢中であっても、だんだん「生き残ること」と
「生きる」こととにギャップを感じ始める・・・・

〝勝った〟ものだけが、その日の穏やかな夕暮れを見つめることが出来る

しかしこの穏やかな夕暮れの瞬間瞬間には、一体どんな意味があるのだろうか?
「生き延びる」為に無我夢中で闘っていた時と、
「生きている」事を噛みしめている、この一瞬一瞬とには違いがある  それは何か?

これにはどんな意味があるのか?
そこそこアルバイトをしているだけでも何とか生きられる今の時代では
この問いは、
とても多くの人にとっての日常的でありながら実に切迫したものだと思う

結婚制度の一部として
「誰かの夫、誰かの妻、誰かの親、誰かの子供」でもない・・・・
社会集団のメンバーとしての所属とも階級とも無関係な・・・    「わたし」とはだれか?

あらゆる社会的義務とも、権利とも、必要性とも、
誰との比較とも、嫉妬とも無関係になった時

     その時、「私は何でありえるのか?」

       誰も、  誰も、  誰も、  答えてはくれない・・・・

例えこの宇宙の最高権威者である
         〝神〟が
〝わたし〟の正体と目的を告げたとしても・・・

    なるほど、威厳のある白いヒゲの老人が魔法のように私の前に現れて
    私の正体を語るなら、そのSFスペクタクルな特殊効果の様な光景は
    私をワクワクさせ、畏敬の念を抱かせてはくれるだろう

でも、その神を「神たらしめている」のは?            一体誰?
神を神と認定するだけのサニワ、「神以上の権威者」とは?   一体誰?

  そう問うた時あなたは、宗教の信者たちこそが
  何千年もの間、最も謙虚な顔をした、最も傲慢な連中だと気がつく
   そうしてあなたはあらゆる宗教の門から厄介払いされてしまうだろう

          ・・・ ここに生物進化としての究極の問いがあるように思う

   私達は、存在の意味をここまで問い詰めた時、奈落の底に墜ちていく
    その時、
     あなたを支えるもの、あなたの存在価値を認定してくれる者
     あなたに最もらしい、誇らしく気高い称号を与えてくれる任命者は
      どこにもいないことを見つけるだろう