〝南〟とは何か?

南国、南風、まぶしい日差し...パラダイス....

瞳に焼き付く、色鮮やかな世界....


   ・・・これが〝みなみ〟の意味するところだ

     .....そしてこれらすべては〝無底(底なし沼)〟である。


つまりこれが「ナ~ム」=帰依します=サニヤスの意味だ

〝無底〟だからといって、
でもそれらを全部捨ててしまえ、そこから逃避してヒマラヤにいけ
っと言うことではない。   単に〝無底である〟と知れば良いだけだ。

無底のまま....  その自覚を保ったまま、 それを根底として生き続けなさい...
        ....マーケット・プレイス(南)で ....ただそれだけのことだ!


それが、OSHOのサニヤスの意味だ。


〝妙法〟とは何か?

〝仏法〟とは、....〝仏〟とは、〝ム〟の人と書く

人でありながら、もう人ではない、それが仏という存在だ。

            ....つまり、〝無底〟を〝根底〟にした人のことである。


〝妙法〟とはそのさらにメタ・フィジカルな世界だ。

   なぜか?

    「 『人皆生まれながらに仏性を宿す』...
                では、なぜ?それでも〝修行〟が必要なのか?」

 これが禅の開祖、道元の出発点である。

だが今となってはこれは簡単な質問だ。

   つまり、「仏である」ことと「仏として生きる」とは全く別のことだからだ。

     ....現在進行形であることに全ての意味がある!


〝妙法〟の「妙」と言う字は「少女」と書く....  では、この少女とは何か?といえば
スジャータのことである。

つまり、シッダルータが苦行で死にかけたとき、それを救ったのが通りがかりの
無垢で無邪気なひとりの少女の慈悲心だったのだ....   

               損得抜きの
               やむにやまれぬきもち

               生命を理屈抜きに生かしたいと想う気持ち

               デジタルに割り切れない想い....
               円周率のπパイ(乳粥)の法則が....   

スジャータ

これが、...釈迦仏教を誕生させたのだ。

それゆえに、〝妙法〟(少女の法)とは〝仏法〟の上位なのだ。

つまり...仏さえも、生かされている存在だと言うこと、...

         ....否!、仏こそ「無底の慈悲からすべてが生かされている」
                         ことを悟った存在なのだ。

スジャータ乳粥


無底を根底として、現在進行形で生きると言うこと....

それが〝行〟だ。

糞掃衣(ふんどうえ)をまとい、石鉢を携え、托鉢する姿とは、まさしく
「無底を根底として、少女との再会のみを命綱にして生きる」姿そのものだ。

そうなってくれば、なぜ蓮華径(ハスの花の径-みち)なのかは、こころがある人には
すぐに解るだろう。

泥の池の、奥底から咲く、ハスの華とは?

〝泥〟とは、つまりこの物質世界すべての象徴だ。



だから〝ハス〟とは形而上学的な生命の開花のことである。

この世知辛い世間の中にあって、その競争(泥沼)社会に染まることなく、
   .......才能にも、出自にも、カネや特権や名声名誉にも支えられることなく

むしろそれを泥=物質から、華=無限の生命エネルギーへと転換させて開花させること...




           それが、ロータスの意味するところだ。
            ロータスとは、真の“自立した人生”を意味する!


だから、単に「〝仏〟だからえらい」のでも尊いのでもなく、
スジャータの示した宇宙の慈悲を信頼し、
命をゆだねて(サレンダー)菩薩道を生きること....

  ....そこに至上の尊さがある。

  それが「南無妙法蓮華経」の意味だ


   このインスピレーションは、
   いままで、しぶしぶ学会員の韓国面におちてしまった、
         縁のあった二人にしか話したことはない

学会の悪用を恐れてだ

しかし、なぜ今日書いたのかと言えば、どうせ悪用は不可能だからだ(笑)

もし、このページをコピペして、あたかも自分たちの智恵のように語ったとしても
創価学会や大石寺顕正会のように、
恐怖を煽って信者を増やすしか能がない連中にはむしろ
「知って欲しくない」話だからなのだ。

だから、創価学会も大石寺顕正会も....  オワコンなのである!

  かれらでさえ(理解することなく)言っている。


   「南無妙法蓮華経」という言葉は、すべてを生かしている大生命であると....


                   これは、正しい


 だれもが、大宇宙の慈悲によって、呼吸し、鼓動している....

 仕事(お役目)に恵まれて、日々の食事を頂き、排泄し、....生かされている。


一緒に食べよう


...で、あれば創価学会や大石寺顕正会のような「人の心細さ」を逆手にとった

折伏や、それによる組織力の強化などが、
如何に妙法蓮華経の精神と正反対であるか?


                 ....明快であろう。


「欲しい欲しい!」「怖い怖い」とわめき立てて念仏を唱える者達が

スジャータの様な無業の少女のこころを引き寄せるとでも....??


               ....こころがある者なら誰にでも解るだろう。




           つまり、こころが無い人達というのは

           まずは、  自分にこころがないという自覚がないのだ


           怒りや、不安や、喜怒哀楽といった

           「感情」に振り回されることが

           「こころ」なのだと思い込んでいる人種....が

                      人間の姿をして実在するのだ。


                   彼らには、選挙権すらある!


            自分自身では考えられず、誰かに同意して欲しい!

            そんな己の不安感を、仏の慈悲心なのだと

            自分に言い聞かせ折伏してイイ気になっている....

           イナゴの様な人達こそが、自己増殖し続け、群れたがるのだ。


    民主主義が、  イコール多数決主義である以上は、

    民主主義とは、  つまり今の日本社会とは、こういった人達の為にあるのだ。