いまは安保法制を巡っての議論が熱い。
八月が過ぎ去ろうとしている今日も各地で
賛成、反対のデモなどが多かっただろう

でも、本当にこれが「天下分け目」「歴史的瞬間」なのだろうか?

誰もがそう思っているが故にきっとデモも盛況なんだろう
・・・・でもわたしは疑問に思っている


確かに憲法というのは重要な〝ハズ〟であるのだけれど
すでにこの国の憲法は砂川裁判によって死んでいるという論もある


2015-01.08 戦後70年「日本国憲法は既に“死んでいる... 投稿者 kigurumiutyuujin

その国の民にとって言葉によって記されたもので
もっとも重い意義を持つものとは言うまでもなく憲法だ

だからもし憲法が死んでいるとしたら、その国で暮らす人々の〝言葉による営み〟が
生きていると言えるのだろうか?

先週の土曜と今週の土曜(昨日)は、それぞれ光透波、カタカムナと、連続して
日本の言葉の根幹を学んだわけだけれど、しかしそれにつけ、上記の問題・・・

・・・つまりこの国の言葉は死んでいるのじゃないだろうか?という疑問が
頭から離れない


私達は確かに言葉に蹂躙されて生きている
感覚、感触、感受性が織りなす繊細なフィーリングやエモーションというのに対して
言葉とはより明瞭なデジタル信号で、客観性、説得力がある・・・・

     ・・・・私達のこの物質科学文明の牙城は、
          それゆえに築かれた鉄筋コンクリートと電子の要塞だ


それゆえにここでは人間の生々しい営みでさえ、システムの中に組み込まれている

一見話が飛んでしまうようではあるが、
今の金融不安にせよ、安保法制議論のような問題にせよ、
その根幹には宗教を根拠とした性の管理システムである結婚制度の
閉塞性が大きく関与しているように思えてならない

    ・・・・何も結婚制度そのものをぶち壊そうというのではない

でも今夜、ハタと思ったのは、
最も結婚制度に拘っていた。。。。縛られていたのは
          他ならぬ自分自身がかも知れない
と言うことだ

・・・私はまじめすぎたのかも知れない、
もう世の中の男女はもうとっくに〝制度〟という垣根の
すき間をひらひらと舞う蝶々のように生き始めているよね? ・・・・ っということだ

垣根を越えていく蝶々は言葉も法律をも超越した魂の世界に生きている
もうすでに人々は、そういう軽やかな生き方にどんどん適応(シフト)していっているのかも知れない

これからことばの世界、ロジックの世界のくびきはどんどん破られていくのではないだろうか?

          いや、「破られていく」のではない
       ・・・「ふわふわとすり抜けていく」と言うべきだろう

光透波にせよ、カタカムナにせよ、
究極の〝教え〟は
          〝無〟より出でて、
           この現象世界をはばたき舞い、そしてまた〝無〟へと
回帰していく様に思う  それは堅苦しい律法ではなく神話的なリーラ(戯れ)だ


「はじめに言葉ありき」と旧約聖書は言う

でも〝はじめ〟が有るものには必ず〝おわり〟がある
旧約聖書の世界観は、しょせん有限の世界を語っているのに過ぎない

憲法もまた然り、所詮は人間が発したものだ

人間が発したのであれ、神が発したものであれ、
〝発せられた〟ものは皆、すべて寿命がある

有限であり、部分であり、
そして賞味期限と有効範囲   ・・・・時空間の限定がある

ましてや〝死んだ〟言葉が拠り所になったものは、なおさら限界だらけである

その議論の対象となっている〝平和憲法〟がすでに死んでいるのだとしたら
なおさら、死守しようがしまいが次の時代の礎とはならないように思う

文明としては次々に精度の高い世界最高レベルなものを膿出し続けたが
こと言葉の文化と言うことに関しては、すでにこの国はゾンビだったのかも知れない
安保法制の議論とは「死霊の盆踊り」なのではないだろうか?

じゃあ生き返らせることが出来るのか?
生き返らせる意味があるのか?価値があるのか?

・・・はなはだ疑問だ

私達は「生きている」と「思い込んでいた」

そこからが本当の新生であるように思う  ・・・・垣根を跳び越えていく蝶々への新生だ