今朝夢を見た

社会的な責任を果たせずに逃げてきた「無能な自分」を責め悩む
サディスティックな夢だった

目が醒めてすぐ、自分にこんな罪悪感が残っていたことに驚いた・・・

   ・・・驚きはしたがとても心当たりはあった

    そしてこの罪悪感が、如何に今までの自分のセックスの観念にも
     暗い影を落としているのか?気が付いた


私は女性との性交渉に対して、この罪悪感に対する購いを求めていたのだ

これは「男性の肉体である自分」を反転させた「内面の女性」に
視点をひっくり返すなら、
「傷ついた男性を癒すために性的な関係をも忌諱しない」・・・・

                   ・・・・ヒーラー、聖母としての女性の姿だ

わたしは、こういった女性達とすでに現実の人生体験で何人も出会ってきた

それは私にとっては強烈な癒やしの体験であった、素晴らしい体験であった
そして私の心の糧であり、砂漠の中のオアシスであり、祈りと救済の宗教的体験だった

しかし、苦しみ故に盲目であったわたしの渇きに潤いが与えられ
〝生きた心地〟になってみると、だんだん別の次元が見えてきたのだ

   それは、「宗教的な受難と救済のドラマ」を超えた世界だった

    癒やしの対象としての女性を渇望し、飢餓海峡を彷徨っていた私は
     「女性の十字架」 ・・・つまり生け贄を密かに欲求していた

     だからその飢餓が満たされる恋愛関係、肉体関係=性的快感は
        相手の犠牲に成り立っているかの様な罪悪感を
       自分自身に募らせてしまう
   と言う「罪の上塗り」を自分自身に犯していたのだ

   それも無意識の中では判っていた・・・  
     自分を罰するマゾヒズムは性衝動をも宗教的な倒錯に歪め
                 女性に対する過度な神格化を求めたのだ

   私が関わってきた女性は、だから性的な虐待を経験してきた人ばかりだった

    社会性を強要された男に、性的な虐待を受けた女・・・・  それが自然に引き合ったのだ

        そういうカラクリだったわけだ!

     この生命の慟哭を持ち寄った男と女の営みは、
      私の内面での男性=アニムスと女性=アニマとのファーストコンタクトでもあった




  そしていま、私との温もりを分かち合ってくれた女性達の微笑みを思い出して
  ・・・・・改めて私は思う

   本当に愛がある女性は、・・・・いや、「女性の愛」というものは、
          わたしが罪悪感から憶測していたもの、記憶していたものよりも
 
    ずっと気高く、逞しく、涼やかでおおらかなもの
        だったんじゃなかったのか?っと

 私は自分が抱えていたトラウマと罪悪感故に、
     いままであまりにも女性を
       腫れ物のように
        ガラス細工のように  見過ぎていたんじゃないだろうか?



   女性は男性から〝お姫様〟の様に扱われることを
     〝優しさ〟〝男性の理解力〟〝包容力〟と
         解釈しがちだし、それを喜ぶ傾向があるが・・・・  しかし

  ・・・・これは女性本来の愛が持つたくましさ、強さに対する、
                 むしろ侮辱でさえ有るかも知れない



  もう生け贄の様なセックス、傷をなめ合うような恋愛など要らないのだ
      もはや慰めや救済を渇望し合う愛から卒業し、
       男女がより本当の尊重を寄せ合った愛情を
            育むべき時代が来たのじゃないだろうか?