〝国〟とは玉タマを囲うと書く

王様にチョンがついて玉なのだから
たぶんこの「チョン」とは玉の中心=遺伝子を意味する
つまりチョン = 中心点の外側である「王」とは
球体の表面のことであり、

      「全方位において公平でバランスが取れている」

ということが
王であることの原意なのではないだろうか?

それゆえに「王」とはあくまで見かけ上の姿に過ぎず
国とは「王を囲うもの」ではなく「玉を囲うもの」なのだ

玉=タマとは、「受肉した神の英知:遺伝子」を象徴しており
王とはその化身なのだ

国とは王を守り、王によって守られる世界のことだ
そして、王とは遺伝子の霊感によって突き動かされている・・・・


そういう風に見ていくと、胎児と、それを囲う子宮の構図に
最も小さな〝国〟の単位を見ることが出来る

この小さな小さなKINGDOMで十月十日を過ごし、
母の体内の庇護を離れると、
わたしたちは「一見、物理的には」何の囲い=限界も見当たらない
無限に広い三次元世界を旅しはじめる

・・・しかし、心理的には人間の世界は決して限界がないわけではない

  そこにはまだ親の庇護が必要だし、
  家族という囲いから出ても、そこにはまだまだ社会のさまざまな
  カテゴリー別の〝囲い〟が存在する

   私達はそういった〝壁〟に守られながらも、また同時に
   その囲いに窮屈さも覚えるようになる

   なぜなら、これらのカテゴリー別の区分けによって
  人と人は醜く争い、いがみ合い、時には相互の領分や資源を
  ぶんどり合ったり、殺し合いにまでエスカレートしたりするからだ

人はみな相互に理解し合い、協力し合い、助けあう方が
より大きな地平線を切り開くことを充分学んでいるはずなのに、である

純粋で理知的な若者ほど、人がまだサルと未分化であった時代の遺物のような
この大人達の既得権にしがみつく、いがみ合いの醜さに首をかしげ、疑問を抱く
そして嫌悪と窮屈さを感じるようになるはずだ

母親の子宮の壁が、胎児の成長を守りつつも、時が来れば胎児に窮屈さを
感じさせるように、〝玉〟はだんだん大きくなり、その囲いである〝国〟は
いつかは胎児を殺そうとするかのような障壁となって立ちはだかる

    ・・・それが〝既得権〟であり、〝時代遅れの観念〟であり、〝老害〟だ


以前、このブログで男性の性欲は孤独感と結びつきやすいようだと書いたが
この〝孤独感〟とは、より正確には〝閉塞感〟なのかもしれない

青年は荒野を目指していく上でいくつもの〝壁〟にぶつかる・・・・

これが、どうにも乗り越えることが困難と思え、絶望した時
青年たちは今度はニート、ヒキコモリへと内向していく・・・・

〝ヒキコモリ願望〟とはある意味では体内回帰願望でもある
ではなんで〝外向〟に閉塞感を感じた時に、その逆の〝内向〟への
衝動が起動=アクティベートするのかと言えば、これは〝新生〟の為の
システムが機能しているからではないだろうか?

内向ヒキコモリ化とは〝死と消滅〟への願望と直結している

「限界と孤独を感じるからこそ」仲間や同志を求め、共に協力して
その限界の壁を乗り越えようともするが、それが物理的な壁なのではなく
実は心理的な壁なのだと気がつくにつれ、「友や同志との相互理解、一致協力」では
「この壁は突破出来ない」事に気がついてくる・・

・この〝堅さ〟とは心理的なものだから、老害の堅さ、利権の堅さに対して
イデオロギー的な若者達の結束(=堅さ)でぶつかっていっても突破は不可能なのだ

       ・・・・この「壁」を突破する為には、努力の方向が正反対だった!!!

この「壁」の突破には
どうしても自分自身の中にある古いプログラムをリセットする必要があり、その為には
〝自分〟は死ななければいけないのだ!!!!

・・・・もちろんそのあとに〝再起動〟〝新生〟が本当に起きるのか?
そして無事にヴァージョンアップされているのか?  ・・・そんな保証など無いのだが

まっことエロスとタナトスとは切っても切れないのだ

〝女子力〟なんていう馬鹿な言葉にお金と努力を費やす女性の皆さんに
わたしは男性諸君を代表して、自信を持ってこう言える

男性が女性にどうしようもなく魅力を感じてしまう最大の要素とは
一言で言うなら「可憐さ=ものの憐れ」だ

「可憐さ=ものの憐れ」というのは「女子力」という肉食系の言葉とは最も正反対のものだ

女性の滑らかな曲線や、女性器を見て、男性が深遠な神秘を感じるのは
その「花のような瑞々しい可憐さ」を感じた時だ

逆に男性にとって女性の性欲というのは、長い間神秘であった、まあ今でもそうだ・・・
私が若い頃は、女性には〝性欲〟があるのかどうかさえ、実は疑問だったぐらいだ


わたしも50歳を超えて、ある程度性的にも〝中性化〟しつつある現在、
女性から男性の肉体がどう見えているのか?
ほんの僅かながら、おぼろげに想像出来るようになった

別の言い方をするならば、男性の肉体を持って生まれた自分の性衝動が
ある程度客観的に見え始めたと言うことなのかも知れない

たぶん女性には男性の性衝動は、憐れで、可愛らしく見えるのではないだろうか?
だとすれば女性から見た男性もまた「可憐さ=ものの憐れ」がキーワードだと言うことになる

男性の大半はいまだ、「男らしさ」を「力強さ」「逞しさ」だと思い込んでいて、だから
ペニスが大きいこととか
ピストン運動の持続時間が力強く長いこととかを誇ろうとしているのだが・・・

私の好きな映画でメル・ギブソンの「ハート・オブ・ウーマン」があるが
この主人公ニックのセリフは
その男達のマッチョ願望を「馬鹿な男共の思い込み」だと嘲っている

                      ・・・わたしもそうなのではないか?と思う

女性は確かに勃起したペニスを見て、キャアキャアと「まあ逞しい!」なんて褒めるから、
男性は真(ま)に受けるのだが、でも真相は違うのじゃないだろうか?

勃起したペニスを見て、本当に女性が感じるのは男性の「閉塞感」ではないだろうか?

閉塞感にもがき、「この狭い世界から解放されたい」という新しい命の脈動を
男性の充血したペニスから感じ取るのではないだろうか?


  性欲を含め男性の意識を突き動かし続ける衝動とはほぼすべて
  「王の主(あるじ)である点」「王の玉座である極微点」・・・遺伝子で

    ・・・その遺伝子の〝叫び〟が女性には聞こえる、理解出来るのではないだろうか?

    「早く出してあげたい!」それはそのまま女性の性欲の本性かも知れない
   しかし、〝出る〟だけでは精子はただ干からびて死ぬだけだ

  ここまでだけで男性のタナトス=死への願望は多少遂げられる
  射精後の男性の空虚感はすべてが終わったような悲しみもあるが
  解放された充実感もある

    しかしそれだけではなく、女性の側により奥深い欲求として
  「この人を駆り立ててきた衝動を生かしてあげたい!!」っと思った時
  女性は男性を自分の子宮の中へと誘う

羽布団のような女性のやさしさに満ちた子宮の世界の中で
死を覚悟した精子が卵子とタッチした時、爆発が起きる

男性は、そこは時間も空間もない永遠の暗黒が無限に続くのだろうと思い
その絶対的な凍り付く「無」に辿り着くのだろうと思って旅立ったのに・・・

       その時、エロスとタナトスとが、陽極と陰極としてスパークするのだ
       すべては、恍惚の光の闇で覆われる

      今この瞬間、〝わたし〟と〝あなた〟が出逢い、交わるか?否か?

・・・・ここに古く狭苦しいマトリックスの壁を突破した
     ひとつの〝新しい国〟が誕生するか?否か?という微妙な選択があるのだと思う