あなたが10才の子供であったと仮定しよう

まだまだ義務教育も終わってない
社会人になるために学ぶ基礎的なことは沢山あるだろう・・・

    ・・・ではあなたは未完成な人生なのだろうか?


社会人(オトナ、成人)が完成品で、子供の人生は未完成なのだろうか?


ある意味ではそうだと言えるし、また社会的にはほとんどがそう見なされるし
また子供達もそう自覚して「早く大人になって自由になりたい」と思っている

  でもほんとうにそうなのだろうか?

あなたが大人に戻って、子供のあなたに訊かれたとする

  「ボクは大人になる為に急いで一杯勉強しなければいけないんだよね?」

  「大人になったら自由になれるんでしょ?」

  「人間は大人になって初めて完成なんだよね??」

  「大人になるってどんな素晴らしい気分?」

もし、あなたがいま幸福なのならば、

  「うん、大人になるって素晴らしいよ!毎日が楽しいよ!」

  「早く一杯勉強して大人になりなさい」

っと答えるだろう

  しかしこんな風に爽快に回答出来る大人達は何人いるだろう?

今の自分の人生を
     満たされたもの、
      完全な人生の開花だ
        と迷わず思える人は何人いるだろう?

大人達の大半もまた、
「いまここ」にリラックスすることは出来ず
「いつかどこか」に向かって
常に急き立てられ、競争し、
追い立てられ、焦っているんじゃないだろうか?

溢れる開花から友人関係、恋愛関係を持っているのだろうか?
それとも、何かの欠落感、不安感、焦燥感、退屈から
恋愛や仕事や趣味の出会い、仲間、パートナーを
年がら年中、募集中なのでは無いだろうか?

私たちは10才と5ヶ月13日目の人生を歩んでいる過去の子供の頃の自分に
何と報告するべきだろう?

  「わたしは未来のキミだよ!、キミのお父さんよりトシを喰ってしまった(笑)」

  「2015年を生きるいまのボクは大人になり、賢くなり、人生を開花させた、謳歌している」

  「さあ、急いで早く今のボクに成る為に頑張るんだ!」

そう言えるだろうか?


わたしはたぶん、子供の頃の自分と出会っても、自分の息子のようには見えないだろう

もちろん、その時の自分はまだまだ無知で、不器用で、苦しんでいるだろう

でも、そんな自分を子供扱いは出来ない、未完成品扱いは出来ない

いやむしろ、その過去の子供の頃の自分は父親の様に感じるかも知れない

そして、励ましながらも、内心感謝するだろう  ・・・幼い日の自分に

「よくぞ無事でいてくれた」「よくぞくじけずにいてくれた」っと

〝彼〟は今の私の通過点ではない、「踏み台」ではない、「手段」でも「未完成品」でもない

10才と5ヶ月13日目・・・完全な13日目を生きる人間なのだ

その時の自分は、その時の自分として独立した存在、そして完成した人間だと・・・
いまのわたしは思うのだ

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それと同時に、イメージ出来る・・・

もし将来への不安に怯える子供だった時の私に
今の私からの感謝と笑顔がもし伝わったのなら
きっと彼はとても勇気づけられることだろう