「ライト」と、片仮名表記する日本人の感覚は、そのままカタカムナ、言霊の国
ジャパン・カルチャーの真骨頂だと思う。

それは時としては(文脈としては)単なる駄洒落だけれど、時としては
それは宇宙的な響きの世界へと通じる


「ライト」とは、例えばWirte「書く」という英単語に見える。あるいはRightにも聞こえる。

つまり、「書かれた」ものは「正しい」というわけだ。

「書かれた」・・・つまり物質世界に記録されたデーターは、必ず何らかの根拠の元に
留められたものなので、〝根拠〟があるという点では、森羅万象すべての表現は
〝正しい〟

わたしたちはだから、THE BOOK(聖書、聖典、法律)に従って「正しく」生きようとする。
これがいわゆる法治社会であり、あるいは〝宗教〟だ。


しかし、法治は〝放置〟に通じる
なぜなら、〝書かれたもの〟はすべて「過去~未来のプロセス、因果律、時間軸」という
〝まどろみ〟の世界に存在するものだからだ。

エゴの正体とは〝まどろんでいたい〟という願望だ。

わたしたちは瞬間瞬間に戦慄を持って対面していくことよりも
頼れるBOOKを見つけ、それ以降はいまここにある危機に際してでさえ
〝まどろんでいたい〟のだ!!  放置してしまいたいのだ!!

   ぼんやりと本を引用し、その凡例に従いコトを済ませてしまいたいのだ。

理念、信念、理想、信条、法的、象徴的〝解釈〟・・・  これらは紙に書かれていなくても
四次元という時空世界の中に閉じ込められた〝まどろみ〟の存在だ。
  ・・・つまり四次元的〝前提条件〟の許で〝正しい〟と言われている(so said)ものに過ぎない。

         ※ バシャールは「ワクワク(エキサイトメント)で生きなさい」というのを
           基調としたメッセージだが、それはこの〝因果律の制限のまどろみ〟から
           抜け出して、人生に起こり得るあらゆる意外性・可能性にこころを開いて
           みてはどうですか?っという意味だと私は思う

           ただ、それは運命への信頼(TRAST)が無い限り、不安、恐怖と背中合わせだ。

             あらゆる意外性・可能性を
           ポジティブに捉えれば、  それは「エキサイトメント」であり、
                              それは「エンライトメント」へと通じる

             あらゆる意外性・可能性を
           ネガティブに捉えれば、  それは「恐怖、不安、孤独、孤立感」である。



それは、「すでに終わっている過去」と「まだ来てもいない未来」との桶狭間の戦いなのだ。

この「桶狭間の戦い(※wiki)」を、私たちは「今川」(今という時間の流れ)と呼んでいるが、これは夢なのだ。
この勝敗は、常識で考えれば圧倒的な大群の〝今川の勝利〟のハズであった・・・・


「あなたたちは人生50年をゆめまぼろしだと言うことを忘れていないかい?」
「これらの夢はマトリックス〝田〟が織りなした、信念の延長に過ぎないのさ」

      と、織田信長は歴史の彼方からわたしたちに告げている。

  だから彼は延暦寺(歴史の延長、幻想の延長)を惨たらしく焼き討ちした(※wiki)のだ。

              ※  「〝今〟とは過去から未来への時間の流れに属していると
                   みんな思っているが、
                   本当は〝永遠〟に属してるんだよ」        by OSHO

闘いのゾルバ、第六天魔王・信長は、最後には明智光秀=つまりイルミナティー的エリートによって
<本能>寺の炎の中に葬り去られるが、その明智も三日天下で終わる。(本当は死んでいないけどね・・・・)


・・・「死んでいる正しさ=Right」に固執する者達のことを、私たちは〝右翼〟と呼んでいる。

そして、〝残された(="LEFT")ものたち〟〝被害者〟〝弱者〟を物理的、経済的、法的に
救済することを最大の価値とする偽善者たちを、私たちは〝左翼〟と呼んでいる。
     (ネットでちょっとでも社会的弱者への同情を示す意見を見つけるや否や、
      即座に半狂乱に、あるいはあざ笑うかのように〝プサヨ〟とか連呼している者達が
     〝ネトウヨ〟熱湯浴とか〝アメポチ〟アメリカ帝国の飼い犬と呼ばれたとしても、
      それはやむを得ない・・・当然なのだ)

  天皇陛下万歳を喝采したとしても、
  神風精神を叫んだとしても、
  右翼とは左翼と同じ唯物主義者だ。
     〝正しさ〟〝正当性〟に固執する以上はね....

真実は、常に真ん中に、  ・・・・・・・有る 在る(being)・・・・・・。

でもそれは単純に〝右と左の折半〟でも、〝過去と未来との間の現在地点〟でもない。

中道とは、まったく時空間とは別の次元に存在するのだ。

Right でも Left でもない"Light" ....光こそが〝いま、ここ〟だ。

      そして、光とは〝PORT(=穴、扉、出入り口)〟なのだ。
              永遠の覗き穴、無限の扉、タキオン(意識)世界との出入り口だ。

--------------------

それは私たちの日常感覚では〝スパーク・フェノミナ(閃光現象)〟として認識されている。

それは、
眼球を通して知覚する、いわゆる視覚世界、〝体外(脳外)界の光学的認識〟として見えるし、
眼球を強く圧迫したときにまぶたに見える 光の渦 、〝体内(脳内)界の光学的認識〟としても見える。 

これが脳内スパーク・フェノミナの視覚化であり、
日常わたしたちが〝空間世界〟として馴染んで、暮らしている光学的認識世界としては、

...体外か?体内か?の違いがあっても、
本当は全く同一のリアリティーだ。

これが
世界の中心、〝わたし〟の源泉である「アイン」〝無〟と、
ありとあらゆる可能性、「アイン・ソフ・ア(り)ウル」〝無限光〟との
中間に位置する「ソフ(祖父)=世界の果て」の瞬間瞬間の世界の姿・・・・

               【エレクトリカル・パレード】、 

                【サイケデリック・リアリティー】だ。


つまり、「瞬間、瞬間に生きる」 「瞬間に死んで、瞬間に生きる」 という
〝底なし沼(トーラス)の楽しみ方〟のコツの習得は、まずこの認識から始まる。
torsionanimated

--------------------

わたしたちは皆、M78星雲から地上を救う為にやってきた銀色の巨人なのだ。

しかし、日常ではグラス・ホッパー(バッタ)の仮面を付けてショッカー(創価)と闘うのが
関の山だ。

わたしたちは創価学会に絶対に勝てない

なぜならば、価値観はすべてmade in Souka だからだ。
日本の価値観のパテントは、ほとんどはCIA、メーソンのエージェント、作者:逝け駄作センセーが
M&A=買収してしまったからだ。

衣食住、...政治・経済・法曹界・マスコミ・裏社会(暴力団)のほとんどがそうだ。

最後の砦、皇室にさえ、もう北朝鮮プリンセス・もうオワリダ\(^o^)/雑子・愛子が浸食している。



わたしたちのこの肉体は、もはやショッカーの〝改造人間〟なのだ。
だから逝け駄作先生から見れば、反ショッカー、仮面ライダーとは「裏切り者」なのだ。


ディスクロージャー(地球外知的生命体の大量飛来)を待っている人達も
決してショッカーは倒せない。 むしろ彼らは(自覚はなくとも)日本を浸食しようとしている
ショッカーの一味なのだ。   その点では、ET(地球外知的生命体)も在日朝鮮人も変わらない。

自らを太陽の子、世界の光源として自覚しているものだけが〝銀色の巨人〟=ウルトラマンである。

かれらは、外の宇宙に援軍を待つような日和見主義者でも弱虫でもない。
かれらこそ、アローンネスな彼ら自身が、わたしたちひとりひとりが
地上に光をもたらす光の支援者=シェーンなのだ。



シェーンはいつもひとりだ。
誰と居て、誰と協力し合っていても、誰と相対していようと、
誰に愛されようと、憎まれようと、ひとりだ。

なぜならシェーンにとって、いや、すべてのローン・ガンメンにとって、頼れるのは自分だけ

                                    ・・・・だって他に誰が責任をとれる?

  そして、

    生死を分ける勝負の要(かなめ)は、いつだって瞬間の判断だ。

    一秒の遅れとは、それは即刻、問答無用の「死」を意味する。

                             鉛の弾が、体を貫くことを意味する



                                誰と愛し合っていても、彼は流されない。

                                    何を信じていようと、彼は拘らない。


「まっすぐ、強くなれ」 「そして父さんと母さんを守ってやるんだ」

かれは、少年に次世代のシェーンと成ることを託し、去ってゆく

   彼を導くのは
      遙かなる山の呼び声(ソフ/祖父=世界の果てから見守るもうひとりの自分)のみ

                     それは自らの背骨に流れる滝の音(タキオン)でもある。


「わたしは昨日言ったことと、今日言うこととを、なるべく矛盾するように話している」

「わたしはいつまで君たちに〝感銘〟を与え続けなければいけないのかね?」

「そのうち、あなたはわたしの話の内容を聞くのではなく、わたしが話しているのを
滝の音を聴く様に感じるだろう」   By OSHO