私は希望を失っています。

どうか助けてください、バガヴァン。




希望、理想、目的、信念がないと
わたしたちは虚無感に襲われる
わたしたちは常にどこかに向かって突進していきたいからだ

社会はいつも人々に活発でいて欲しいし
人には生きる為の原動力が必要だ

だから社会は
希望、理想、目的、信念、計画性を励行する・・・・
人々が常にこれらに突き動かされているならば
人が自分自身とは
誰か?何か?などという
ナンセンスな(究極の)疑問を持つことは
            ・・・・決して無い

希望、理想、目的、信念の中に生きる人々は
決して
沈黙、静寂、平和の中に留まっていることは出来ない

彼らはいつも内心ヘトヘトに疲れていて
      沈黙、静寂、平和、至福、愛を
          切望してはいる(つもり)だろうが

       でも実際にこれらと接すると
        途端に恐怖に取り憑かれてしまう

その時、
    希望、理想、目的、信念、・・・が

・・・その瞬間、消滅してしまっていることに気が付くからだ


だから、人生のゴールがどこかにあり、達成がいつか来て
「いつか、どこかで」待ち望んでいた
沈黙、静寂、平和、至福の中にくつろげるだろうと夢見つつ
でもそれが実際の所「いまここで」それらが起きることを恐れ、
                     そして逃亡してしまうのだ

「いまここ」を知らない人なんて居やしない
それは常に目の前にある

ところが
    「いまここ」、瞑想・・・・
     沈黙、静寂、平和、至福、愛、悟りというのが、

    何か神秘的な体験、特別なことだと思うことで
           私たちはいつも逃亡しているのだ


希望、理想、目的、信念、などを見失ってしまう時
        人は人生に失速感を感じ、
               疎外感、虚無感を感じる

自分は常に
何かに向かって
何かを身につけ
何かになろうと奮闘し、

それをもって「自分は生き生きと生きているのだ」と感じる・・・

・・・だからこれらの失速、欠落はとてつもない
虚脱感、無情さ、無気力さ、無価値感となる


この虚脱感から脱する為に
他人を批判し、社会を批判し、
そして究極的には
自分自身を否定する

絶え間ない葛藤の中に居る時だけ
私たちはその痛みの中で「生きている」ことを
実感できるのだ

   ・・・希望、理想、目的、信念が帰ってくる
              「過去と未来」を取り戻せる

静寂は、沈黙は、平和は、
決して追求し、探求して得られるものではない

それらに対して、私たちが出来ることは
ただただ、「待つ=招待する」ことだけだ

   ・・・希望、理想、目的、信念に逃げ戻ろうとするのでなく
     言語、論理、定義、常識、損得、善し悪しの価値観で
     自分を再び圧倒してしまおうとするのではなく・・・・

  これらの試みで、「静寂、沈黙、愛、平和、やすらぎ、至福」を
   捕まえることが出来た人がひとりでも居たなら知らせて欲しい


  他人を批判しなければ
  自動的に批判すべき自己もなくなる

  他人を評価しなければ
  他人からの評価も気にならなくなる

  他人と自分を比較しなければ、
  他人と自分との分離感も、自然と消えていくものなのだ