映画「WALL・E」の一部

ikinokori

この800年後の人類の方舟「アクシオン」の
すっかりピザデブになってしまった艦長は
オートパイロットの「オート」によって地球への帰還を阻害される

オートは艦長を思い留めさせようとこう言う
「このまま宇宙にいれば
私たちは生き延びられます」

それに対して艦長は叫ぶ

「生き残りたいんじゃない!生きたいんだ!!」

でもこの映画の言わんとするのは遠い未来の話しではなく、
まさしく「いまここ」の人類のさしかかった大峠の話しだ

  「与えられ、飼育された快適さ」で700年間宇宙を彷徨って生き延びた人類が
  さらに何百年生き延びれば良いというのだろうか?

   生きるという事への満足に、あと何百年必要なのだろうか?

    ・・・いやもちろん、むしろそのような満足感からは彼らは遠のいていることが
      この映画を観たなら誰にでも分かるだろう


宗教が起きた、国家が成立し、政治が起きた ・・・資本主義、共産主義がおきた

日本の神道には大きく分けて二つの流れがある

  ・・・伊勢系と出雲系だ

伊勢系とは今までの国家神道だ  それは経済と物質社会を発展させてくるのには
好都合であった  それは「威勢が良」かったのだ・・・  これが人のつくりしものだ

アマテラスの下に天皇家があり、その下に将軍が居て幕府があった、いまなら国会がある

上意下達のピラミット構造は、「ひとしくみ=仕組まれた民主主義」を高層化するのには役立った
たぶんこの究極の姿が「アクシオン」かもしれない

伊勢系の神道はすべてが「お家の存続」にあった・・・それが個々人の目的であり
つまり個々人というのは〝手段〟〝道具〟に過ぎず、実際それは〝個人〟とは言えなかった


「お家、(つまりシステム)の存続」 は、常に人々に名誉のハラキリや神風特攻隊を要求する
そして、そうすれば「家は生き残れる」わけだ

この価値観は根強いし、また事実今までの時代においては必要だったと言える
現在の平和憲法の解釈や改憲の議論とは、まさにこの点が争点であるように思える

…単に法的な解釈としてどうか?というのではなく

   「(システムが)生き残るか?」 「(個々人が)生きるのか?」ということなのだ

  実話として、あるロッククライマーが岩に腕を挟まれ、生き残るために自分の登山ナイフで
  自分の腕を切り落として生き延びたというニュースをどこかで読んだ

  「私だったらどうするだろうか?」一昨日はそのことばっかり考えていた・・・

  「生き残るため」に「腕を切り離す」ということを誰が間違いだと言えるだろうか?
  確かに腕も大切だが、いのちあってのモノダネである

   ものごとにプライオリティー=優先順位を付けるというのはビジネスでも政治でも
   私たちの日常生活でも非常に重要なことだ

    しかし、「ものごとはそんなに単純に割り切れるものではない」というのもまた真実だ

     いまの「お金」が圧倒的な価値観の基準となる世界では、ナルホド確かに
     すべては数値化(金銭的換算)が可能かも知れない

      ・・・しかし、この「キッパリした世界」が環境破壊を生んだのは間違いないと思う

      伊勢系の発想は、いままでは有用だったが、いまは人類に自滅の道を歩ませている

       つまりこの「ピラミット的価値観の世界」は、もう限界なのだ

      「生き残る」という努力と執念それ自体が自爆装置に変化してしまっているのだ!!!

  それに取って代わるのが出雲系であるという風にシャンタン氏の話しを私は理解した
  つまり、日月神示などのいう「神仕組み」とは伊勢系から出雲系への交代劇であるというわけだ

これは私としてはなかなか説得力がある話しに聞こえる

仏教伝来とは何だったのか?

伊勢系の家系の友人が
「日本には本当は仏教なんか必要なかったんだ」と
言っていたのが気にかかってくる

平将門の怨霊を奉るという形で300年の太平の世を開いた徳川幕府は
ある意味で「出雲系(=縄文?)」をなだめる形で和合した「伊勢系(=弥生?)」の
幕府政権時代だったと言える

ユダヤの世界覇権、植民地政策によって開国させられ、大政奉還した日本は
伊勢系一色となり、富国強兵政策を進めるに先立って廃仏毀釈が起きたことも
近代史にいくつもの墨塗がある現代の私たちにはそれで理解可能になってくる

・・・この時、日本は仏教とも、仏教の発祥の地、インドとも縁が薄まったのだ

・・・それに変わって世界征服に暗躍するユダヤのシンジケートとの縁が強まっていく


  OSHOやバガヴァンのもたらしてくれたエンライトメントやワンネスへの発想は
  伊勢系の神道の発想とは相容れない訳なのだ

   「生き残る=伊勢系」と「生きる=出雲、インド系」との発想は正反対でありながらも
   双方に理があり、義が存在する・・・・  単純に「どちらが正しい」と一刀両断することは難しい


しかし結局の所、“流れ” は
「地球・テラへの帰還」つまり出雲系にあるのじゃないかとわたしは思う