この数ヶ月、あるいはもう〝年〟の単位かも知れない・・・

  ・・・ずっと〝特定の価値観〟というものを信じない様にしてきた
     自分の中の「不可知論」を徹底させるためだ


その結果、特定の「良い」「悪い」という判断は殆ど自分の中に見かけなくなった
  それは確かにある種の自由であり統一でもあったけれど、
  同時に人生に対する情熱を失うという、ある種の無気力感は
  (もともと子供の頃から強かったが) ますます悪化してしまった・・・・


しかし、思いついてみれば、特定の価値観を持ち出さなくても
人は情熱の対象を見いだすことは出来る

たとえばピアノが上手く弾ける様になったなら楽しいだろう・・・
・・・それは必ずしも「ピアノのコンクールで優勝を狙う」 などといった
  〝動機〟 〝野心〟 〝価値体系〟 に振り回されていることを意味しない

人は人生を純粋に楽しむことが出来る・・・  そんなシンプルなことでさえ
思い出せないぐらい、わたしはこのところずっと頑なであった


またはじめから、  常に初心から、  人生をはじめれば良いのだ・・・・

何も積み上げる必要は無い 
たとえ積み上げていったとしても、 そこに強迫観念があるとは限らないじゃないか?

確かに人はピラミッドが積み上がりはじめると、得てしてそれに執着してしまうものだ

  でもそれは〝油断〟 しなければいいだけなのだ・・・・

・・・たしかに人は過去の積み重ねがあると、ついついそれに自己同一化を持ち込む
    でもそれにさえ気をつけるならば、

     「作り上げる」  のも 「積み上げる」  のも  「ぶちこわす」  のも自由自在だ