以前シャンタン氏と電話で話していて、
「わたしたちはニルヴァーナの静寂に退屈して生まれてきたのじゃないか?」
                   (退屈とは知性があってこそだから・・・)

っという面白いテーマを頂いた


ちょっとここからもう一歩踏み出した仮説が先程脳裏に浮かんだので
ここに書き留めておきたい

  それは、“退屈さ” が次に求めたのは “限界と不完全性” なのではないか?っということだ

    さらには、「自分は未熟である」と思い込む体験だ


NPO法人「自分文化ー安住村」代表の伊東聖縞氏

「この宇宙が生まれてきた理由とあなたが生まれて来た理由とは同じなんですよ」
っという実に刺激的な発言をされていた

ある多次元世界研究家の女性にわたしは「生命の起源についてどう思う?」という質問を
したら「すべては愛から生まれたんでしょ」という答えだった

まあ、そういうのもアリなんだとは思うし、その見解に反論したいわけではないが
しかし「生老病死」の観点から見るならば、〝生〟つまり、始まりがあったからこそ終わりがあるのだ

   ・・・つまり、私たちの「生まれてくる前の世界」、「かたちが無い世界」とは
       ニルヴァーナのことであり
     なぜか?わたしたちはここにジッとしていなかったので、
       こんな所でこんなにも苦しんでいるのだ

      もし私たちが〝魂のふる里〟への帰郷を遂げて、そこに満足していたら
                          それでもまた生まれてきただろうか?

      「生」とは、「苦」の第一原因、根本原因なのかも知れない


      有史以来、男と女の営みは「生」の原因として神聖視されていたが
      これが私たちの苦しみの原因かも知れない

         これを「愛」と呼ぶべきだろうか?

         むしろ「渇愛」によって、わたしたちはこの世界へ
         輪廻転生して舞い戻ってきてしまったのじゃないだろうか?


      なぜ?生命は存続しなければいけないのか?
      なぜ?そういう動機を生命体は、はじめから強い衝動として持続してきたのだろうか?

      ここにすべての苦闘、すべての欠落感、すべての不完全感と孤独と・・・

         ・・・そして、全知全能の神のイメージを自分勝手にでっち上げて、
            その願望の妄想に救済を求めつづけてきた人間の愚かさの原点・・・・

           つまり、宗教発生原因があるのじゃないだろうか?


もし、私たちが何一つ望まないならば、
たぶんわたしたちはいまここにはいないんじゃないだろうか?

悪魔もまた、神の誕生と共にすぐさま必要だった

神には敵が必要だった

でなければ、わたしたちはすべてが完璧な神だけの世界にはいられなかったからだ

世界は悪魔によって不完全である必要があった
だから神を作った人間達が、すぐにヘビの誘惑を必要として、失楽園が必要だった

神と悪魔の闘いが必要だった、人々の葛藤を外部化して説明する必要があった
わたしたちはいつまでも不完全性を引きずり続けた

もし、世界がパーフェクトな平和に満たされ、私たちが悪魔の蹂躙から解放され
完全な自由が実現してしまったなら?

   ・・・この世界に意味があるのだろうか?

    ・・・わたしたちはこの世界を持続する意味が  ・・・一体あるだろうか?


          庶民がリッツカールトンに行ったら死にたくなった。