狂気を解放しなさい!

リラックス〝する〟とは、本来は
「なにもしない」ことだ


しかしこの言葉通りに行かないのが現代人、文明人で
只管打坐にスンナリ移行など出来ないのだ


こころの中では文明の狂気のドタバタが
アタマの中をかけずり回っている

昔のコマーシャルから、好きだった流行歌...
現代の巷に溢れかえるコマーシャル、
様々な音楽、映像、...イメージの洪水、

瞑想のために部屋を暗くし、アロマを焚けば
神や宇宙に関する試行錯誤、・・・

自分や家族の将来・・・
明日の仕事の手際はうまくいくかどうか??

その他様々なものが静かに座った途端に
駆け巡る・・・


例え一瞬マインドが静まりかえっても
その静寂を覗き込んだらもっと不安になる・・・
「死」を感じるからだ・・・


基本、誰もが将来が不安で、
いまが祝福されていることに気が付かない

本当の意味での只管打坐が可能ならば
あとはすべてが全自動で起きる・・・

でも
   自分自身の運命を信頼できない人が
      人生に敵対意識を感じている人が
「ただ今ここに座る」だなんて出来るわけがないのだ

だからOSHOは、
「それら狂気のごたごたを全部投げ出してしまえ!」
っと、すすめているのだ

     リラックスのための努力
        努力しないという努力
  緊張を投げ出すためのあらゆる格闘・・・

パラドキシカルではあるがそれしかないし
実はそれが唯一可能な正気への努力だ

それ以外の〝余計な〟努力は、
リラックスに向かうようでいながらも結局の処は緊張を溜め込む

   例えそれが「無条件の愛」というスピ界の必殺呪文の
    シュプレッヒコールでも状況は同じだ

例えどんなに丁寧にコテで塗るように塗りつけられたものでも
上塗りされたファンデーションとは皮膚呼吸を止めてしまうものだ

でもなにか〝良い〟ことをしようという作意に取り憑かれていると
私たちは「クレンジング」ではなく「上塗りを」する


リラックスということ、心理的な過剰防衛のばかばかしさを解除することが
本当の「最初の一歩」であり「最後の一歩」であることを
徹底的に理解出来れば、リラックスそれ自体は全く難しい事じゃ無い

「最も何もしていない状態」「手放しの状態」が悟りなのに
        実際にはその単純なことを理解するために
                   長い長い旅をしてきた

・・・・馬鹿げたことだったとは思うが、でもやっぱり必要なことだった

    なぜなら、わたしたちはその苦闘という対価によって
    この単純な真実の価値を理解出来るからだ


OSHO_ Selling Bliss 投稿者 maneel-katal