他人の身体については知らない

でも、自分自身の身体に関して言えるのは、・・・・

    ・・・基本は緊張している

だからリラックスが許される状況下においては
意識的に自分の身体の状態をチェックし直さないと
こわばって疲れてくる

(これは心理的に ”悲観している” っと言い替えても当てはまる)

  つくづく不思議だなあと思う

   人間は地上最強の動物のハズなのに
   多分生物としては、唯一「緊張した状態が既定(デフォルト)」な
   種族なのじゃないだろうか?


  繰り返すけれど、これは私個人の特質かも知れない

   わたしは、このブログでも、
    「くそまじめな話題」と、その緊張感を解きほぐすための「悪い冗談」との
     基本はどちらかだけの状態で、一般的な〝フツー〟の話題には興味が無い

      それゆえに人との〝普通〟なおつき合いというのが出来ない

     ・・・その点、私は確かに〝特異体質〟なので
       この〝緊張や悲観が既定〟というのが、人々に一般的に当てはまるのか?
                                     ・・・が、私には分からない

  しかし、「これは一般的にもそうなんじゃないかな?」っとも考えられる

       なぜなら、〝未来〟を考え、煩うのが人間の性質であり
       そして〝未来〟とは本質的に〝未知〟である以上、
       人間にとっては常に「〝未知〟の脅威を感じて緊張している」と
       いう人間の特質は、「地上最強の生物」になる為の代償として
       身につけたものだったのじゃないだろうか?

        OSHO:未知なるもの

私たちの先祖が、猿の群れの木の上での〝楽園〟を追われた日から
私たちは、危険な肉食獣が徘徊する地上でエサ探しをしなければいけなかった

確かに文明による社会形成によって、もはや肉食獣は塀の向こう、檻の中だけれど
今度はもっと危険で難しい〝同族(人間)同士の縄張りや権力闘争〟を余儀なくされた

人間のメス、つまり女は、もはや腕力が強いオス=男ではなく、社会的に総合的な
強者であるオスを探し、結婚という制度、あるいは愛人などの名目でその庇護下に
入ることが先決
で、その庇護のことを〝愛〟という美名で呼び始めた

一方男も、メス=女の占有に便利な〝愛〟という言葉を意識するようになる・・・

      それがさらに文明的な庇護が強くなれば、メス=女は
      もはや生物学的な役割やハンディー(出産、子育て)を
      「単なる人生のオプション」と見なすようになり、
      こんどは「男女同権」を主張しはじめる・・・

      オス=男も、性の占有や家制度が要求してくる大きな献身と
      犠牲、奉仕がバカバカしくなってくるようになると、
      その「女性の自立」に賛同し始める

      一方、社会の〝終身雇用制度〟も、重厚長大な企業システムも
      ハードからソフトに業種がシフト拡大していくと共に、だんだん陳腐化し
      雇用関係は流動化し、柔軟性を余儀なくされる

      男と女だけでは無く、個人と法人とも、もはや、生涯の愛を誓い合う
      関係性はどんどん成立しにくくなってきたのだ・・・・


人生の選択肢が広がってきたことは、間違いなく〝進歩〟ではあるはずだが
それに人間の習性の再プログラミングが〝ついて行けるかどうか?〟は、
また別問題で・・・、

   ・・・ここに「健康や社会的立場、関係性の安定のための〝良き習慣〟」は
     頻繁に書き換えを余儀なくされるという混乱、というか、不安要因が生じる

     昨日の〝常識〟は、今日の〝非常識〟なのだ・・・・

     未来はますます〝未知〟で〝流動的〟に加速していく・・・・
      でもその本質は〝豊かさ〟なのが、ある意味では皮肉でもある

これを「不確実性の時代」つまり、ネガティブ=緊張要因と捉えるか?
    「五次元的多様性」を楽しむようなポジティブ=ワクワクと捉えるかで
     かなり違いはありそうだ

それは「いまここ」の一瞬一瞬にかかっている

「身構え、〝良き〟習慣の自己プログラミング」が、即ち、
「恐れと緊張」の別名であり、もはや有利では無く不利なのではないか?
と、いう決定的な結論が誰にも迫っている時代なのかも知れない

それはある意味
〝自然におこるシフト〟というより
〝超自然的な意識的シフト〟であるといえそうだ

           ・・・なぜなら、これは私たち人間が、自然を超えた環境を
                   自分たち自身にもたらした結果だからなのだ