丹田=無

意味というのは、必ず前後関係がなければ成り立たない
何の脈絡も無く突発的なものには、意味を見いだすことが出来ない

〝笑い〟は、なだらかな話の前後関係では無く
この突然の意味の断絶で起きる・・・・

不意を突かれた時、人は驚き慌てふためき
あるいは恐れるが、笑いが飛び出すこともある

唐突なナンセンス(無意味)さは笑いの原動力だ



笑いには意味は無いかも知れないが
とても意義深い

なぜなら意味から放り出されて笑い転げている時、
人はとても解放されているからだ

逆に、人は意味を問うている時、深刻:シリアスになっている
ひとが人生に説明を求めている時、それは惨めな証拠だ

その穴埋めに人は説明や、意味を求める

意義が不在な時、意味を求める
意義深い時を過ごしている時、意味を問う者はいない

意味とは意義のチープな代用品なのだ

意味というブロックを、延々とピラミッドのように積み上げていくことは
出来るだろうが、その頂上に「意義」が君臨しないのならば
それらの「意味の巨大なピラミッド」は冷たく死んだままだ


丹田の中心に居る時、それは意義深い

  笑い、解放、くつろぎ・・・・  これらは〝無〟の体験だ

         そこにおいては意味を問う必要は無い
           そこにおいては一切の問いは無用だ