OSHO 自分自身を愛しなさい。

なぜ他人に理解を求めるのか?
なぜ他人に理解を求め、承認を求め、それが得られないと
ヘコむのか?

・・・それは、まずは根底として〝自分が自分を信じたい〟からじゃ無いか?

   だったら、他人を迂回せずに、周囲を鏡として利用せずに、
   きょろきょろすることも無く、占いを迂回する必要も無く・・・
    ただ、もてばいい!!  ・・・自分自身への信頼を!!!

しかし、
 誰かが同意してくれた方が心強い?
 賛同者が居る方が自信が持てる?  それは本当だろうか?

 誰よりもまず、自分が自分を信頼してこそ、全てが動き出すのでは無いだろうか?

  だって、思いだしてみればいい

                自信に溢れた人が居て・・・、
   自分自身をまずは、   強く信頼している人を見て・・・

     それで、あなたもその人を信頼できるのじゃ無いだろうか?

      その逆に、多くの賛同者に囲まれて安心している人を見て・・・
        それで、やっとこさ胸を張ってみせる人を見て・・・

      そんな人をあなたは信頼できるだろうか?

    信者やら、サポーターやら、お友達やら、権威者に囲まれて、
               周りを見渡して、やっと安心できる人を見て??

     ・・・・・あなたの自信は多数決で決まるのか?

     ・・・・自分自身からの信頼よりも他人からの信頼の方が価値があるのか?



これは愛に関しても同じだ

自分自身を愛せない人は誰かに愛を請う・・・

自分自身を肯定できない人は、うぬぼれに走る
うぬぼれとは、ニセモノの、誇張された自己肯定だ・・・・

   ・・・・・そんな〝愛〟そんな自己肯定で
              何か〝根付く〟ものがあるんだろうか?

エゴとは、外向きの自己愛だ

自己愛とはその字の通り、内側に向かってこそホンモノで
  外側・・・ 「誰か」や「何か」に向かって叫ぶ自己愛とは、
         ただただ、選挙カーのスピーカーの様に姦しい・・・

「他人に向かって主張を繰り返す自己愛」・・・それ自体が言葉の矛盾だ

世の中の醜いもの、見苦しいものの殆どは、そういったものだ・・・・

尻が痒いのに、膝をかきむしって、血が出ている・・・・
自分の尻が痒いのに、他人の尻を追いかけて掻いて上げようとする・・・・

そんなアホな毎日を今日も送る私たちであった・・・

尻が痒いなら、その痒い自分の尻を掻けば良いだけだ