わたしは長い間、
人から理解されない恐怖
人に必要とされずに無視される恐怖と闘ってきた

しかし、わたしは幸運にも
他人を理解することに長けた人物、
人に必要とされて追いかけ回される人物を
間近で見るチャンスに恵まれて
「他人から必要とされる恐怖」も目撃できた

多くの人が、お金を追いかけ回さなければならない苦痛を
体験しているだろう

でも、わたしは幸運にも
お金から追いかけ回される苦痛の人生も
ある具体例を聞く事が出来た・・・・

そして思うのは、他人を羨むことは本当に愚かだと言うことだ

(※ 質問  嫉妬とは何ですか

敬愛するOSHOの人生でさえ、ある意味では羨ましくはない
ハタからみて素晴らしい人生ではあるが、マネなんぞしようものなら
とてもじゃないけれど、多分耐えられないだろう

人は皆、他人の人生の部分的な断面だけを観て羨ましがるが
その結果、自分自身の人生を全うすることが出来ない

これこそが人間の孤独感の根底だろう

例え今回の人生が終わっても、この地上に舞い戻ってこなければ
気が済まなくなる・・・

温もりを求めて、また、馬鹿な両親を探してそのセックスの中に
潜り込まなければイケナイだなんて!!!

      ろくでもない  全く馬鹿げている!!!

もういい加減、自分を試していじめるのはやめるべきだと思う

わたしは今回生まれてくる上で、

  「誰にも、何にも成りたくないということ」
   「何も偉大なことを成し遂げたい分けではないということ」を
       ・・・この地上で生きている間に何とか思い出したい!

          そんな悲願を抱いて生まれてきたに違いない・・・・

だから、
「大人になったら何になりたいか?」という
学校の作文課題に、常に白紙回答していたのだ

それで正解だったのだ!
そんな小学生だったときの自分の勇気に、
いまはエールを送りたい

しかし、その勇気は忘れられてしまった
充分な自覚が無かったが故に、
たとえ〝正解〟であったにせよ、私本人が
明確に正解であったと確信が無かったのだ

・・・その確信を得るために52才までかかってしまった

ひとつの区切りが付いたのだ

私は
誰にも成りたくない
何も成し遂げたいとは思っていない

人に伝えるべき事、人に理解を求めるべき事など、なにもない

そう明確に自覚することが
もっとも成りたかった自分で有り
もっとも成し遂げたかった事だ

わたしは本質的にニートの魂、ヒキコモリの男だ

それをもう、恥じるのをやめたいと思う

  それで、   ・・・・よかったのだ

そんな自分自身に「いいね!」して上げたいと思う(笑)

でなければ、こんなアウトローの私に
 誰も「いいね!」なんかはしてくれないだろう
  いや、してもらっても、何の意味も無い・・・・のだ

  それが、   ・・・・わかったのだ