前記事と関連した話なので連投する

ひとつの記事に詰め込んでしまうと、それだけ内容は濃くなり
有機的な繋がりを持たせることが出来るのだけれど
それはこのブログを読んでくれるあなたを疲弊させてしまうだろう

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国家の単位で考えたとき
個々人は使い捨ての働き蜂で有り、切り捨て可能な部品と見ることが出来る

いま、少なくとも名目上は民主主義の時代ではあるから
司法の場で個人が国家を相手に賠償請求することだってある

でもそれだって、全くの個人の我が儘を聞いてくれるわけでは無いから
国家と個人とは対等では無いと言えるかも知れない

国家というのは、実際は人格なのでは無く、個々人の集団が形成する
単位なので、国家を個人が訴える場合、実際には多くの人々の公共性に
照らして、その個人の訴えが公共性を持っているかということが争点になる


個人の訴えに公共性がある場合、それはつまりその個人に起きたトラブルが
誰にとっても起こり得る要素を孕んでいるから「公共性がある」わけだ

そのとき、その個人は全ての人々の縮図である

もちろん性別、年齢、職業・・・これらは人によって違うが、
たとえば理不尽な暴力を受けた場合、それを国家がサポートできないならば
他の「理不尽な暴力を受けた個人」が現れても、その国家は何もしてくれない
と言うことを意味している

もちろん個々人の我が儘を無限に聞いていたら国家は破綻してしまう
人と人は皆、シチュエーションは皆違うのだから、「平等」であることは
実現不可能だが、「公平」であることなら可能だし、それは必要不可欠だ
「不当な差別」は公平ではないが「正当な区別」がなければ、
男女のトイレの区別さえ無くなってしまうだろう

「壁」を全て壊せば「平等」にはなるだろうが、性別、年齢を含め、
個々人の違いが尊重されない・・・

    ・・・・「公平」には「壁=区別」が必要なのだ

だから天皇陛下が人間宣言をしたと言うことが、即、何から何まで
人々とまぜこぜにすると言うことではないし、「日本国民の象徴」としての
お役目を担ってもらう事に、日本という国家、国民の代表である政府が
それなりの処遇をするのは当然なのだ

・・・べつにそれが「民主主義に反する」事なのではない


「国家」というのは、その字の通りひとつの大きな「家」だ

大きすぎて「家」には見えないが故に、人間の姿をした象徴が必要なのだ
だから天皇家とは、一種の「ひな形」だとも説明できる

天皇家とは西欧的な「支配する一族」ではなく、「かがみ=鑑」だ

1/2 戦前の日本はユダヤの理想

ジャン・ジャック・ルソーが言うところの「君民共治」を象徴するものとしては
六十四卦の「風沢中孚(ふうたくちゅうふ)」が思い浮かぶ
親鳥と雛とのまごころを仲立ちとした関係だ
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何かの「主義」とか「信念大系」とか「実利」が、他人同士をつなぐ
強い絆となるが、本当の絆とは風沢中孚が表現するところの
「空」を仲立ちとした密着性だ

天体の運行が人間の運命を左右しているらしい?
だったらそこに何か重力波が?それとも微細な電磁波が?介在しているのか?

私たちはすぐに、「介在する〝もの〟」を憶測する

しかし、そこに「空=クリアランス」「適度な距離感」があるからこそ
互いの慈しみが生じ、絆が生じるのでは無いか?っとはナカナカ考えない

空間とは、
「AとBとを引き離す」だけではなく
「AとBとを結びつけている」ものでもあると私は思う

たとえば、金魚鉢の中の二匹の金魚を思い浮かべれば良い
そこに水という空間があるからこそ二匹の金魚は生きることが出来、
それぞれが自由に泳ぎ回る事が出来るが、それと同時に
金魚鉢のなかのひとつの世界を形成しているのだとも言える

ひとつの環境を共有しているのだから、その金魚鉢の中の水の状態を
調べれば金魚たちの状態はある程度察しが付くし、二匹の金魚は、
互いに「わかり合おう」としなくても互いの状況に察しは付く
同じ生活環境を感じているのだから・・・

つまり、これこそ「パイシーズ=魚座」の世界観だ

仏教で言うところの「阿吽(あ、うん)」もこんな世界観だと思う

本来空間には「境目」はない、空間を物理的に切り裂ける刃物など存在しないのだ
なぜなら刃物自体が空間の一部だからだ・・・

ディメンジョン=「壁」とは人間のマインドのみに存在している
それは、動物同士の「なわばり」から進化した幾何学的な概念だ

この「区分け」ゆえに、シンクロニスティーはオカルティックに考えられてきたが
野生の生物にとっては別に大げさな話ではない

弱肉強食という見かけ上の厳しい生存競争はあっても、
「喰うもの」 「喰われるもの」 同士でさえ、同じ生態系で隣接する家族なのだ

  ・・・それゆえ、自然のリミッターが働き、無益な殺生など動物たちはしない
     動物たちには冷蔵庫は必要ないのだ


この空間を共有するもの同士、すべてが、家族として繋がっている
家族がわかり合うことに、何の因果関係も必要ないし、不思議もありはしないのだ

いま、わたしたち人間も、この〝当たり前の一環〟に帰ろうとしている

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