11.Ordinariness   普通であること

ただ普通であることが奇蹟です。
何者かになろうと渇望しないことが奇蹟です。
自然が自らのコースを取るに任せましょう。
それを許すことです。


禅のマスター、盤珪(ばんけい)は、たまたま自分の庭で
庭仕事をしていた。ひとりの求道者がやってきて盤珪にたずねた。

  「庭師、マスターはどこにいる?」

盤珪は笑って言った。

  「あの扉--あそこからなかに入るとマスターがいる」

そこで男は入っていって、
内で肘かけ椅子に坐っている盤珪、---
---外で庭師だったその男に出会った。

  求道者は言った。

  「からかっているのか?その椅子から下りろ!
   神聖を汚すことだぞ!お前はマスターに敬意を
   払っていないではないか!」

盤珪は椅子から下り、床に坐って言った。

  「もう椅子にマスターはいないだろう
         --私がマスターだからだ」

偉大なマスターが、
それほどにも普通でありうるということが、
その男にはむずかしすぎて分からなかった。

彼は立ち去った        ……そして逃した。




ある日、盤珪が自分の弟子たちに静かに教えを説いていると、
別の宗派から来た僧に話を遮られた。その宗派は奇蹟の力を
信じていた。

その僧は、自分の宗教の創始者は筆を手に河岸に立ち、
対岸にいる助手が手にしている紙きれに聖者の名前を
書くことができると自慢した。

そして彼はたずねた。

  「あなたはどのような奇蹟を行うことができるのか?」

盤珪は答えた。

  「ひとつだけだ。腹が減ったら食べ、喉が掲いたら飲む」






唯一の奇蹟、不可能な奇蹟は、ただ普通であることだ。
マインドの望みは並外れたものになることだ。
エゴは認められることを渇望する。

  あなたが自分の【誰でもなさ】を受け容れた瞬間(とき)、
  あなたが他の誰とも同じように普通でいられる瞬間、
        あなたがどんな証明も求めていない瞬間、
あなたがあたかも自分は存在していないかのように存在しうる瞬間--

         それが奇蹟だ。

力はけっしてスピリチュアルではない。
奇蹟を行う人びとはどのような意味においてもスピリチュアルではない。
宗教の名のもとに魔術を広めているだけだ。それは非常に危険だ。



あなたのマインドは言う。

  「このどこが奇蹟なのか?
   腹が減ったら食べて、
   眠くなったら眠る、とは?」

だが、盤珪はほんとうのことを言った。
あなたが空腹を感じると、マインドは言う。

  「いや、私は断食をしているのだ」

空腹を感じていないと、腹が満たされていると、
マインドは首う。

  「食べつづけるのだ。この食べ物はとてもおいしい」

あなたのマインドが邪魔をする。




盤桂は言っている。

  「私は自然とともに流れる。
   私の存在がなにを感じようとも、
   私はそれをする。
   
   それを操っている断片的なマインドはない」

私もひとつだけ奇蹟を知っている。
自然が自らのコースをとるに任せること、それを許すことだ。






               ROOTS AND WINGS,P.212-221