それはユダヤの民の“バビロン捕囚”からだろう

それまでも、“強きが弱きを隷属化する”どらまはあったのだろうが、
それは、ある意味での自然淘汰だったともいえる。

しかし、ここに「神に選ばれたハズの」人々が、奴隷化されるという事態が起きた。


つまり、「信仰が現実に屈服した」瞬間が訪れたのだ。


この瞬間から、イルミナティーの歴史は始まったと言ってもいいかも知れない

イルミネーションとは、「太陽の光」ではない
クリスマスツリーの様な、「闇の中のキラキラした光」のことである


まず、「この世は闇だ」という認識があり、
そして、「われらはこの闇の中で光を求める」という探求の旅が始まる


OSHOは何度も「Don't Search !!」(探すな!)と言っている
つまり、「探す」と言うこと自体が、「いまこことは闇だ」と言い聞かせていることになるからだ

ナイト・アンド・デイ...すべてが闇に包まれ、光が気の遠くなる様な彼方のような時もあれば
すべてが太陽の光に包まれ、闇がむしろ人々の憩いとなる様な“木陰”である時もある。


イスラエルという国名はそもそもは「水晶の国」という意味なそうな....

「われらは選ばれた民である」と言うことの意味を、表層的に解釈するならば
それは優越感、選民意識である。

サンバディーであること、...何者かであると自分にアイデンティティーを冠する
ことは瞬間の快楽を与えてくれる。  いろいろなものが「特別に」付与される特権が
保証される様に見えるからだ。

だが、もしそのとおりだとしても、そこにはとんでもない、とてつもない“代償”があることに
遅かれ早かれ、人は気がつく。


人の高みに登る者、孤独の罰を受けるべし.....


〝王〟というのは、〝特権者〟〝権威者〟というものは、本質的に
凡庸なるひとびとの依存性の「いけにえ」なのだ


彼らは常に、指導者、オピニオンリーダー、教師、救世主...いけにえ、をもとめているのだ

そして、そんな「奴隷になりたい」ひとたちの為の奴隷、いけにえ...それが、王、であり、神の選民なのだ


しかし、それに気がついたときには、もう「神の座」から降りる為のはしごは、とっくに外されている
あるのは登り詰める為の階段だけ、そして、その頂上にあるのは、十字架だけだ。


選民意識、救世主、特別な誰かさんであるということは
永遠の死の恐怖への隷属を意味する



「にげよ、にげよ、すべてのジュネーブから逃げよ!」
ノストラダムスの警告が、聞こえる

それは快楽と不安の魔境(六本木)
その代償は、奴隷と支配との連鎖