常に何か生産的でなければいけない
常に何か前向きでなければいけない
常に何か向上してなければいけない

という強迫観念に取り憑かれている人にとっては
「待つ」ことは「死の危険」に等しい

そこに常に「意味」や「価値」がなければ
人々は大慌てで立ち去ろうとする

だから常に、「いまここ」に立ち止まることなど出来ない

物理的には常にわたしたちは「いまここ」にしか居られない
それはみんな知っている

しかし心理的にはだれも「いまここ」には居たがらない

なぜなら、 いつも「前向き」に「よりよい」「いつかどこか」が
        あるに違いないと思い込んで、
         自分自身をせき立てているからだ

その「あるべき人生、パーフェクトなゴール」は、
   自分の肉体の終わりをひとりぼっちで目前にした瞬間まで、

             夢の中までも、ずっと続く、追い回してくる

それがありとあらゆる「心配のタネ」を、「葛藤」を発生させ続ける

子供が出来て、自分自身に関しては一区切りも着くだろう
でも、休む間もなく、今度は子供のパーフェクトな人生を
「親の愛」という大義名分の許に追いかけはじめる

         ・・・自分自身の時以上に、狂った形相で!


                  ・・・これが「欲望」の世界だ

DEVILMAN_05_129


クリシュナムルティーが
「社会改革ではなく、心理的な革命が必要なのだ」
っとコブシを握って力説している事・・・・・・・・・

OSHOがいう「唯ひとつの革命」・・・・・・・

                 それらはこのことだ






         「欲」

  それは「いまここ」にある〝欲求〟にすぎない、他愛のないものだ
  「おなかが空いた」とか、「 眠い」「寂しい、みんなに構って欲しい」・・・

   原始的で子供っぽいかも知れない、しかし、自分に率直な欲求だ


 しかし、   「望」は?

それは
「でももし・・・」という不安によって、
    「いまここ」から踏み出してしまう、

「いつかどこか」
「あるのか?ないのか?」
    分からないことに彷徨い出してしまっている・・・

   これもまた、欲と同じく 「他愛なく」見える
    しかし、この「望」とは、際限のない無限の不安の妄想だ
    これは本人の精神を破壊し、恋人や家族をノイローゼに追いやり
    さらにパワーがあればその社会全体を飲み込んで狂気に陥れる

    なぜなら、多くの人がすでにこの同質の狂気を
                 多かれ少なかれ持っているからだ

        これが「領土を侵略される不安」にまで拡大する・・・・
             「宗教的信念」同士の衝突にまでエスカレートするのだ


わたしたちは信号機の前で立ち止まることは出来ない

私たちは一瞬たりとも待つことは出来ない
この瞬間に 

「ソヴィエトが攻めてくる」かもしれないじゃないか?

   え?ソヴィエトなんてもう無い?  じゃあ

 「中国人の漁船が尖閣諸島に乗り込んでくる」かもしれないじゃないか?
  「イスラムの過激派が日本を襲うかも知れないじゃないか?」

           恐怖、不安と、欲望とは同じ仮面の裏表一体なのだ