「STAND ALONE COMPLEX」という言葉を直訳すれば
「複雑に絡み合ったただひとつのもの」というところか?

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX


OSHOが弟子の質問に対してこう答えている

「そうだ、リラックスというのは、じつに複雑な現象なのだ・・・」

これは、瞑想に興味を持つ誰もが意外に感じるかも知れない
なぜなら、ノーマインド(思考のない)状態とは、
とてもシンプルな状態に思えるからだ

でもこのブログでしつこく書いてきたことだけれど
ノーマインドというのと、「マインドを排除する」のとは
結果的には同じようでありながら、大きく違う

「思考停止」することが瞑想状態ですよね?と尋ねられれば
これは「否」ではないだろうか?

思考というストリームは流れ続ける・・・  ただそのストリームに
アイデンティティーを持って行かれず、その雲の隙間に覗く青空こそが
「汝それなり」ということなのだ

   ・・・雲も浮かんでいる、それら大空のすべてが・・・「それなり」



それらは実に様々な、複雑な要素を含みながらも、
対立して存在しているのではなく、相互に解け合っているのだ

   ここに「良いモノ」も「悪いモノ」もなく、
        排除すべきモノが何も無いときだけ
          私たちは、「くつろぐ」事が可能だ

だって、「排除すべきモノ」があったのでは、奮闘が続くことに成るじゃないか?



「シンプルになろうとする・・・」

なろうとする・・・っというのはつま思い込みの実現」であり
                          それは信者の道

何かの信念体系に埋もれてしまえば、
ひとはいつもインスタントな回答の中にいられる

何かあれば、何か起これば、回答はシンプルに出る
なぜなら機械的に反応できるからだ

牡牛座 21度:開かれた書物の一文を示している指

・・・・たとえば、ホメイニは、コーラン以外の書物を読まず、
       ボキャブラリは200しかないと噂されている。

信者にも、教祖にも、ボキャブラリーは200もあれば充分だ
複雑さは必要ない

  ・・・それでもあなたは
      ホメイニのような指導的なパワーも得られるかも知れない

シンプルな方がむしろ、説得力があり、信者獲得には有利だろう

ところが、「STAND ALONE=ただひとりある」という状態もまたシンプルだ
            ・・・そこではボキャブラリーはゼロでもいい、言葉は要らない

しかし、ゼロ=「無」であると言うことは、同時に「無限」でもある

 そこには底なしの無限性を受け入れたが故の沈黙がある

  その沈黙ゆえに    ・・・・シンプルさは自然に醸し出される

法華経には「無料義経」というのがあるが、
「〝無〟は〝無限〟の義で語ることが出来る」からだ

マトリックス 弾丸2


だから、「STAND ALONE」であることとは、信者とは正反対の在り方なのだ

人は知れば知る程、「自分は何も知らない」というところに追い込まれる
信者は、自分の仲間を増やして、その信念をより盤石にしようとするが
「STAND ALONE」であると、より沈黙に襲われ、静寂に飲み込まれてしまう

だから、そんなひとは政治には行かない
語るべき事は無くなってしまっているからだ
STAND ALONEの人には、信者も理解者も支持者も後援者も無用なのだ