uni=共通の
verse=

いま、この文章を書き始めた私は実在の人物だ・・・・

いま、このネット上に私が書き記した文字を見てくれている
        ネットの向こう側のあなたもまた実在だろう・・・・

わたしからみれば、この文章に興味を持ってくれたあなたは
あなたがわたしに共感してくれた部分において、今この瞬間
「あなたは私」といえるのかも知れない・・・・

あなたからみれば、何か自分の内面の気持ちを私が
巧く表現した文章で代弁していたとしたならば
「わたしはあなた」と言えるかも知れない


でも、私とあなたはほとんどの点で違うだろう

universe

だからたとえこの文章という瞬間の共通項目で私とあなたが
時空を超えて出会ったのだとしても、わたしとあなたは
別のものの見方、感じ方をする
お互いユニークな別の存在だと言えるはずだ

だからこそ互いに、「実在する人物」なのだといえるのじゃないだろうか?


  その「別々のユニークなわたしたち」が共同でうたった詩が、
                     この世界=universeだ

わたしがこの世界で、ずっしりと重い、甘酸っぱい芳香を放つ
1個のリンゴの実をあなたに手渡したなら、あなたも同じ重みと香りを
感じるだろう

わたしとあなたではちょっと別の角度から、別の感性で感じはするだろう
でも、わたしとあなたが手に取ったそのリンゴは幻影ではなく実在する

ちょっと違った角度で同一の物体を見た時、それは立体で見える

「わたし」と「あなた」とはこの世界に浮かぶ別々の目玉なのだ

だから、「わたし」と「あなた」と共同で、この立体の世界を描いているのだ

         それがUNIVERSE=みんなのうた


イエスは二千年前、「求めよ、さらば与えられん」と言ったそうな・・・・
それはこの二千年間正しかったかもしれない

しかしある時点、歴史の転換点から逆転が起きたのだ

「求めて得られる」のは欲望だけだったのだ、物体だけだったのだ

  いま、世界は目を醒ました

   つまり、世界のすべてには、今、命が宿ったのだ


それは本当はこの世界が生まれた時・・・・
すでにそうだったのだが、
その自覚がなかったのだ・・・・

            だから「目覚める」と言うことこそ
                 「命が宿る」のと同義なのだ




目覚めていない、物理的に生きているだけの状態は
到底「生きている」だなんて言えない状態だった

みな、ガマンし、みな、努力し、みな、諦めて死んでいった

   ・・・その連鎖を「いきている」だなんていえるだろうか?


「求めて得られる」のは欲望だけだったのだ、物体だけだったのだ

         いま、

空気読めないキモオタのように・・・
      「追いかけ回せ」ば、
         女の子のようにすべては悲鳴を上げて逃げていく

              みんな生きているからだ!  何もかもが!!

全人類に原罪思想を植え付け、有罪判決を突きつけ
殺し合いを誘発してきたキリスト教は、終わりの時を迎えつつある

自分の子供にまで性的な罪悪感を植え付けた邪悪な魂の親たちの時代は
終わろうとしている



罪悪感の伝道師達が、若い人々の魂を陵辱し、戦争をさせ、
資本主義という製造と消費の巨大な歯車を脅迫観念的に回転させ続けた

かれらは「求めよ、されば与えられん」という言葉の信奉者達だ




わたしたちはもう、
無理心中を要求してくる戦争経済を、
第三次世界大戦を拒否する

原発を拒否する  ・・・たとえ中国人に皆殺しにされても

もう、大地震で脅しても
竹島尖閣で脅しても
日本人人質殺害で脅しても無駄だ

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単純な理由だ

脅しに屈しても、それはさらなる要求を産むだけなのを
“彼ら自身”が証明したからなのだ

「恐怖」つまりは「脅しに対する妥協」の先に待っているのは
永遠の苦しみだけだ・・・死だけが救いの世界だ

「永遠の底なし沼」か? 「この場での死」か?
・・・・そんなのはそれ程難しい選択ではないのだ

それゆえに、この究極の選択は戦後ずっと引き延ばされてきた
つまり「生かさず殺さず」ということが戦後の日本を牛耳ってきた

しかし、こんな愚かしい選択を迫らざるを得ないぐらい
“かれら”もいまや後がなくなってきた、っという証拠だ


2012年07月29日
 開会式『ヘイジュード』の意図