いままで「外の世界」と思い込んでいたものも、実は全部
「inner universe」だった・・・

すべてがインナーユニヴァースであるなら、もうもはや
その時には「外」と「内」とに区分けすること自体に意味が無くなる・・・


「エクルペリメンツ=体験」とは、「あなた」や「わたし」がいてこそ成り立つ

   当然だ


だからこそ、三島由紀夫は自決の前に
「俺が死ねばこの世界は消えるのさ」っといったのは正しいのだ

ではあなたやわたしにとっては
なぜ?この世界が消えないのかと言えば・・・・

     あなたやわたしが、いま、この世界に居るからだ

   当然だ

あなたがこの世界の肉体から去れば、

  ・・・あなたが今見て、体験しているこの世界は
   ・・・・当然、消えてなくなるのだ

         ・・・・・・「あなた」 が 「世界」だからだ



  「体験」と呼称可能なものとは全て「夢」だ
 なぜならば

マトリックス「始まりが在るものには終わりがある」

からだ

それは「マイン・ド=私の~~だった」としてファイル化出来てしまうからだ・・・

では、私が
「それらは全て夢だ」といったからと言って、
それらは「現実」じゃなかったと言いたいのか?・・・否、それは違う

ターミネーター「体験」


「過去、とはすべて〝思い出〟に過ぎない・・・」
しかし、「データー」というのもある意味、実在だからだ

それは、一つのアルバム、一つの圧縮ファイルとしてモジュール化されて
私たちの細胞に保管される・・・・


これらの相互連結、集大成が、「わたし」という感覚を産み出している

それらは、「たかが夢、たかがデーター」されど「確かな実感」なのだ

ブレードランナーロイ0a292d42

  あなたは、私から見れば「来ては去る者」

   わたしは、あなたからみれば「現れて、そして消え去る者」

     それはつかの間のインナーユニバースでの一コマに過ぎないのだが

                 それは「わたし」とか「あなた」といった
                  アカシック・レコードに永遠に刻まれた思い出だ