いままで「外の世界」と思い込んでいたものも、実は全部
「inner universe」だった・・・
すべてがインナーユニヴァースであるなら、もうもはや
その時には「外」と「内」とに区分けすること自体に意味が無くなる・・・
「エクルペリメンツ=体験」とは、「あなた」や「わたし」がいてこそ成り立つ
当然だ
だからこそ、三島由紀夫は自決の前に
「俺が死ねばこの世界は消えるのさ」っといったのは正しいのだ
ではあなたやわたしにとっては、
なぜ?この世界が消えないのかと言えば・・・・
あなたやわたしが、いま、この世界に居るからだ
当然だ
あなたがこの世界の肉体から去れば、
・・・あなたが今見て、体験しているこの世界は
・・・・当然、消えてなくなるのだ
・・・・・・「あなた」 が 「世界」だからだ
「体験」と呼称可能なものとは全て「夢」だ
なぜならば
からだ
それは「マイン・ド=私の~~だった」としてファイル化出来てしまうからだ・・・
では、私が
「それらは全て夢だ」といったからと言って、
それらは「現実」じゃなかったと言いたいのか?・・・否、それは違う
「過去、とはすべて〝思い出〟に過ぎない・・・」
しかし、「データー」というのもある意味、実在だからだ
それは、一つのアルバム、一つの圧縮ファイルとしてモジュール化されて
私たちの細胞に保管される・・・・
これらの相互連結、集大成が、「わたし」という感覚を産み出している
それらは、「たかが夢、たかがデーター」されど「確かな実感」なのだ
あなたは、私から見れば「来ては去る者」
わたしは、あなたからみれば「現れて、そして消え去る者」
それはつかの間のインナーユニバースでの一コマに過ぎないのだが
それは「わたし」とか「あなた」といった
アカシック・レコードに永遠に刻まれた思い出だ
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