「性」それは原始においては占星術十二星座で言うところの
雄牛座の世界、第二ハウス「物理的獲得、所有、支配」の世界だった

まだ人が猿と同等であった時、
現在の猿やライオンのファミリーと同じく、
力の強いボスザルが多くのメス達を独占し、
また、それが
「強く生き残れる遺伝子を受け継いだ子供」を出産する為に、
メスにとっても好都合だった

そしてその「腕力の強さ」は外敵からの防衛に、何より有利だった

ボスザルはハーレムの中で権威を振るっていたが
その代償として、強い肉食獣の乱入や、若くて強い雄の猿の挑戦に
立ち向かわなければいけなかった

この「闘争」こそがメス達を独占する権力の代償であり
それが十二星座「おひつじ」、全十二ハウス中の「第一ハウス:生への衝動」が
象徴するものだ

つまり、筋肉隆々の若くて強い磯野波平をイメージして欲しい

そこには当然牧歌的なサザエさんのホームドラマとはかけ離れた
家族の風景があっただろう



マスオさんもまた筋肉隆々のチャレンジャーであり、波平が力に勝る時には
マスオさんはフルボッコなって敗退するか、あるいは殺されただろう

第二、第三のマスオさんが襲来する毎に、群れは騒然とし、メスと子供達は
怯えながらその新旧の闘いの経緯を見守っていたに違いない

しかし、老いてきた波平ザルはいつかはチャンピオンの座を奪われ、ひとり
群れを去り、孤独に死んでいった



この時代にオスとして生まれることは、メス、つまり母親を独占できるのは
幼児期だけであり、父の座を奪えない以上、それは死か?あるいは群れから
放逐されることを意味していた

ここにネオテニーという、唐突な進化の法則の原因があるのかも知れない
つまり未熟、奇形のまま放逐された子供が生き残ったのだ

この時代、メス達は強いボスザルの独占物であり、そこで可能な限りの
安心を得て、子育てに専念できた

しかし、この下克上はだんだん変化してきただろう

森の楽園を父から追放された若い猿たちは、多くは平地の肉食獣に
喰い殺されながらもいつしか腹違いの兄弟のオス同士の集団を
形成していったに違いない

  ※わたしたちが時々見る「落下する悪夢」は、この時代の記憶かも知れない
    猿にとって、木からの落下とは、死を意味する

それは一極支配ではなく、チームワークによる生き残りを形成していっただろう

彼らは死の草原に追いやられた。肉食獣に怯え、逃げ延びながらも
狩りをし、相互に警備し合っていくウチにボスザルの一極支配とは違った
別の楽園を集団行動の中で形成していった

オスの若者達は知恵を付け、見事なチームワークによって
ボスザルの一極支配の群れからメス達を器用な陽動作戦で
次々強奪していったのではないだろうか?

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メス達は生活環境の激変が何をもたらすのか? 大きな不安を感じつつも
その一方で、強さと安定の為だけに一匹のボスザルにセックスを捧げ続ける日々に
ウンザリする気持ちもあったかも知れない

そして、クレバーで鮮やかな恋ドロボウ達の「お手並み」をみて、いままでの
「強さ」とは違った、未知の「強さ」を直感的に感じ、何かワクワクした興奮を
感じたのではないだろうか?


強奪された花嫁達を待っていたのはボスザルに身の安全の為だけに
性を差し出した日々とは違う、まったく別の初夜の体験だったのではなかろうか

オス達は強奪してきたメス達を仲良く分け合った

「おまえはその娘だな?よし!おれはこの娘がいいな!」っといった具合に・・・・

もう腕力による王座の奪い合いがバカバカしくなったオス・・・いや男達の集団は
この時、生まれて初めて自分専用の妻というのを持ったのだ


 ここから猿と人間とは急速に枝分かれしていったのではないだろうか?

力の勝利を得て「木の上」という優位な地位に居残った猿たちは
そのまま現代の猿になり、危険な地上で猿としての生活を失ないつつ
必死に生き残ったグループが・・・・私たちなのではないだろうか?

・・・・だんだん二本足で立ち、遠くまで見渡して索敵していくウチに、
両手が使えるようになり、前足が道具を使える「手」へと変化してきた
その器用さは脳へのフィードバックを活発にし、さらに頭を支える直立は、
木の上で暮らす尻尾を無用にして大脳の肥大化を促進させた

集団行動はだんだん複雑な発声を必要とし、そして言葉という相互通信手段を
発達させた、これが双子座、第三ハウス「学習・コミュニケーション」の世界だ

この進化の過程で、生存競争の大きな革命は確定的になっただろう
つまり、筋力的な強さから、知力的な強さへと、「強さの尺度」が飛躍ししたのだ


チカラで奪い合うことから卒業した彼らは互いのカップルを尊重することになった
これが「一夫一妻」のはじまりとその理由ではないだろうか?

   ※かに座=第四ハウス

・・・それはボスザルのハーレムからのリバティーを意味していた
「一夫一妻」カップルの相互尊重の中に、最初の「民主主義」が萌芽したの
かもしれない  ・・・ここに「血筋」「血統」さらには「家系」という概念の始原がある


  ただし、「花嫁強奪劇」には、微妙な歪みもあった

それは、家族形成のスタートラインに「奪った者」と「奪われた者」との関係性が
刻まれていることだ

女性達には、
人生を「強奪され」「捧げさせられた」という被害者の言い分と特権があった
さらには子供は女達の胸にあった・・・女性達は、無論子供がカワイイというのも
あっただろうが、この原始の時代から自分の子供が夫に対して「人質」に使える
という邪悪な思いつきを密かに得ることになった

それゆえに夫達は皆、自分たちが強奪してきたはずの妻達の尻にひかれ
愛情を表現し続けると言うことが「義務」として課せられた




男達がこの状況において、「名誉挽回」出来るのは、「他の部族からの侵略」に
立ち向かう時だった  ・・・この時、命がけで妻や子を守る勇気をふるった時
男は「立った」

この「男を立てる文化」こそが日本文化だ


  ※しし座(支配性:太陽) 第五ハウス

妻や子供、そして老いた両親、祖父、祖母達・・・

これらは家族を構成するメンバー・・・つまり
「家」とは何か?といえば、家屋とはあくまでもハードウエアーに過ぎず
その柱は「雄々しく凜々しい父、夫、長男」の姿
「外に待ち構える七人の敵と戦い続ける男の誇り」であり、
それは家紋を背負うことであった

「家紋とは何か?」ここには日本の男系文化=ソフトウエアーの意味の全てが
凝縮されている

これをわからなければ、日本とは?、ハラキリの文化とは何か?は理解出来ない
これがわかれば、それらは自動的に理解出来る

「家紋」とは戦場に咲く華なのだ!!
「この家紋にかけて、私は正々堂々と闘う」という誓いの印なのだ

つまりもっと端的に言えば、戦(いくさ)とは単純な動物同士の生存競争、
縄張り争いなのではなく、人と人との名誉をかけた命のやり取りだと・・・・

                    ・・・「家紋」はそれを語っているのだ


    日本文化というのは公家のオモチャなのではなく、
    血で綴られた「人間としての覚悟の歴史」であった
    「お家の価値」とは、この上に建てられたものだったのだ


    男にとって妻とのまぐわいとは、「命のバトンタッチ」そのものであった
    女性、妻にとってはそれは大切な宝であった

     今の女性達に聞けば「壁どん」してもらいたい男性とは?
     っとたずねれば、「イケメンならオッケーよ」という自分の好み
     気まぐれな曖昧な答えが返ってくる・・・これが如何に不幸なことなのか?

  現代、女性達は「イケメン」を漁っている

  それ程までに生まれてこの方、本物の男を見たことが無いからだ

   では、この国に男が居なくなったからなのか?
   ・・・いやそれはとんでもないことだ

    おとこたちは、いまでも愛する者達に命を捧げる場所を血眼になって
    探していて、それゆえのネトウヨであったり、それが見つからない
    虚しさ故の、ニート。ヒキコモリなのに過ぎない


    いまでも

    日本人の男性の遺伝子は、
    「死ぬべき価値=大義ある戦場」が見つかれば
    今この瞬間だって爽やかな笑顔で颯爽と駆けだして行くであろう

  ※奉仕と献身の「おとめ座」、第六ハウス

    しかし、化粧の巧いだけのアニメのようなデカ目の女達に
    そういう価値を感じないだけだ

http://i.ytimg.com/vi/d85trGdaG9g/hqdefault.jpg


    それ故の「草食系男子」「悟り系男子」なのだ


    「男子の本懐」を遂げる場所がない現代
    いま、男達はそのさらに上の次元を目指す

       ・・・・・それが自分自身からの脱皮 「エンライトメント」 だ


   ※てんびん座:「内面の日の出」、第七ハウス