記事「フリー」では女性の本質的な「娼婦」体質について述べた

   誰か特定のパートナーだけに操を立てれば女性は「貞淑」と呼ばれて
   社会は称賛してきた

   女性が己の性に関して自由奔放に振る舞うと、それは「淫売」と呼ばれて
   社会は非難した




    男性はともかく、特に「いわゆる貞淑な」女性にとっては、
    他の女性達の性の自由奔放さは糾弾の対象だ

    なぜか?

    理由はカンタンで、これは嫉妬だ

    もし、自分が女としての魅力を信じており
    また夫と共に老いていって女性としての若いときの様な華々しさを
    失っても、夫との絆に強い確信があれば、周囲が性的に幾ら乱れていても
    「若い人達は不衛生ねえ・・・」「本当の絆を見つけられないと大変ね」
    ・・・・と溜息をつき、それ以上の危惧は感じないだろう

   女としての自信が無い(セルフイメージが低い)女性が、
   「早期の売り抜け」で結婚を焦ることはもはや社会常識だ


   他人の自由奔放さへの強い憎悪を伴う攻撃性は
   「性」だけに限らず、すべてにおいてそれは嫉妬だと言えるだろう

   ゴーダマ・シッダルータが求めた「生老病死の原因」
   への解答はここにある

   つまり、他人への「嫉妬」「羨望」とは
   「世界を自分の満たされない欲望、劣等感、被害者意識を映し出す
   投影スクリーンにする」行為であり

   それが

   「天上天下唯我独尊」の永遠の自由の楽園から
   私たちが転げ落ちた原因だからなのだ

   若者に嫉妬するブッダをあなたは想像できるだろうか?

   でも若者とディスコで楽しく踊る釈迦やイエスなら
   私は大いに有り得ると思う

   

   永遠の「若さ」を見いだした覚者は、決して若者達の
   自由奔放な姿を咎めて嫉妬したりはしないのだ

   わたしが彼らを「救世主」という依存の対象ではなく
   「アニキ」と呼ぶのはそこなのだ


   かれらが踊る姿は、何よりも美しくカッコよく、生き生きとして居るだろう



     彼らの様な人達は嫉妬するのではなく、
          老人達に嫉妬されて、殺される運命にあった

   世界一美しいダンサー達を、老人は殺さざるを得ない

   そして世界一醜い人々とは、
   ダイエットだのアンチエイジングだの不老不死を求めて
   高価な化粧水や健康食品を消費する女達なのだ!!


この嫉妬による老化の現象とは、社会(=人々の集団幻想)が
「一夫一妻制」に抱くノスタルジーを根底にしている

私たちが本当に渇望しているのは
「自分の中にあるありったけのエネルギーをリリース出来る・・・」
  完全燃焼の人生だ

その「ありったけのエネルギー」とはクンダリーニのことである


そして・・・・
   「それ以外のエネルギーは私たちは持っていない BY OSHO」

通常のセックスにおいて、「中」というのは女性の膣内であるが

  しかし、
   私たちは純粋意識としては皆「男」であり
   私たちは肉体存在としては皆「女」である

   「可視の魂が肉体であり、不可視の肉体が魂である  BY OSHO」

なので、「中出し」とは女性の膣内と言うことではなく
私たちのそれぞれの内奥なのだ

性のダンスにおいて
   男性原理にとってはそれは「おわり=死」であり
   女性原理にとってはそれは「はじまり=誕生」だ

    「放出する」というのは通常「外」を意味するが、それが「内向き」である時
     この「おわりとはじまり」のリングが閉じる、それが「中出し」である

      この瞬間に私たちは「永遠」を感じる
      それは次の世代の妊娠と出産の為にクンダリーニが向かうのではなく
      ひとりの人間の中での男性原理と女性原理の結婚だ

      この時、ひとりの人間の中に「円周率=パイ」(直径=ペニス 円周=膣)
      が無限の速度で光速を超えて回転しはじめる


私たちは自分の問題を内側で熟成させ、見つめることなく
外界に投げつけていたのでは、いつまでたっても「妊娠」しない・・・


わたしたちはみなひとりになることで自己妊娠できる
ワンネスを孕み、ワンネスをこの三次元に出産することが出来る

この一年、私はみなんさんに異なる答えを与えてきました。

しかし、今、私は、その時が本当に近づいていると言うことができます。

神が本当に、あなた方に物理的になるのです。



そして私たちは
 瞬間の中に死に、
 瞬間の中に新生する存在となる

  それが「マン・カインド」という種族の特権だ