以下に人間関係の段階を私なりに生命の樹によって整理してみた
今後また修正が必要かも知れない

生命の樹

欲界においては、まず単純に肉体的な必要性によって
人はいろいろな活動を開始する


  食欲、睡眠欲・・・その他の生存欲

  そして社会的な向上欲、
        知識欲、探究心、好奇心・・・自己拡大欲だ

  それから子孫を残したい、自分をコピーバックアップしたい
       自分がDNAに記憶した様々な記憶を後世に伝えたいという
       性欲だ

これらの欲求が最初の動機になって
次の「情」の世界では、様々なカルマ的(因果律的)な引き合い、出会いが起きる

目の前にある様々な選択肢、様々な存在の中から、わたしたちは、
特定の「何か?」 特定の「誰か?」を「意識的」あるいは「無意識的」に
選択し、そして引き寄せる

   私たちが日常的な意味で言うところの「恋」というのは
   広義では男女関係に限らず、この「(相互)選択」と「引き寄せ」だ


次の「望」の世界では、「欲界」の「いまここ」性から遊離していく

  冷血動物たちは、目の前に飛び込んできたものをパクリと捕食するだけの
  「欲界」だけであり、温血動物は   「(自分の子供であるとかいった)
  特定のえこひいき」  つまり 「情」 の世界までで生きているが、彼らはいずれも
  「生存本能」という<宇宙生命意思からの自動操縦>だけで生きている為に
  脳の機能も単純だ

       ※ でもそれゆえに私たちが彼らを
         「下等動物」と蔑むのは如何なものだろうか?

我々人間だけが、「明日を煩う」というマインドの機能を得た

 道具を使い、複雑な発声と、その複雑化したサイン伝達=言語を
 得ることによって、物事の関連性=概念のネットワーク化、因果律の思惟を
 するようになった・・・・この時多分すぐに「神」の概念も思いついただろう

我々人類は相互の固有の体験を言葉によって共有し、ネットワーク化していった

タチコマ

わたしたちは「いまここ」にあるものだけに満足できないようになり
「いつかどこか?」を考えるようになった

目の前にある食べ物の味と滋養、愛情を込めて料理してくれた
目の前の人の笑顔が見えなくなった
それが私たち自身の関係性を地獄へと変化させたのだ

私たちは占いや予言にしがみつき依存するようになり
そして御利益宗教」が生まれていった


   「愛」つまりハートの次元においては、私たちは自分自身に立ち返る
すべての他者との関係性で盲目になってしまったマインドの言い訳、トリックから
私たちは脱出する

この次元では、もはや私たちは、「いま、ここに幸あり」と宣言できる

もはや自分の不幸を誰に、何に投げつけることもしない
幸福を求めて「外」をうろつき回る乞食をやめる

「内面」が開花したのだ!
「中心とは何か?」「私とは誰か?」「いまこことはどこなのか?」

  明瞭に判る、・・・そこで「愛」する人などいなくなる
             ただ「愛」がここにあるのだ

もはや、このメンタル界においては、人は

「汝の欲するところを為しても、それはエゴからではない」

「全ては愛そうと作意することなく愛の行為となる」


わたしたちはマインドを使いつつも、マインドの奴隷ではなく
わたしたちはマインドのあるじになるのだ

わたしたちがいままで「時間の無駄」と思い込んでいた
「ぼんやり」の状態=DMN(デフォルト・モード・ネットワーク=瞑想状態?)
は脳内における「自己知」の状態であることが解明されはじめてきた



・・・この先も続編を書くと思います、たぶん(笑)