「いまここ」と「無」と「I am (真我)」
この三つは実を言えば同じものだ


「いまここ」といったら時間と空間の単位の様に見える

  でも、
「I am (真我)」の存在しうる唯一の座標のことなのだ

そして「いまここ」は「無」の別名でもある
なぜなら「それ以外のすべて」は「いまここ」に
侵入不可能だからだ

「いつかどこか」「あれや、これや」のものは、
    決して「いまここ」への侵入は不可能だ
   そんな馬鹿なことが起こり得るのは、人間のマインドの中だけでだ

  人間のマインドの中でだけ、今ここ以外のことが起きている
 逆にマインドは「いまここに腰を下ろす」ことだけは不可能だ

「〇△×~について考える」時、〇△×をあなたが「指さした」時に、
その〇△×の中に森羅万象の何が代入されようと
一つだけ明言できることが出来る

     ・・・それらすべては「あなたではない」ということだ

なぜなら指させる対象とは、「あなた以外の何か」だから指させるのだ
だからあなたとは「無」なのだ、あなたとは「いまここ」なのだ



しかし「無」とは、あなたが「非存在」だと言っているのではない!

    「あなたの正体とは無だ!」
        という言葉は、    単に・・・・

    「あなたという存在は
          『指さすことが出来ない』のだ!」

    「〝いまここ〟とは、

      『図式化』したり、『ロジカルに定義』したり
        『皿にのせて誰かに提出する』
              ・・・・なんていうことが不可能な瞬間瞬間だ」

                    そう言っているだけに過ぎないのだ


     ・・・だからこそ

    あなたは、「始まりもなく、終わりもない」
           「無限に成長し続け」「永遠に生きる」存在なのだ