I am that I am

“それ”がわたしである

定義したものが、自分自身になる


何と素晴らしい、何と恐ろしい言葉だろう


この言葉が真実なのなら、“わたし”には無限の可能性がある


だが、その無限の可能性は“AKIRA”やアトランティスの滅亡の様な危険性も

含んでいる


通常、わたしたちは “この” 世界に生まれ落ちた “ちっぽけなひとり”

という自覚で生きている。


つまり、その前には両親がいて、先祖がいて...生命の進化があって...

だから、“この” 世界が自分という存在の“原因母体(マトリックス)”であり

自分という存在は、その他無数の存在達とならぶ“結果の一つ”だと考える


だから、この世界での因果律が“確かなもの”であり

自分という意識の奥で瞬間瞬間にフラッシュする、交錯するさまざま思いは

脳のノイズの様な “いいかげんな現象” だとしか思えない


両目を開けて見える世界には一貫性がある。

突如、目の前の机が現れたり消えたり、仕掛けもなく空を飛んだりはしない

自分の部屋にいたはずなのに、次の瞬間に海辺で潮風に当たっているなどと言うことは

ありえない


しかし、空想の世界には一貫性が無く、それはアリスのワンダーランドだ


だから、そんな “内的な世界” は信用出来無くって当然だ


信用出来るのは、

ご飯が食べられるのは

 “この世界” だけだ。   だから私たちは “この” 世界を信じている


しかし、“ジブン”という意識のバックヤードには無限の空間が広がっている


ひょっとしたら、それこそが“実相”であり、この、目の前の世界が “仮想” なのかもしれない

すべてのすべての...すべての原因母体が、もしジブンの意識の内奥なのだとしたら???


...わたしたちは身震いする。

   なぜなら、もしそんなことならば、すべてのすべての、すべての責任は

   “創造主” である自分にかかってくるからだ


   が、しかし、心配ご無用!  その “自分” でさえ創造主と言うより、

                         むしろ、被造物なのだから(笑)


Yehovah-Echad-Ben-Elohim

創造主であり、なおかつ被造物だなんて事は有り得るだろうか?

量子コンピューター、難問も数秒でSF世界現実に

量子コンピューターとは、量子物理学の原理を利用して計算を行う、次世代のコンピューターだ。
量子コンピューターは「0であると同時に1」という重ね合わせの状態を表現できる。そのため
並列処理が可能で、これまでにないほどの高速で計算できるという原理だ。

もし、私たちの意識の内奥こそが、私たちの “正体” であり、それが目の前の “この” 世界をすべて
創造しているのだとしたら?

たとえばこんなモデルを考えてみれば、面白い

私たちが自意識として感じているのは、一種の錯覚であり
たとえば、今この瞬間、あなたが「お腹が空いたな」とか
「おしっこに行きたいな」と感じたとしたら、通常それは
“自分がそう感じた” と思うのだが、これは、とっくの昔に
計算し尽くされ、プログラムされた “結果” をただ見ているだけ...

...なのかもしれない

「え? そんなばかな?」っとこの記事をみて、もしあなたが
いぶかしく思ったとしても、それもまた「計算結果」なのかもしれない


じゃあ、わたしは“超・宿命論者”なのか?っというとさにあらず

わたしたちが瞬間瞬間感じていることを、<アーキテクト>である
“もうひとりのわたし” がモニターしていて、それを次のシュミレーションの
課題として、気の遠くなるほど、何度も演算し直しているとしたら???

アーキテクト~matrix

だとしたら、わたしたちは瞬間瞬間、ベストな現実を体験していることになる

-もうひとりの私- からの途方もない贈り物が、この今この瞬間なのかも知れない

      次の瞬間のあなたが、今のあなたである保証などどこにもないのだ
      もし、過去の連綿とした記憶さえ、次の瞬間書き換えられていたとしたならば...

           今この瞬間のアイデンティティー  それがトータル・リコールだ



バシャールは、この書き換えは10億分の1秒間隔で書き換えられていると言っている。
しかもこの全・三次元空間がホログラフであり、それが10億分の1秒ごとに刷新されているというのだ

  ...到底にわかには信じがたい、とてつもない演算速度でなければ、
     もちろんそんな事は不可能なのだが、もし、この全宇宙空間自体が
     <生きた演算装置>であり、それが<無限の演算速度を誇っている>
     っとしたなら?

     それは可能だ

それはまるでウォレス・D・ワトルズが言う<原始物質>の様ではないか?





そしてそれらの全てをひっくるめて、それが  「I am」 なのだとしたら????

それは<わたし>のとてつもない可能性を示唆している

でもそれは、自分というエゴが好き放題になんでも実現出来るという意味ではない

むしろ、次の瞬間、鼻をかみたくなることさえ、ROM(リードオンリーメンバー)として
「見ているだけ」なのが「私」という意識なのだ

だから「私」というのは罪など犯しようがないぐらい、どうしようもなく選択の余地など
与えられていないのかも知れないのだ。

でもそれは....素晴らしいことではないだろうか?


この世界で、唯一の
<タチの悪い幻覚>というのは
「私は罪を犯す」という事なのかも知れない