マンションの管理人をしている私は、
週明けの今朝、マンションの住民共用の傘立てでビニール傘を並べてみた。
「ご自由にお使い下さい」と表示している訳でもないが
住民の皆さんは、このエントランスの傘立てから傘を利用していく。
もちろん、そうしてもらうつもりで準備してある傘なので
持っていくのは構わないのだが、
何故か?帰ってくる傘は少なく、
傘立てから嵩はどんどん減っていく。
そしてまた返却してくれる人も折りたたまずに
濡れたまま傘立てに突っ込んで返してくる。
だから(覚悟していたとはいえ)管理人の私が手入れしなければ
この傘立てはどんどんエントロピーが増大していく・・・。
それで今朝思いついたアイディアが、
「お花を生ける様に綺麗に整えておいたらどうだろうか?」だった。
上記の様に整列させてみてふと思ったのは、
「美とは、『意識の存在』なのだ!」ということだ。
逆に無意識である時、そこには乱雑さがあるが故に
「ゴミはゴミを呼ぶ」訳である・・・。
もちろん、
本当は「ゴミ」という意思を持たぬ物体が、
他のゴミに招集を呼びかけているのでは無く、
乱雑さに対する人間の「無意識さ」「無頓着さ」「無責任さ」が
さらなる他の人の「無意識さ」「無頓着さ」「無責任さ」を
引き寄せているだけに過ぎない・・・。
しかしそこに「皆さんに気持ちよく傘を使ってもらおう」という
まごころを込めて整理するなら、
(・・・「誰もが」、ではないにしても)、傘を使おうと手を伸ばした何人かは
その「私の気遣い」に気が付いてくれるかも知れないのだ。
そしてもう少し共用の傘に対しても「心遣い」を返してくれるかも知れない。
だから「美の魅力」とは「(心遣いといった様な)意識の存在感」と同期している。
そこで「美しさ」とは女性的なたおやかさでもあり、可憐さでもある。
そこに命令的な押しつけがましさ、自己主張があってはいけないのだ。
「美の意識性」とは「沈黙のメッセージ」であり、
それに気が付いた不特定多数の人にもまた「内発的な気付き」を
自然に触発した時、はじめて、それが「美しい」のだと思う。
蝶:バタフライが艶やかに羽ばたく様な
英語の「ビューティー」と
日本語の「美しい」とは全く違う。
わたしたち日本人はよく、
国際的な政治などの舞台において
「自己主張が足りない」と言われるが、
ある意味やむを得ないのかも知れない。
陰謀論の世界では、「日本人はバカだ」とよく言われる。
たしかに国際感覚、聖書の世界観において疎いところは多々あるのだろう。
・・・でもそれは本当に、単なる「愚かさ」なのだろうか???
OSHOは自らのエンライトメントを語った時、
「石の強さとは違う、花の強さ」も同時に語っていた。
私たち日本人が持つ強さとは、
まさしくこの「花の強さ」なのじゃないか?っとおもったのだ。
週明けの今朝、マンションの住民共用の傘立てでビニール傘を並べてみた。
「ご自由にお使い下さい」と表示している訳でもないが
住民の皆さんは、このエントランスの傘立てから傘を利用していく。
もちろん、そうしてもらうつもりで準備してある傘なので
持っていくのは構わないのだが、
何故か?帰ってくる傘は少なく、
傘立てから嵩はどんどん減っていく。
そしてまた返却してくれる人も折りたたまずに
濡れたまま傘立てに突っ込んで返してくる。
だから(覚悟していたとはいえ)管理人の私が手入れしなければ
この傘立てはどんどんエントロピーが増大していく・・・。
それで今朝思いついたアイディアが、
「お花を生ける様に綺麗に整えておいたらどうだろうか?」だった。
上記の様に整列させてみてふと思ったのは、
「美とは、『意識の存在』なのだ!」ということだ。
逆に無意識である時、そこには乱雑さがあるが故に
「ゴミはゴミを呼ぶ」訳である・・・。
もちろん、
本当は「ゴミ」という意思を持たぬ物体が、
他のゴミに招集を呼びかけているのでは無く、
乱雑さに対する人間の「無意識さ」「無頓着さ」「無責任さ」が
さらなる他の人の「無意識さ」「無頓着さ」「無責任さ」を
引き寄せているだけに過ぎない・・・。
しかしそこに「皆さんに気持ちよく傘を使ってもらおう」という
まごころを込めて整理するなら、
(・・・「誰もが」、ではないにしても)、傘を使おうと手を伸ばした何人かは
その「私の気遣い」に気が付いてくれるかも知れないのだ。
そしてもう少し共用の傘に対しても「心遣い」を返してくれるかも知れない。
だから「美の魅力」とは「(心遣いといった様な)意識の存在感」と同期している。
そこで「美しさ」とは女性的なたおやかさでもあり、可憐さでもある。
そこに命令的な押しつけがましさ、自己主張があってはいけないのだ。
「美の意識性」とは「沈黙のメッセージ」であり、
それに気が付いた不特定多数の人にもまた「内発的な気付き」を
自然に触発した時、はじめて、それが「美しい」のだと思う。
蝶:バタフライが艶やかに羽ばたく様な
英語の「ビューティー」と
日本語の「美しい」とは全く違う。
わたしたち日本人はよく、
国際的な政治などの舞台において
「自己主張が足りない」と言われるが、
ある意味やむを得ないのかも知れない。
陰謀論の世界では、「日本人はバカだ」とよく言われる。
たしかに国際感覚、聖書の世界観において疎いところは多々あるのだろう。
・・・でもそれは本当に、単なる「愚かさ」なのだろうか???
OSHOは自らのエンライトメントを語った時、
「石の強さとは違う、花の強さ」も同時に語っていた。
私たち日本人が持つ強さとは、
まさしくこの「花の強さ」なのじゃないか?っとおもったのだ。