We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

2017年10月

物心ついたときからわたしは
絶対零度的な静寂と無為を求めていた
それはこの世に溢れかえる様々な
目的志向や信念体系の虚偽性を暴くには有利だった

「無駄じゃ無駄じゃ」と言うのが口癖の
ムーミンに出てくる年老いた哲学者の ジャコウネコの様に
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それはある意味では 無敵ではあるだろう・・・・

しかし結論から言えば
絶対零度的な静寂と無為は
仏教的な中道ではなく
 本当の意味での絶対性ではない
それは即身成仏的なフリーズドライの冷凍食品みたいなもんだ

もし 前世というものがあるんだとしたら
インドで断食して果てたという前世の私は、
そういった見てくれの聖人君子に憧れていたに違いない

私たちの住む地球という惑星も
実に様々な 時代を通過してきたとのことだ
ある時は スーパー氷河期の様な全球凍結と言う時期もあったらしい

まさかの全球凍結!明らかになってきた6億年前の地球の姿


しかし そんな時、
生命は閉じこもり、のびのびとした進化や躍動はない
水が滔々と 脈打つ様な環境でこそ、命もまた流れていくことができる・・・



そして時には そこに激しく雨が打ち付けたり 嵐が吹きすさぶこともあるだろう



パラドックスなのだけれど、
  そのダイナミズムの中に……
   むしろ そのダイナミズムの中にこそ
     常に自然な静寂や無為が見出せるのだ



  ・・・「諸法無我」だ、
  森羅万象、沢山のことが起きていて
  街では人々が気ぜわしく行き交っている・・・
    でもそこには誰も居ない
     「見ている私」さえ、いないのだ


より、以下に引用・・・・










OSHO_子供をあなたのコピーにしてはいけない(日英... 投稿者 maneel-katal

親が子を自分のコピーにしたがるというのは
かなり根深い問題だと思う

 親は自分に似ているからこそ
 子供がカワイイ
 自分の生きた証し、血の伝承者だからこそ
 我が子がカワイイ

それはつまり親自体が
自分の人生を完結させられないからこそ
子供を欲した、血を残したのだと自白していることになる

結果、
子供はその親の期待にこたえられない 自分という存在自体に罪悪感を持つ
それはバシャールが言う様に
「ほんの一滴でも全人格を抹殺するのに充分な猛毒・・・」であり
「それこそが愛にもっとも対立するもの・・・」である

ところが、世界中の多くの親たちが、
その自己コピーの強制、罪悪感の押しつけを
「子供達のためを思うが故に・・・」
 つまりそれが〝愛なのだ〟と思い込んで実行しているわけだ

親は自分なりにマスターしてきた「人生の生きやすい道」を
〝親の愛情なのだ〟と全く信じて疑わずに子供に強制していく・・・

・・・しかし、その〝生きやすい道〟こそが、
   まさしくその親の世代の人生全体を
   未熟なもの、未完成なものにしてきた
  (冒険も挑戦も前人未踏の試行錯誤も避けてきた)原因なのに・・・だ

親が自分の人生を生きて(LIVED)こなかった
それが愛という名の下に悪魔(DEVIL)へと本末転倒してしまったのだ

だから、
親への反抗心が附属池田小学校無差別殺傷事件といった凶悪犯罪や
悪魔教的なカルト組織に吸収されていくという
オウム真理教を代表としたような現象は偶然ではないのだ

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