We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

2017年06月

え?時間を超越した世界はどうしたら見つかるかって?

そりゃああんた、少なくともこれだけは言える

 時間を掛けて習得しなければいけない事の中には、
 「時間を超える方法」はない

 時間を掛けて改善しなければいけない社会の中に
 「時間を超える方法」はない

 時間を掛けて得られた満足や慰めの中に
 「時間を超える方法」はない

そうやって得た物は
  何かの役には立つかも知れない
  何かの気休めには成るかも知れない

  でも、少なくともその中で得られるものの中に
    「時間を超える方法」が無いのだけは確かだ

  そして、「生と死を超える方法」が、・・・ないのも確かだよ

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58.Work/Worship
   ワーク/ワーシップ(仕事/礼拝)
 自分の責任を回避してはいけません! 自分がやるワークのなかでは
強烈に生きていきましょう。そして、人間として可能なことなら何でも
やりつづけましょう。それでいて同時に、どのような緊張も創らずに、
欲求不満にならずに、結果にこだわることなく、自分のやっていること
を信頼して祈りにならしめましょう。


 あるマスターが弟子のひとりと旅をしていた。その弟子にはラクダの
面倒を見る役目があった。彼らは夜になって、疲れて隊商宿に着いた。
ラクダを繋ぐのはその弟子の義務だった。彼はそのことを気にせずに、
ラクダを外に放しておいた。

彼はただ神に、「ラクダの面倒を見てください」と祈った。
そして彼は眠り込んだ。


 朝になって、ラクダはいなくなっていた--盗まれたか、さ迷い出たか、
 起こるべきことが起こった。マスターはたずねた。

    「ラクダはどこにいる?」

 すると弟子は言った。
 
   「私は知りません。神に聞いてください。私は
    アラーにラクダの面倒を見てくれるように伝えました。
    私はとても疲れたいたのです。ですから、私はどうなった
    のか知りません。それに、私には責任もありません。
    私はアラーにはっきりと伝えたのですから!それにあなたは、
    『アラーを信頼しなさい』と教えつづけています。
    だから私は信頼しました」

 マスターは言った。
 
   「アラーを信頼するがいい。だが、まず自分のラクダを
    先に繋ぎなさい- アラーはお前の手以外に手をもって
    いないからだ」



 もし神がラクダを繋ぎたければ、誰かの手を使わなければならない-
ほかに神の手はない。

それに、それはあなたのラクダだ!

 いちばんいい、
 もっとも簡単な、
 もっとも手短な方法は、自分の手を使うことだ。

ラクダを繋いで、それからアラーを信頼するがいい。
あなたは自分にできることをなんでもやればいい。
それは、結果を確実にするものではない。保証はない。
だから、あなたは自分にできることをなんでもやるがいい。
その後は、なにが起ころうとも、それを受け容れることだ。

 これがラクダを繋ぐ意味だ。
 自分にできることをなんでもやるがいい。

自分の責任を回避してはいけない。その後は、なにも起こらなくても、
あるいは、なにがうまくゆかなくても、アラーを借頼することだ……。

 アラーを信頼して、怠けていることは、非常に簡単だ。
 アラーを信頼せずに、やり手でいることは、非常に簡単だ。
 人間の三番目のタイプ--
 アラーを信頼して、しかもやり手のままでいることは、むずかしい。

 だが、いまではあなたは楽器にすぎない。神がほんとうのやり手だ。
 あなたは神が手にしている楽器にすぎない。

 人間として可能なことならなんでもやりつづけるが、そのことで
緊張を創らない人が宗教的な人だ。
そのときには、行為はある種の折りだ。
結果はこうあるべきだという欲望はない。
      そうなったら欲求不満はない。

信頼が、あなたが欲求不満にならずにいるのを助けてくれる。
そして、ラクダを繋ぐことが、あなたが活き活きと生きるのを、
強烈に活き活きと在るのを助けてくれる。



        THE WISDOM OF THE SANDS,Vol.1,pp.70-72

この世界のどこを探してもマイホームなどない・・・
・・・その洞察に辿り着いた者だけが全世界を我が家に出来る By OSHO

孤独に悶え苦しんでいた若い時、私は自分の「ふる里」を死に物狂いで探していた
何と言う馬鹿なことだろうか?

でっち上げられた「ふる里」、生まれたあとから見つけた「マイホーム」が
「我が家」であろうはずがないじゃないか?

孤独な男は、女を捜す、母の面影を探す、愛を探す、心のふるさとを探す・・・
幸運なことに、私は生まれてくる時、この「ふる里探しの探求者」として
申し分のない完全な環境、あり得ない程孤独な環境に生まれた
私の生家とは、私にとって生まれた瞬間からすでに「生家」ではなかった
両親は若いウチから義務感だけで夫婦を続けていていがみ合っていた
社長令嬢だった母は、恵まれていることが当たり前で
「愛とは何か?」一瞬たりとも疑問に思った事がない女だった
だから父はずっと、とてつもない孤独を味わっていた

私にとって母という女は、子供のうちは優しいだけの存在だったが
その「優しさ」の正体が実際には打算とエゴイズムであることを
私は子供のうちから何となく察していて
父と同じように激しい孤独感を常に抱いていた
大好きで優しいはずの母の手を握り、街を歩いていた少年の時も
自分が何故こうも酷く寂しかったのか??
その自分の気持ちが不思議で不思議で仕方なかったが、
その理由は現在の自分ならハッキリ言語化出来る

だから今がある
物理的には豊かでありながら、
精神的には義務感と世間体だけが支配する家族関係・・・
冷酷で真っ暗な精神状態の家、地獄の釜のような欠乏感を抱えた母・・・
たぶんある意味では「みなしご」以上に孤独な状況だった

当然私は「心のふるさと」を探す旅をせざるを得ない環境だった

わたしは霊的世界に「こころのふるさと」が見つかるのではないか?と期待し
いろいろな宗教を遍歴した

宗教が扱う世界、目指す世界は「無限の霊的世界」だが
宗教団体そのものは、この「有限の世界」にある

つまるところ「地上に霊的楽園を実現させようとする」全ての試み
すべての霊的な団結は虚しい  ・・・そこには必ず「始まりと終わり」がある

それをわたしはいくつかの宗教団体やコミューンで目撃してきた
たとえどれ程の愛情と気遣い、善意を人々が持ち寄っても
「つくられた人口の家」が人の心のふるさとになる事など、決してないのだ

人とのきずなも同じ事だ、それは「団体」だけではない
プライベートな男女の関係も叉、「あらわれては消えてゆく」泡のようなものだ

誰かに「愛を求める」・・・ 何かに「ふる里を求める」・・・
その「求める」「期待する」「信じる」ということ、それ自体が
「でっち上げられたものであること」の動かぬ証拠なのだ

あなたが恋人にキスを求める、ハグを求める
恋人は応じてくれるかも知れない・・・

 しかしそれ自体が「応じられたもの」なのだ
  けっして「そこにあったもの」「ありつづけるもの」ではない

   それを「愛」それを「ふる里」と呼べるだろうか?
   私達はますます欲求不満になるだけだ、ますます餓え、渇いていく

「求めて」得てたものは、絶対的に「去って」ゆく宿命を負っている

決して求める必要すら無いもの
決して去らないもの、決して死なない永遠不滅のもの・・・
それだけが「私の不滅の王国」「私のふる里」と呼び得るものだ

昨夜、ある女性とのチャット会話
わたし、今日新しい「わたし」を見つけたの。
彼女はこの世にすでに存在してる。

彼女は愛を知らないでただただ人のために
愛の空間を創り続けた人。悲しみの人
わたしは彼女のために愛の人生を創る

愛を体験せずに
この地球に生まれてしまった女性がたくさんいるね
悲しみの人
今度は幸せになれる

最高に幸せの世界をいま必死に描いてる
彼女のために

その前にやることがある
ちゃんとそれを共に共有できるパートナーが必要
おんな一人の子育ては幸せ半分
パートナーとの愛の空間をしっかり創って
初めて子供を受け入れる環境が整う

この女性の発言に対する私の返答

「おれはそういう世界は御免だな・・・
 おれには家族は邪魔でしか無い
 女もいらん、子供も要らない、セックスも無用だ・・・」

たぶん、私と同じ回答する男性は今、世の中にどんどん増えているだろう

結婚、子作り、共同子育てを前提というのが、女性とのセックスの条件ならば
もうセックスなどコリゴリなのだ

セックスが「嫌」なのではない
子供が「嫌」なのではない

「将来こうすべき」「ああして欲しい」「こんな約束をして欲しい」
というのがウンザリなのだ

もうこれ以上「条件付きの愛情」で飼い慣らせる人々は居ないだろう

この女性が言う
「最高に幸せの世界をいま必死に描いてる、彼女(全女性)のために・・・」
という「必死の努力」とは当然〝男女の条件設定〟のことを言っている
しかしわたしが
「そんな条件設定を喜んで受け入れる男なんか絶滅危惧種だよ」といったら

そか。。宇宙人の手配必須かな。。
アセンデッドマスター男性陣御一行様を呼ぼう!

というのが彼女の返答だった
何故彼女は
「地球上のすべての男女関係の〝設計〟〝条件設定〟」をしたがるのか?
      (彼女は私の知る限り、ず~っと、いつも口を開けば「真宇宙の設計」ばっかりだった)

・・・それは彼女自身が過去に結婚生活の破綻を経験し、
   その悲しみ、失敗経験を「男(夫)のせいだ」と思い込んでいるからだと思う

彼女の地球上の全男性への憎しみ、不満は
彼女と出会った2012年からちっとも変わってなかったのだ・・・ 
・・・・宇宙の彼方から「完璧な男性をトレードしてこよう」と思い込むまでに

むしろ彼女の「男女はこうあるべき」「結婚、子育てはこうであらねばならない」という
強烈な思い込みこそ、結婚生活を惨めなものにしてしまった最大原因に思えてならない

彼女の「転ばぬ先の杖」「老婆心」こそが、
まさしく「石橋を叩いて壊して」来たのじゃ無いだろうか?

そして気が付いてみると、
私にも彼女と「同じ思い込み」があった
ことに今朝、やっと気が付いた

私も、あまりにも「男が女性を幸せにしてあげなければ」という思いが強すぎたのだ
 (これは私が幼児期から受けていた母からの洗脳=「父の悪口」による成果だった)

人間関係で作り上げていく共同作業とは男女関係に限らず、
たとえば会社組織にせよ、その成果は相互に責任があることであり
夫であるとか、社長であるとか、「誰か」だけがすべて背負い込むことではないのだ
何かの共同事業とは、その関わる、参画している全ての人の双肩に掛かっている
関係する人々、すべてが〝創造者〟なのだ!
その全ての人達が自分の役割の自覚においてベストを尽くせば良いことなのだ

これは私が主張してきた「完全なる自己責任」ということと正反対の矛盾した話ではあるが
でも、愛とは「全てをひとりで背負い込んで身動き出来なくなってしまう」ことではない
共同作業で起きてくることの未来を完全に保証出来る個人一体どこに居るだろうか?

愛とは、「完全な未来の設計、保証、コントロール、マネージメントではなく
むしろ、
愛とは「起きてくる全てを全面的に信頼し、任せる」ことではないだろうか?

そういう気付きを与えてくれたという意味で、
彼女は私の鏡のような人だったのかも知れない

  わたしはどこに流れてゆくのだろうか?
  あなたと私の未来には、どんな未知(道)が待ち構えているのだろうか?

       あなたに聞きはすまい・・・、私自身解らない・・・

月 里

画像に含まれている可能性があるもの:夜、空、雲、屋外、自然

百目鬼 有里 小さい頃、真っ白な至福の世界で泣いている夢をよく観ていたの
夢から覚めると収縮の苦しいエネルギーをいつも感じていた…
今はその意味が分かる(*´꒳`*)
彼女が意図したとおりのことか?
その真意を私がちゃんと理解しているのかは解らないけれど
私はこの有里さんの「小さい頃の夢」に、「かぐや姫の嘆き(無念)」を見た気がした



そうして思い出すことが沢山あった
私の若い時からの出会った女性達の思い出の中には
彼女と同じように
「溢れんばかりの愛をどこに表現したら良いのか解らない」
という嘆きを抱えた女性達が沢山居た

女性達は本当に「愛したい」のだ
例え結婚し、子供も可愛く、夫も愛している、家族には何の不自由も不満もない
なのに何故か寂しい・・・

・・・女性達は結婚して子育てを終えたあとも、
むしろどんどんその愛は大きく成長し続けるのだ
結婚制度という家族の枠を飛び出して、大きく枝葉が伸び続ける・・・

・・・そんな女性達はいったいどうしたら良いのだろう?
  まさしく「あふれ出る愛の、狂わんばかりの至福の中での、
  その行き先がない嘆き」が、女性達を爆発させかねないのだ

  わたしはそんな女性達を何人も見てきた

彼女たちは決してふしだらなのではないが
その愛のエネルギーの出口が見つからない閉塞感は、むしろ苦痛に近いものだろう
彼女たちを狂気にさえ追い込みかねないものだろう

・・・そんな彼女たちは気の毒に思える、その素晴らしいエネルギーはもったいなく思える

ひょっとしたら、世の中の不倫に走る女性の多くが
あるいはアダルトビデオに自分から望んで出演する女性達が
そんな衝動に突き動かされているからなのかも知れない

このエネルギーをどうしたらいいのか?
そもそも「このエネルギー」をどう呼んで、言語化したら良いのかさえ難しいのだ

出口が見つからないのは
「愛のエネルギー」や「お金のエネルギー」の
    、「貧しさ」だけではない
     「豊かさ」こそが、出口を探しあぐねている・・・

でもこのふたつが出会うのは非常に難しいのだ
貧しさは「奪い合い」「競争」「獲得」「欠乏の苦しみ」しか知らない
貧しさとは「分かち合う歓び」を実感するチャンスが無かったが故に起きる状況だからだ

この「貧しさ」と「豊かさ」とを誤解無くつなぐ回路こそが、早急に必要なものだと思う

イパネマの娘「かぐや姫再臨バージョン」 from Katal Maneel on Vimeo.



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