We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

2017年05月

AもBも正しいかも知れない
AでもなければBでもないかもしれない

   その時、すべての論理演算子は破綻する

すべてが正しく、
あるいは正解なんかひとつも無いかも知れない時・・・・

   その時、すべての論理演算子は破綻する

         BY MANEEL-KATAL (マニール・カタル)





Chihiro Bullockさんの写真
5月16日

夢の島+葛西臨海公園 雷?青空・水辺の宇宙語・ライトランゲージスターグリッドサークル

公開
 · 主催者: Aurora Chihiro

あらゆる人々が、
ひとつのことを探し求めて
生涯を費やす・・・
どうすれば
苦しみから抜け出せるか、
どうすれば幸せを、
喜びを手に入れられるかと。

あなたは、
喜びを探し求めたい。
だが、
そのために何を支払うつもりなのかね?
その見返りに与える何を、
あなたは持っているのだろう?
 
一歩を踏み出してさえ、
人は、
自分が立っている大地の一隅を、
離れなければならない。
そうして初めて、
人は前に進める。

私達に、
何も手放すつもりがなければ、
この世に進歩はない。
犠牲なしには、
一歩を踏み出すことも出来ない。

手の中が
土で、砂利で、石で一杯になっていて、
しかも、
ダイヤモンドが欲しかったら、
あなたはその石を手放すことだろう。
欲しいものを掴むには、
少なくとも、
自分の手が空っぽでなくてはならない。
用もないものを、
手放さなければならない。

で、
あなたは何を持っているのかね? 
恐がることはない。 
私は、
あなたの富を放棄しなさいとは言わない・・・
誰も何も、
まったく何も、
持ってはいないからだ。

この世では、
最大の金持ちでさえ貧民だ。
貧民には、
ふたつのタイプがある。
ひとつは貧乏な貧民であり、
もうひとつは金持ちの貧民・・・
だが、
みんな貧民だ。

これまで私は、
裕福な人には会ったことがない。
金を持っている人々はたくさんいるが、
彼らは裕福ではない。
彼らもまた、
もっとも貧しい人間と同じように、
できる限りたくさん掴もうとして、
ラットレースに入り込んでいる。

持てる全てを、
手の中にギュッと握りしめている
乞食とまったく同じように、
最大の金庫を持つ者もまた、
自分が持っている全てのものを、
しっかりと握りしめている。
握りしめたその拳(こぶし)が同じなら、
その貧しさもまた同じだ。
 
だから、
あなたは富を持っていない。 
誰もそれを持っていない。
それを捨てなさいと私が言わないのは、
その為だ。
持ってもいないものを、
どうして手放せる?

生をあきらめなさい、
とは私は言わない・・・
あなたは、
それすら持っていない。
自分で気づいてもいないものを、
どうして持つことが出来るかね?

しかも一瞬一瞬、
あなたは死の恐怖に震えている。
自分が生命そのものであるなら、
どうして死を恐れることがあるだろう?
 
生には死はない・・・
一体、
どうやって生命が死になり得よう?
だがあなたは、
死の恐怖におののいている。
あらゆる瞬間に、
死があなたを取り囲んでいる。

できる限りのことをして、
自分が消えてしまわないように、
自分が死なないように、
自分が終わりになってしまわないように、
あなたは、
自分を救おうとしている。

生すら、
あなたは持っていない。
私があなたに、
生をあきらめなさい、
と言うつもりがないのはその為だ。
自分が持ってもいないものを、
どうやって差し出すことが出来るだろう?
 
私は、
あなたが持っているものしか、
あなたから要求するつもりはない。
私が要求するのは、
誰もが自分で持っているものだ。
誰もが喜びを求めている、
と私は言ったが、
誰もが持っているある種の富がある。
それは苦しみだ。

あなた達は、
それなら充分な量を持っている・・・
必要以上に持っている。
何回もの生涯にわたって、
あなたは、
それしか集めて来なかった。
あなたは、
それを山と積み上げた。

あなた達が集めた、
うず高い問題の山に比べたら、
エベレストでさえ小さく見えることだろう。
おそらくヒラリーとテンジンは、
あなたの問題という
その山には登頂出来ないだろう。

そんなにも、
それは大きい。 
それは、
あなたの何回もの生涯にわたる労働だ。
あなたは問題以外、
何ひとつ稼いでは来なかった。
今でもあなたは、そ
れを稼ぎ続けている。
 
私はあなたに、
その問題を手放して欲しい。 
その問題を、
放棄して欲しい。
未だかつて、
あなたの問題を欲しがった者はいないが、
私は要求する。

そしてもし、
あなたに自分の問題を諦めることが出来たら、
喜びへの道は開かれ得る。
自分の問題を手放すことが出来たら、
あなたが問題だと思って来たものが、
あなたの幻影に過ぎなかったことが、
解るだろう。

しかもその問題が、
あなたを掴んだのではない。
あなたの方が、
その問題を掴んでいたのだ。
だがいったんそれを手放したら、
そのとき初めて、
どちらがどちらを掴んでいたのかを、
知るだろう。
 
あなたは、
どうすれば苦しみを追い出せるかと、
永遠に問い続けている。
あなたの質問からすると、
あたかも苦しみがあなたを捕まえており、
あなたは、
それから解放されたがっているように見える。

もし苦しみがあなたを掴んでいるのなら、
どうやっても
あなたが解放される可能性はない。
なにしろその力は、
あなたの手の中にはなく、
苦しみの手の中にあるのだから。
あなたにはどうしようもない。

しかも何回もの生涯の後で、
なおもそこから自由になれないのだとしたら、
どうやって今、
あなたが自由になることが出来るだろう?
 
苦しみが
あなたを捕まえているのではなく、
あなたが苦しみを掴んでいるのだと、
私はあなたに言う。

そしてもしあなたに、
私が言っていることを
受け容れる遊びが出来たら、
今度は自分で、
それを理解するようになるだろう。

それを理解するだけでなく、
その手放しを体験することだろう。
どうすれば苦しみを捨てられるのかを、
理解するだろう。

そして、
苦しみを手放すアートに熟達すれば、
自分が何を引きずっていたのかに、
あなたは気づく。
そしてそれに対しては、
自分以外の誰にも責任はなかったことに。

苦しみの中で、
あなたが体験したどんなことも、
他の誰にも何の責任もなかった。
それは、
あなたの望みだった・・・
あなたが、苦しむことを望んだのだ。
何であれ、
私達が望んだことが来ては去る。

だから、
あなたが何であるにせよ、
それがあなたの望みの結果だ。
神の責任でもなければ、
運勢の責任でもない。
あなたの面倒の原因を持っている者など、
誰もいない。
 
真実は、
存在は常に、
あなたを喜ばせたいと願っている。
全存在が、
あなたの生が祝祭になることを望んでいるのだ。

なぜなら、
あなたは自分が不幸せだと、
その不幸せを自分の周りにもまき散らすからだ。
あなたが不幸せであれば、
あなたが出すその悪臭は、
全存在に到達する。
そして、
あなたが不幸せであれば、
存在もまた痛みを感じる。

この全世界は、
あなたが不幸せであれば痛みを感じ、
あなたが嬉しければ喜ぶ。
存在には、
あなたの不幸せを望むような願いはない。
それでは、
存在そのものの自殺になってしまう。

Osho - The Sadhana Sutra

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先程、一旦夢から覚めて、脳裏に唐突にこんな言葉が浮かんだ

「ボサノヴァというジャンルの音楽の名曲には、
 すべてノスタルジックな甘い香りが含まれている・・・・」

「それがすべてのボサノヴァという音楽が共通して含む
       <リッチな空気の魅力の秘密>だった・・・」

「そしてボサノヴァの名曲だけに限らず
   ノスタルジックな甘い芳香とは、
 『人生の過ぎ去っていく瞬間瞬間』が、『黄金の日々』なのだと・・・
                ・・・私たちに思い出させてくれる」



----------------
私は子供の頃から、
突如懐かしいような甘い空気に囚われて立ち止まり、
         ・・・・そして何だか意味も分からず

  「ああなんだそうか!、・・・そういうことだったのか!」っと
                 一人勝手に肯く変な癖があった

ところが、いったい〝何が?〟・・・「そういう」ことだったのか???
      ・・・自分でも分からないで、ひとりでクスクス笑っていた

でも今夜その正体分かった、  ・・・・やっと分かった気がするのだ!!

         〝何が?〟 〝どれが?〟 ではなかったのだ!!

                 〝すべてが〟  だったのだ!!

   すべてが、  何もかもが  ・・・「そういう」ことだったのだ!!

    すべてが、  何もかもが  ・・・皆懐かしい



「金融支配」も「軍産複合体の暴走」も、「ロボットの叛乱」も原理は同じだ

人々はシンギュラリティにびびっているが
「金融支配の陰謀」にせよ、人々は、その〝正体を暴くべきだ〟と
目をつり上げて「正義の闘い」に挑んでいる

しかし、話が逆なのだ

〝彼ら〟の存在とは・・・???
貨幣経済にせよ、人工知能にせよ、その正体はどれ程、複雑化しようが
しょせんは、「人間が産み出した〝人間自身の影〟」に過ぎない
ウルトラマンVSニセウルトラマン

だから、
〝彼らの正体をあばく〟ことが重要ではなく
        (※あえて真犯人、ラスボスを言うなら、それは〝人間性〟それ自身)

〝彼らこそ、わたしたち人間ひとりひとりの
      本性を暴く試金石である〟ことが重要だ!

生命には、生命それ自体に「生きたい!」という純粋な動機があるが
その影である金融システムやら人工知能システムやらが、
それ自体で〝動機〟を持つことなどない

 もし〝彼ら(?)〟がそんな動機を持ったとしても、
 それはあくまでも生みの親である人間が、
 その様に〝ふるまう〟プログラムをしただけで
 決して〝それ自体〟が動機を抱くことなど無いのだ・・・

ロボットが人を殺した・・・
しかしそのロボットを分解しても、中から取り出せるプログラムは
  「人の心の弱さ、恐怖、邪悪さ」だけなのだ

法廷にその「分解したロボット」を引き出しても、そこには殺人犯はいない・・・

「人間が動いた」・・・だから「影がそれに合わせて動いた」だけの話だ
・・・それらは影 (シャドー) であり、わたしたちの〝鏡 (ミラー) 〟~鏡像だ

あらゆるシチュエーションが、私たちの投影として私たち自身を試してくる
お金に苦しい時、その人の本性が現れる
いのちの危険にさらされる時、その人の本性が現れる

だから、金融支配を批判すればする程、生活の困窮を訴えれば訴える程
「余裕しゃくしゃくの笑顔だった時」の顔色は失われ、その人の本性が剥き出しになる

生きていく上で直面する様々な状況は、
必ずしも「説明書付き」ではなく一見理不尽なことは多い、・・・

しかしそういう
フェイント攻撃」「時間差攻撃」を喰らわなければ
わたしたちは自分自身の〝弱さ〟〝本音〟〝本性〟を自覚できないのだ

そのためにこそ、わたしたちは「自分自身の虚像と向き合う」生活を選んだのだ
これこそが、わたしたちが「生まれてきた動機」であり
「見かけにどれだけ翻弄されない魂の視点」を試し、磨く修行(覚醒ゲーム)なのだ
マトリックス 弾丸2

この「最も危険な遊戯」は続く、
  最後の最後まで、いまわの際まで・・・・
気は抜けない、油断は出来ない!
   最後の最後まで、大どんでん返しは有り得るのだ・・・

「これがゴールだ」「これが最終結果だ」「これこそが真理だ」
っと、何かを信じ込んだ時点で、〝負け〟だ!!!!

    ・・・他ならぬ自分自身の落とした影 (マトリックス) に負けるのだ

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・・・「説明」を求める、「道理」を求める、「正義」を求めるのは覚醒の弱さなのだ

いま、夢を見た
男女の友人達と旅に出る夢だった
私は途中、何度も間違えた、何度も忘れた
そして出発点に引き返えさるざるを得なくなる夢だった・・・

私は友人に済まない気持ちで一杯で恐縮してしまったが
彼らはフレンドリーな態度を全く変えずに愉快そうに笑っていた

そして引き返すして出発し直すごとに、
まったく違った光景が展開するのだった

・・・その「夢の中の私の失敗」をここで弁明するならば
  出直すごとに状況が変わってしまったからだった・・・

   だからそれごとに必要なものや、その他旅の設定が変わってしまい
   旅をはじめからやり直さざるを得なかったのだ・・・

それは決して「ゴールを急がない」旅であった・・・

 「旅を楽しむこと」
 「ハプニングを楽しむこと」

  ・・・それ自体が、きっとゴールだったのだろう

夢から覚めて思った

眠りにつく前に見かけたOSHOの二つの言葉が思い出された

「なぜ人は恐れるのか?
「なぜ人は自らを批評したり、他人のお節介を焼きたがるのか?

・・・それはまず、自分自身に対する無限の忍耐を持つことが出来ないからだ

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   もし、自分自身に対して無限の忍耐があるならば、
        いったい何故失敗を恐れる必要がある?

   OSHOが言う「絶対的な信」というものを私なりの言葉に言い換えるなら
   「自分自身に対する無限の忍耐」である  ・・・まずはこれが原点なのだ

   そしてこれが見い出されたならば、「類は友を」呼ぶのだから
   本人と同じように、
    「自分自身に対する無限の忍耐」を得た友人達と出会えるだろう


わたしは他人に対して、
 すでに「無限に(末世まで)待つ」覚悟を決めていたつもりだった
   ところが自分自身に対しては今だ「苛立つことが」あったのだ・・・

そうなると、幾ら他人に対して「無限の忍耐」「無条件の愛」を持っていようが
それはすぐに揺らいでくる・・・  それはあまりにも当然のことだったのだ!

そしていくら「他人を批判するのはやめよう」と、脳内で決心したとしても
そんな決心はすぐに決壊してしまうのだ ・・・またかならず他人への批判やあら探し
・・・そして老婆心な「他人への心配」が、かならず首をもたげてくる

それらもこれらも、
自分自身への忍耐に〝限界〟が設定されているからだ、〝有限〟だからだ

自分が自分自身に対して
有限の、条件に縛られた〝信〟しか
持ち合わせていないと言うことは、
とりもなおさず、
自分自身に対する「愛の限界、有限性」を認めることなのだ

そしてこのことは、
自己の意識が実際に「有限か?不老不死か?」など関係が無いことだ

なぜなら、私たちそれぞれの意識がたとえ肉体と共に滅んだとしても
自分自身にとっては、自己の意識の存在は唯一絶対であり、
もし、「私という意識」がいつかどこかで滅んだとしたならば
それと同時に、この世界も終わるからなのだ

「誰か他人」にとってはこの世界は存続しているかも知れない
地球にとっては、あなたの消滅は70億人の中の一人の消滅に過ぎないかも知れない
でもあなたにとって間違いなく唯一の存在とはあなた自身なのだ

そしてその、紛れもなく唯一絶対の存在であるあなたに対してさえ
あなた自身が無限の忍耐を持ち合わせていないなら、
じゃあ、いったい誰に対してならもてるというのだろうか?

・・・あるいは「自分自身に対しては無条件の愛、無限の忍耐は持てない」としても
  しかし
「誰か、愛する誰かに対してなら・・・」
「無限の忍耐、無限のパワー、無限の勇気を持てます。無限の時間を待てます」
っともしあなたが言うのなら、ではそのパワー、その勇気、その忍耐力は、
「誰が」持っているんですか?・・・ということだ

もしあなたがその持ち主なのだったら、なぜそれを自分自身には適応できないのだろうか?

・・・結局のところ、「無限なる源泉」「無条件性」とは、対象を選ばないものなのだ
 もし適応対象、適応範囲が〝有限〟であるならば、すなわちそれは〝無限〟とはいえない

最初にそれを発見するのは
「自分自身に対して」発揮している時なのか?
「誰か他人に対して」発揮している時なのか?
・・・それは関係ない

つまるところは、それは自分の中に発見できるか?否か?の問題なのだ

そしてひとたび、それを自分の中に発見できたならば、
いったいどうやって〝その無限性〟を失うことが出来るだろう?
いったいどうして〝その無限性〟を他人に対してケチったり隠したり出来るだろう?

Brian Eno - An Ending (Ascent) Hour Long Version from Katal Maneel on Vimeo.


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