🌈💖「目覚め前後の人間関係~Before and After」ルパート・スパイラ🌈💖
「幸福」とは活動、物質、心のあり方、人間関係にあると考えていました
ところが、
それらから滿足する「幸福」を見つけ出すことは出来ませんでした。
それが今では「幸福」は、
私たちの本質の一部であること、
私たちの本質の資質であることがわかってきたのです。
満たされている感覚、欠乏感のない感覚は、
私たちの本質だということがわかってきたのです。・・・
このスパイラ氏の言葉を徹底的に疑ってみることをお薦めする
「やはり、幸福には
『あれ』やら、『これ』やら、『それ』やらが、必要不可欠なんじゃないか?」、と
是非、徹底的に疑ってみるべきだ
まだまだこの地球の大半の人々が「その疑い」の中で生きているからだ
わたしもまた、この世に生まれてからの半世紀、50代過ぎまで、
「その疑い」に人生を費やしてきた・・・
一般世間的な尺度で言えば、
「お金」「権力」「名誉」「健康」「自由」・・・
ちょっとオタクな分野でいけば
「ユダヤ金融システムからの解放」・・・
真理の会得?
「神の数式」に辿り着く必要があるか?
高額な費用を払って「観術」を学ぶ必要があるか?
・・・あるいは「ヌーソロジー」は?
「お金」「権力」「名誉」「健康」「自由」・・・
ちょっとオタクな分野でいけば
「ユダヤ金融システムからの解放」・・・
真理の会得?
「神の数式」に辿り着く必要があるか?
高額な費用を払って「観術」を学ぶ必要があるか?
・・・あるいは「ヌーソロジー」は?
ここで、
「いや、やはり必要なんじゃないだろうか?」という疑いが
ホンの僅かでも残るならば
このスパイラ氏のビデオを、それ以上見ることはお薦めしない
・・・なぜなら無駄だからだ
それよりも上記の色々な可能性をとことん追求してみるべきだろう
空気や水は必要だろう、
いくらかの経済的、物理的な恵みはなければ、私たちの身体は死んでしまう
・・・しかしそれらは事実今まで得られてきたからこそ、
私たちはいまも生きていられる
そこには、「恵みはすでにあった」何よりの証拠だろう
わたしたち人間は、
すでに得られているものに「幸福を見出せない」という
本質的な不幸を抱えている・・・
人は 「幸せなときほど、幸せ」 を感じない
震度ゼロを、どうして幸せだと感じられる?
呼吸出来ることを、どうして幸せだと感じられる?
先日、土砂降りの雨の中、自転車の後輪が突如原因不明にロックして動かなかった
「いったいどんな幸せが私に来るのだろう」と土砂降りの雨の中、
自転車を無理矢理牽引していたら、突如なんとかロックが解除された・・・
相変わらず、「自転車を漕いで走る」ことは不可能だったが、
私はその時、ずぶ濡れでも幸福を噛みしめていた・・・
「自転車が、スムーズに前に押せる・・・」
・・・たったそれだけのことが、幸福なことだったからだ
お陰で私は、次の仕事にそれほど遅刻せずに済んだ
震度ゼロの幸福・・・
つまり、なにもないことの幸福とは何か?
それは言い換えれば、スパイラ氏の言うとおり、
「幸福とは私達の本性そのものなのだ」ということだ
それはまごう事なき真実なのだ・・・とわたしは断言出来る
そこには観術も、ヌーソロジーの出番も、ない
あったにせよ、その幸福感を裏付ける〝説明〟〝解説〟〝味付け〟ぐらいのものだろう
・・・私の、このブログ自体もそうだ
「人々を幸せに出来る」ものなど、この世には何も無い
では「世界は無意味、無価値、ナッシングなのか?」・・・いやとんでもない!!
この世界のありとあらゆるものが、
そこに暮らすありとあらゆる生命の幸福に寄与している
でも、ひとつひとつを取り上げるならば「幸せにしている」というわけではない
誰もが、
森羅万象が、まず「それ、そのもの自体の本性が・・・」〝幸福そのもの〟なのだ
・・・そしてそのことが、
「他の存在、この世界全体の幸福に寄与して」いるのだ、
・・・あくまでも作意なき営み、として
あなたは、
美味しいチョコレートケーキが自分をハッピーにしてくれたのだと言うだろう
でも、
「あなた」という「チョコレートケーキの味が分かる人」が食べたことで
「あなた」も、「チョコレートケーキ自体」も、
それを「販売した人」も、「作ったパティシエ」も、その「原材料」も、
ハッピーになったのだ・・・
美味しいチョコレートケーキが自分をハッピーにしてくれたのだと言うだろう
でも、
「あなた」という「チョコレートケーキの味が分かる人」が食べたことで
「あなた」も、「チョコレートケーキ自体」も、
それを「販売した人」も、「作ったパティシエ」も、その「原材料」も、
ハッピーになったのだ・・・
「マイ・プレジャー(あなたに役立てて、私はウレシイ)」という感覚は
全く作意なき謙虚さ、感謝からもたらされる、期待や気負いからではない
もちろん、
<不幸をまき散らしている様な>存在や、現象も断片的に見れば、確かにある
わたしたちは常に「震度ゼロ」というわけではない
様々な、天災、人災があるだろう
でも、だからこそ
「震度ゼロ」の幸福・・・ 本質的幸福、絶対的な幸福を発見出来るチャンスがある
この発見自体が、もっとも難しい
なぜならそれは、「私達の本性」だからだ
「すでに〝それ〟であるもの」の発見、「自分の本性」の発見程、難しいものは無い
タチの悪いジョークなのだが、
「自分の額に掛かっているメガネ」ほど見つけにくいものは無いのだ
「幸せ探しのロンド」 OSHO and Stravinsky The Firebird. from Katal Maneel on Vimeo.