We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

2017年01月

もしあなたのグルが「私は知っている」と言ったなら、彼は何も分かっていないと思ってよろしい
なぜなら、「知っている」ということは全て〝過去のこと〟だからだ Jiddu.Krishnamurtie

FBの陰謀論のコミュニティーに、久しぶりに五井野正の動画を貼ったら
興味を持ってくれた人がいた

「いっちゃらめえぇ~」っと、GHQが焚書した世界史とは. from info spray on Vimeo.


西洋文明は人類を「動物機械」=ゴイム化する! from info spray on Vimeo.


OSHOへの心酔が一旦停滞した20代の後半から、40代の入り口までの15~20年間ぐらい
わたしはこの「空き缶拾い」で70年代に話題になった人物の元で学んでいた

彼の言葉は様々なひらめきに満ちており、私は一時期すっかり夢中になったのだが
それと比例してどんどん疑問も自分の中に膨らんできていた

それはこのウィッピーに誘った私の先輩であるサーティンキューの酒癖の悪さだった
私を呑みに連れ出しては「なあ、五井野正は神だよな?な?」っと私に念を押し続けた

なぜ彼はこんな「絡み」が必要だったのだろう?「確認」が必要だったのだろう?
私には彼が、不安に駆られている、孤独に蝕まれているという風にしか見えなかった・・・

承認願望に蝕まれている人は誰にでもすぐ判る
酒の勢いで絡んで、同じ事を繰り返して確認してきたり、脅迫観念的に成功を夢見たり
パワハラやセクハラ野郎はほぼ承認願望に蝕まれ 、孤独感に悩み、そして恐れを抱いている

サーティーンキューも、そのご本尊だった五井野正もそうだった

でも私がここで書き留めておきたいのは、「彼らの正体を暴く」ことではない
サーティーンキューは自分の承認願望が五井野氏によって満たされないと諦めると
今度は猛然と五井野氏の〝アンチ〟となって彼をディスりはじめた

・・・こうなってくると、終始一貫してウイッピーを統率している五井野氏の方が立派に見える

サーティーンキューがどんなスタンスを取るのかは問題ではないと誰でももう判るだろう
彼や、五井野氏の言っていることの何が、どれが正しいのかも、問題の本質ではない

問題の本質とは何かを指さして「正しい」だの「間違って居る」だのと姦しくしていること自体の
虚しさである・・・  その〝依存性〟だ

「知っていること」とは常に過去の蓄積だから、そこには〝権威〟が発生する

権威は、たとえば科学的な再現性によって強化される
ヒロシマナガサキの原爆投下という悲劇を見れば、「E=MC二乗」を疑う人は居ないだろう

莫大な破壊力ほど、人々をおののかせ威厳を知らしめるものはない
私たちはいつも偉大な人物を探し、ひれ伏す王を探している

この地球規模のものがアメリカのジャイアニズムであり、
それが現在までの地球文明を牽引してきた

・・・なぜひとは権威に飼い慣らされるのか? 
   恐怖からだ、自分自身の承認願望ゆえだ、孤独で、不安だからだ

・・・だから絶対的に権威あるものにいつも頼りたがっている

・・・そういう動機は誰にも大なり小なりあり、「虎の威を借る狐・・・スネ夫」がそこには必ず居る

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ひとたびその「キツネの地位」を手に入れたならば、人はなかなか、その座を手放したくない

重大な真理を「知っている」っとおぼしき偉大な人物の知識を借りて、
集まってきた弟子達も「知っている」と安心したいのだ

その根底には常に承認願望で蝕まれたマインドがある

「承認願望?・・いいんじゃない?ニンゲンなんだから!」という意見もチラホラ見かけるが
それはこの「過去の知識や権威のパワーに依存する〝怖さ〟」を知らないからそう言えるのだ

群れの温もりを求めるサル的な弱さを、私たち人間は未だに克服出来ない
そういう人々が寄り集まって、いったいそこから「自立した個人」が本当に可能なのだろうか?

・・・そこには責任の所在が延々と堂々巡りした、破滅に向かう未来しか見当たらないのだ

ガチョウとは魂とか意識の象徴で、瓶とは肉体とか社会、エゴの象徴だろう

「悟りを求める」上での有名な禅の公案だ

 どうしたら肉体とか社会的執着に囚われた魂を解放出来るのだろうか?
それを「どうやったら瓶からガチョウを救出出来るか?」という象徴に置き換えたのだ

・・・ガチョウも殺さず、瓶も壊さずに???

それはロジカルに考えれば、絶対に解答不能な問題である

・・・これに似ている、もう少し「易しい」公案もある

  やはり口の細い瓶に手を突っ込み、中のお菓子を取り出そうとしたサルの話だ

   お菓子を握りしめた手は抜けなくなってしまっている
   この解答は単純で、単に「菓子を手放せば」 サルは脱出出来るのだが
   お菓子を諦めきれないサルは瓶に捕まってしまう


ガチョウがどうやったら脱出出来るかはともかく、
そもそもなぜガチョウは瓶に閉じ込められてしまったのか?

瓶の中のエサをついばんで成長している内に大きくなりすぎてしまったのか?

・・・だとしたら
 サルの場合は「欲望」、ガチョウの場合は「生活習慣」が瓶から出られなくなった原因だ

  では私達人間は? 

私達もまた、瓶の中の「何か?」に魅せられて、脱出のチャンスを失ってしまったのかも知れない

私達の魂が本来「無限なるもの」なのならば、
あえて「有限」を体験することで様々なゲームが可能になる、限界こそにドラマがある

そのゲームなり、ドラマなりに、私達は魅了され、楽しむために生まれてきたのだろうか???


ではそれら、ゲームなり、ドラマなり、修行なりの醍醐味を存分に味わえば、
いつかこの輪廻を卒業出来るのだろうか?

私達が死と共に無限の世界へと帰還するというのなら、これらの「お楽しみの記憶」も
消滅してしまうのかも知れない  ・・・サルが結局は「お菓子を手放す」しか手段がないように?

わたしたちは「全体」に帰還する時、「部分」の記憶を全て失うのだろうか?

・・・結局は「そう」なのじゃないかとおもう

・・・結局はわたしたちは「何も」お土産を持ち帰ることは出来ないのじゃないか?・・・と思う

この地上に栄えたもので、
永遠に残されるものなど無いだろう、永遠に記憶に残るものも無いだろう

「オリオン座の近くで燃える船」 「タンホイザーゲートのオーロラ」
・・・それら全ての思い出は虚しく消え去るしかないのではないだろうか?涙と共に、雨のように

・・・この世で永遠に残るモノなど  ・・・何一つありはしない

・・・・ならば何を惜しむ必要があるだろう?

  何も信じる必要が無いのと同じく、またなにひとつ、覚えておく価値のあることなどない・・・

 ・・・そこまで徹しきった時、
   わたしたちは、そこでやっとすべてを手放して「無」へ帰還出来るのかも知れない

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「あなたを完全に理解出来るのはあなた自身、ただ一人だよ」

っと聞かされたらあなたは何と感じるだろうか?

「そんな事ぐらい知ってるよ!」
・・・だろうか? 

もしあなたがそれを完全に納得しているのなら、
きっとあなたは誰に対しても承認願望は向けないはずだ

それとも

「いや、私ともう一人、世界中で神だけは完全に私を理解し、私に慈悲を降り注いで下さる!」
・・・っといったところだろうか? 

もし、あなたの事細かな体験も、心のヒダまでも神が全部知っているのだとしたら
神とはつまりあなたのことだ・・・

  あなたを全て、すっぽり把握しているのなら
  神はあなたの人生、そのものを生きていたことになる ・・・そうでなければ、
   何か一箇所でもあなたの人生を見落としていたのなら
   神は「あなたを完全に知っている」とは宣言出来ないはずだからだ・・・

   つまり神はあなたの中に居たことになる、あなたの中で全て見ていた、体験していた

そうでなくて、あなたのことを「ずえぇぇ~んぶ知っている」神と言えるだろうか?

あなたが神の一部かどうかは知らないが、少なくとも神はあなたの一部としてあなたの人生の
一部始終をすべて知っていた・・共に体験していた

あなたの全ての孤独、限界への嘆き、悲しみ、喜び、怒りを、
あなたと共にすべて体験していなくては<<<少なくとも>>>あなたの神としては失格なのだ

・・・それを〝神〟と呼ぶかどうか?は、二の次の問題だ

  重要なのは完全な共感、完全な理解だ

もしあなたが、「完全な理解者」と出会ったのなら、きっと嬉しいだろう

で、あるならば、もうもはや「その人」は、「もう一人の私」と呼んで差し支えないだろう

「その人」はきっと誰よりもあなたを愛している、  ・・・だって誰よりも理解しているからだ

そのひとをあなたは抱きしめざるを得ない、
なぜってあなた以上にその人を「完全に抱きしめられるひと」が、一体どこにいる?

   あなた完全に理解してくれる人とは、つまり
   あなただけしか完全に理解してあげられない人でもあるのだ・・・

例えその人が神であっても、全人類に愛されても、
もしあなたが愛せないなら、「神の中のあなた」も、
決して充たされることなく孤独で苦しむことになるのだ

  例え「そのひと」が全知全能の神であったとしても、
   たったひとつ、「あなたの愛」が欠けていることになる!!

・・・・世界中で、「あなた」しかいない、
  「あなたの愛と理解と抱擁」を「そのひと」も待っているはずだ

  それを認めてこなかった、「そのひと」の要望を無視してきたのだとしたら
  間違いなくあなたも孤独だろう

   ・・・あらゆる他人への承認願望とはその代用品でしかない

   ・・・観念するしかないのだ、他には誰も居ないのだ

  それが「自分以上に自分を理解し、愛せる者はいなかった」という動かしがたい事実だ

「ゼロポイント」とは物理学的な「いつかどこか」にあるのではなく・・・
まぎれもない、「いまここ」にしかない

  それは「あなた」が「あなた」を抱きしめる瞬間にある 
   それが、スピリチュアルな意味での〝超伝導が起きる〟瞬間だ、内的な爆発だ 


わたしたち人間は五感に入ってきた信号を自分の記憶や観念と照合して
マトリックスを形成し、それを認識している ・・・その処理時間0.5秒

これが苫米地英俊が言う「内部表現」、ヌーソロジーが言う「内部世界」のことで
 この言語空間形成の為の時間の遅れが、
私たちが昆虫やカメレオンの動きについて行けない原因だ

人間同士の素手での闘い・・・  つまり“武術”においてはこの0.5秒を詰めることは
大いなる価値であり~「勝ち」に繋がる ・・・上記ビデオのように「考えない」ことである

言語空間認識している人間からすれば、野生動物の瞬発力や動体視力には勝ち目はない
“情”があって“ためらい”がある哺乳類からすれば、爬虫類の俊敏性、冷酷さは叶わない
例え爬虫類でも、昆虫類の小型の俊敏性には叶わない

そしてたとえ昆虫であれ、いまやコンピューターの演算速度には叶わなくなっている

CPU(中央処理演算装置)は内部表現を必要とせずにただただ演算してインプットに対して
アウトプットいるだけなので、このディレイ(遅れ)は人間よりも遙かに短縮されている

これは昆虫というバイオマシーンよりも早い、今後どんどん早くなるだろう
だから「蚊をレーザーで打ち落とす装置」も可能なのだ



いつかあらゆる生命体の感応速度を、機械の演算速度、反応速度が上回る日が来るのか?
それは当然来るだろう ・・・それゆえにわたしたちは「シンギュラリティー」を話題にする

映画「ターミネーター」のある意味でメインテーマでもある

「勝ち負け」を話題にするならば“躊躇いがある方”が負けるのが、世の常だ

OSHOはベトナム戦争が勃発したとき、米軍の敗退を預言していた
その根拠を問われてOSHOはこう答えている
「米軍の兵士の方が〝愛〟の味を知っているからだ」と答えた

どれ程近代的で強力な武器を持たせても、使うのが人間である以上
「マシーンになりきれる(無機的で愛を回顧しない)方が勝つ」と
OSHOは指摘したわけだ  ・・・こと闘いと言うことに関しては「躊躇った方が負ける」のだ

なので、最終的には「全く躊躇いを〝感じる〟ことなく目的を遂行する」・・・
痛みも、躊躇いも、哀れみも理解出来ない頭脳を持った兵器は最強になる

映画「ドローン・オブ・ウォー」は、殺人マシーンの一部になりきれなかった米兵の悲劇を描いている



こと「<戦いに勝つ>と言うことに関しては・・・・」  この証明が現代までの地球の歴史だ

・・・しかしこの〝解答〟は、生命の絶滅を意味している
 ・・・これは「勝者の居ない世界」、と同意義だ

シンプルに「アホ(無意識)になった方が最強」  ・・・・ああそうだろう!!
しかしこれが〝武道〟というプラグマティズムを通しての求道の究極的結論ならば、
これは、「無限の可能性」なのではなく、文字通りの「愚の骨頂」を体現している

「勝った方が勝ち」という「一見シンプルな事実」に対して私は「ノー」という



生命の究極目的が「相手を倒す」ことならば、なんで我々は
シガニーウィーバー主演の「エイリアン」や
シュワルツネッガー主演の「プレデター」の様な、純粋戦闘生物に進化しなかったのか?
なんで十月十日を掛けて子供を産み、長い成熟期間を掛けて子供を育てるのか?

「マシーンによる世界征服」が、私たちの進化の究極目標???

なぜ「ユーモア」や「甘い恋愛」「家族の絆」を成熟に必要とするのか?

「勝ち」より「価値」あるものとは?  いま、この宇宙的な最終結論が出ようとしている

「戦いに勝たなくても良い」 「生き残った方が勝ち」~~それこそが「価値ある結果」なのだ

では「逃げるは恥だが役に立つ」、 
しかしどうしても闘わざるを得ないなら・・・?

結局、
どれほどロックフェラーの近代兵器が強かろうが、その先が「全生命の絶滅」と見えたのなら
生命は死にものぐるいでこの「勝った方が勝ち」という大原則をひっくり返そうとするだろう

もはや「勝った」「負けた」の資本主義ゲームが、「そして誰も居なくなった」という
笑えないオチを招くぐらいなら・・・・

・・・それが、
その宇宙的な結論が、この地球上で下されるか?否か?の今とは、まさにその瀬戸際なのだ

いま、人工知能が囲碁の名人、将棋の名人に勝っただの負けただのが話題になっているが
そんなことはもともと「時間の問題」に過ぎないのだ

私たちがまだ「器用に出来る」だの「勝ち負け」だのという

  バイオレンスを基準に血をたぎらせている私たち自身の幼稚性

こそが、もっとも「いま目の前の危機」なのだ ・・・かれらがスカイネットを生み出す

ものごとにはこれからも「優劣」はありつづけるだろう、「比較」も必要だろう

マシーンが最強・・・
・・・それは私たち人間の「内部表現」脳内マトリックス、幾何学が生み出した

  ならば、その「生命を生かしも殺しもする」マシーンの
   「電源スイッチを管理出来るか?」 そこには英知が必要だ

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