We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

2016年11月

私の言う 「内側の世界 (いまここ) 」 とは 「外側のない」 世界のことだ OSHO

過去の様々な選択や努力というのは、「いまここに、こうして居る」ことの中に実現している

あなたやわたしの「いまここ」とは
全宇宙の過去の集大成の、集約点だ、っという説明が出来る

あなたは5秒後には目の前のコップにあるコーヒーに手を伸ばすかも知れない・・・

あなたは突然、いなり寿司が食べたくなって、
5分後には近所のセブンイレブンにいるかも知れない・・・・



あなたは5年後に英語を習得し、インドネシアに永住しているかも知れない

でもコーヒーを淹れていなければ目の前にコーヒーはないだろう
5分でセブンイレブンに行けるところにあなたが今住んでいなければ
あなたは5分後にセブンイレブンでいなり寿司を手に取っている可能性はない

あなたが5年後に生きているとは限らない

そして目の前にコーヒーが湯気を立てていても
あなたはそれに手を伸ばす直前に心臓発作を起こすかも知れない

肉体という限界だらけの中に在るとは生と死のスレスレの境界線の中に生きると言うことだ
私たちは今、生きているとも言えるが、それは同時に「死につつある」ことも意味している

    私たちには沢山の過去の蓄積があるが、
     そのどれもが「いまここ」の中で初めて意味を持つ

    私たちには沢山の未来の選択肢があるが
     そのどれもが「いまここ」を基点とした可能性に過ぎない

神話も、仏の説話も、政治やオカルト話も良いだろう・・・・
友と語らいながらの食事や音楽も楽しく美しい
 でもそれらもそういったシチュエーションが「いまここ」に含まれていてこそ実現する

わたしたちは「楽しいホームパ-ティー」であれ、「ロック・クライミング」であれ
「いつかどこか」をイマジンし、計画することで初めて行動を起こすことが出来る・・・

でもそういった「思い出」や「可能性」はすべて
「いまここ」にあるシチュエーションが
内包している支点(始点)でなければあなたにとっては無関係な話だ

光や音の世界は、生まれながらの盲人や聾者(ろうしゃ)に幾ら説明しても
それはイマジンすることさえ不可能なのだ

いつか、知らないままに
あなたと、あなたと別れたの・・・

・・・今は、どこ?


まんが「アンデルセン物語」エンディング - キャ... 投稿者 maneel-katal

君が生きるためならこの船に乗れ
いつか無くした夢が、・・・ここにだけ生きている


宇宙海賊キャプテンハーロックED (TV-STEREO) 投稿者 maneel-katal

特定の「いつかどこか~目的、理想」への出発とは作用点だが、
そこにむけての力点(努力)に私たちは「自分自身」を感じてきた

でも
それら力点も作用点も、支点である「いまここ」から延長されてきたやじろべえのアームだ
この過去と未来とのアームが振れている間だけ、私たちは自分の存在を感じる

こんな当たり前の事をクドクド言っているわたしに、あなたは苛立ちを覚えるかも知れない

「もっとこうすればいいのに」「もっとああすればいいのに」っと
よかれと思って改善点を指摘してくれるのには感謝しよう

しかしすべては、この目の前の一杯のお茶に手を伸ばすことから始まる

過去も、未来も、いまここにある
いまここに在るものだけが実在で、
           わたしにとっては「いまここにあるもの」が
              わたしという宇宙のすべて、リアルのすべて・・・・で、

               それ以外はぜんぶ「もしもの世界」「夢、幻の世界の果て」だ

                 ・・・・一体あなたは他にどうしろというのだろうか?

わたしにあるのは、「これ」がすべてだというのに・・・・


汚れちまった悲しみに 投稿者 maneel-katal

ここでこのログは止まる
要は「クルアラーン(コーラン)を読んでくれ」というイスラムのコマーシャルだった

彼の熱意はどうであれ、たぶんこの様なやり取りでコーランを読んでみようという日本人は
あまり居ないだろう

何十億人もの人々がイスラム教徒だ、
少数派だが日本人にもムスリムはいるし私の友人にも居る
コーランはきっと読めばそれなりに説得力があること、心に響くことも書いてあるだろうのは
予測出来る・・・ わたし自身もいつかはキチンと向き合ってみたいとは思う

しかし「ワンネス」的な発想、日本の神道の「八百万の神」の発想からいけば
アッラーは唯一の神なりというのは「唯一なるもの」の「八百万の呼び方」の中のひとつに過ぎない

・・・そういう日本人的な発想はムスリムの人達にとっては到底受け入れがたいだろう

 たったひとつの素晴らしい言葉、たった一度の感動が全人生を変えてしまうことがある
だれもがそういう体験が有るかも知れない
そういう意味では、聖書や聖典というものもけっしてバカには出来ない

しかし「書かれたもの」とはすべて過去のものだ・・・過去とは死んでいる

99.9%の真実で埋め尽くされた聖典も、次の瞬間には腐敗しはじめる
「いまここ」とはマインドではキャッチ不能なことだけれど、私との会話である知人が言った
「7秒経ったら、もう過去だそうですね?」

いくら「7」という数字が神聖だからと言って、そういう根拠は一体どこにあるのか?
きっと彼も誰かから「そう言われ」て、それを過去の記憶から繰り返しているのだろう

7秒だろ7ナノ・セコンドだろうが、過ぎ去ってしまったものを「いまここ」とは呼べない

腐敗が始まる・・・
 いまここから0.1秒でもずれたら、0.1ミリずれたら、そこに完全な鮮度は無い

つまり「いまここ」には一切の時空間的幅は無く、時間や空間の連続線上、延長線上ではない
全く別の次元に「いまここ」はある

数学上の「ゼロ」も「ブラス1」と「マイナス1」の単なる中間点では無く、それは特異点だ

私の言葉に〝感銘〟を受けているようではまだまだだ OSHO
私の話はすべて〝宇宙的なムダ話〟さ OSHO

言語や概念で語られるストーリーとはすべて「〝それ〟を指さす指」に過ぎない
その意味合いを越えて「指にしがみついた」時に、なにやらおかしな事が始まる
そこにゾロゾロと人が集まりはじめ、やれ団体やら組織を形成して〝群れ〟はじめる

真実を指さすために無量無辺の語り口が可能だろう
でもそれらすべてにしがみつくのは「指さす指」への執着だ
人間の「永久不変の真理や神への憧れ」とはハンパない最大の貪欲さなのだ、

    ・・・・その為に人間は大量殺人さえ犯す、しかもまったくなんの罪悪感さえ無く

クルアラーンを読んでも良いだろう、読まなくてもいい ・・・死にはしない
クルアラーンを読んで人生が変わるかも知れない、・・・変わらなくてもいい

禅やクエーカー教の中に入っていくことには勇気が要る

でもそれが怖いからといって、聖書、聖典、その他「知」に執着したとしても
それはあらゆる薬物中毒以上に私達に確実に緩慢な死をもたらすだろう・・・

「私は知っている」という思い込みの危険性に比べれば
大麻やLSDの危険性なんかメじゃない OSHO

それは「味の素~グルタミン酸ナトリウム」、「タバコのニコチン」、「白砂糖」以上の
強烈な依存性を持った害毒で、それは緩慢な発狂と自殺への確実なレール

消えゆく化城(マトリックス)にギリギリまでしがみつき、また別の化城を探して流離うか?
化城を化城として看破し、見破り、勇気を持って旅立つか?その二者択一だ


過去とは全部化城であり、それはもっともらしい99.9%に、猛毒の0.1%が混入している

いま吸っている空気、今食べている食べ物、
いま吐いている息、排泄を受け止めてくれる便器・・・

これら私達を瞬間瞬間生かしてくれる、周囲を取り巻くすべてがホンモノの神だ

私達は呼吸しなければ死ぬが、呼吸によってからだは酸化して死に追いやられる
私達は食べなければ死ぬが、それと同時に消化器官は汚れ、消化酵素を消耗していく

不老長寿を目指すのも結構だけれど、それらは単なる延期に過ぎない
わたしたちは「始まりと終わりがある」世界に生まれ落ちた瞬間から
「有限の中に無限を見つけだす」挑戦の(帰還の)旅をはじめたのだ・・・それが「不老不死の旅」

  情報とは、知識とは、過去とは、(神秘)体験とは・・・・

全部
   「もっともらしい99.9%に、猛毒の0.1%」というリアリティーで出来上がっている

      ・・・この99.9%と0.1%の両方のブレンドこそが「生と死」なのだろう

あなたに判って欲しいことは何かありますか?

あなたには理解して欲しい人が誰か居ますか?


・・・もしそんなことがあるなら、そんな人がいるならば、 
   きっとそれがあなたとこの世界とを結ぶ絆だろう

   なぜならば、そういった絆があれば
    たとえ突然あなたは命を落としても叉この世界に舞い戻ってくるから・・・

   ・・・だからそれこそが、あなたがこの地上と結ばれた絆だと言うことだ

もしあなたが、伝えたいこと、理解して欲しいことがなにもなく
    そんな相手も居ないならば、どうしてこの世界に舞い戻る必要があるだろう? 、

あなたはまだどんな体験をしたいのだろう? 誰と共にいたいのだろう?

 そんな事柄も、もっと共に過ごしたい相手も、何も誰も居ないならば
   この世界からまかり間違って離れてしまっても
  一体どおして慌てて帰ってくる必要があるだろう? 


夕暮れの山門にひとり 投稿者 maneel-katal

1
00:01:21,698 --> 00:01:34,344
ああ、この路をもう何度往復してきただろうか?

2
00:01:41,734 --> 00:01:54,97
もう数え切れない程に・・・

3
00:02:02,922 --> 00:02:17,170
まるで、永遠の時、往復し続けたかのような・・・

4
00:02:44,997 --> 00:02:59,629
この土地に暮らしはじめる前の生活の記憶も

5
00:03:07,103 --> 00:03:21,617
その記憶も確かにあるのだけれど・・・

6
00:03:27,223 --> 00:03:43,489
「あなたの今までの人生の記憶は・・・

7
00:04:00,856 --> 00:04:14,587
・・・全部、『今の自分の確かさ』を支えるためだけの

8
00:04:23,212 --> 00:04:37,776
単なるつじつま合わせの〝夢〟だったんじゃないの・・・?」

9
00:04:39,912 --> 00:04:54,910
・・・もしも誰かに問い詰められたのならば、

10
00:05:13,395 --> 00:05:28,544
・・・わたしは何も確信を持てずに

11
00:05:34,883 --> 00:05:49,248
ただ、視線を足元に落として、

12
00:05:54,119 --> 00:06:09,368
「ああ、そうなのかも知れません・・・」っと

13
00:06:25,434 --> 00:06:40,599
苦笑することしか、出来ないかも知れない

14
00:06:49,107 --> 00:07:03,855
こうして見慣れた路を歩いているはずなのに・・・

15
00:07:13,732 --> 00:07:27,913
なにひとつ確証を持つことが出来ずに

16
00:07:40,242 --> 00:07:54,790
ふと路の真ん中で、呆然と立ち尽くす

17
00:08:05,817 --> 00:08:20,515
いったい、
私はどこから来たのだろうか?

18
00:08:29,224 --> 00:08:44,105
そして
私は、どこに行くというのだろう?

19
00:08:50,979 --> 00:09:05,994
いま、ここに居ることを選んだのは

20
00:09:13,318 --> 00:09:26,931
本当に〝わたし〟・・・?

21
00:09:34,839 --> 00:09:50,88
それとも、今のこの場所そのものが・・・

22
00:09:56,478 --> 00:10:11,609
わたしを招いてくれたのだろうか?

23
00:10:19,951 --> 00:10:34,249
小さな小さな世界の片隅での

24
00:10:48,963 --> 00:11:04,78
大きな大きな大冒険

25
00:11:16,541 --> 00:11:30,988
答えを求め続けて・・・

26
00:11:40,898 --> 00:11:54,595
・・・全てを把握しようと両手を拡げ続けてきた

27
00:12:15,433 --> 00:12:29,931
そんな私をいつも静謐な空間が見守り続けていた

28
00:12:35,236 --> 00:12:49,116
目の前に伏せられた本のページの無限の忍耐が・・・

29
00:12:55,206 --> 00:13:10,721
柵の向こうに目を奪われ続けていた私には
分からなかった

30
00:13:34,545 --> 00:13:49,560
広く、遠くを見渡すことが、「賢さなのだ」と
いつからわたしは信じ込んでしまったのか?

31
00:13:55,983 --> 00:14:09,446
さくり、 さくりと踏みしめる枯葉の囁きと感触も

32
00:14:15,886 --> 00:14:30,584
壮大な交響曲のコンサートも、同じく大事な瞬間なのに・・・

33
00:14:54,491 --> 00:15:09,223
どの瞬間だっていつもひとつだけ・・・、
永遠の中のただ唯一の瞬間なのに・・・

34
00:15:21,468 --> 00:15:35,149
太陽が、  ・・・沈んでいく

35
00:15:44,791 --> 00:15:59,6
もう二度と 決して帰って来ない一日

36
00:16:31,488 --> 00:16:46,286
ウンザリしたようにあなたは言った
「何言ってるんだい?明日も、あさってもまた日は昇るのさ」

37
00:16:54,227 --> 00:17:08,425
「昨日、今日、明日・・・」
「毎日が似たような繰り返しじゃ無いか?」

38
00:17:21,104 --> 00:17:35,752
だったらこの夕暮れの、
死にゆくような感触は何なのだろう?

39
00:17:48,415 --> 00:18:03,930
自分自身の葬儀を見守るような、この感覚・・・

40
00:18:12,889 --> 00:18:27,837
愛し切る事が出来なかった者には後悔の悲しみを・・・
全てを燃焼し尽くした者達には解放、安堵と、そして満足を・・・

41
00:18:35,211 --> 00:18:50,160
「花を見る時に、本当に〝花と共に〟いられたかい・・・?」

この夕焼けは見送るすべての者達にそんな風に問いかけているみたいだ

42
00:19:01,438 --> 00:19:15,802
その時、その場と共にいたならば
そこに「わたし」の出番などどこにも無いだろう・・・

43
00:19:24,928 --> 00:19:39,192
そこに葛藤が持ち込まれることなど無いだろう・・・

44
00:19:46,266 --> 00:19:59,896
・・・この夕暮れに
「そして、誰も居なくなった」ことだろう

45
00:20:08,938 --> 00:20:22,618
黄昏時のトワイライトゾーン
一日の終わりを祝うひととき・・・

46
00:20:29,809 --> 00:20:45,725
重ねてきた労苦を、ねぎらうひととき・・・

47
00:21:02,391 --> 00:21:16,622
弔うべきひとがいないなら
再生すべきひともいないのだ

48
00:21:23,779 --> 00:21:37,743
---ある夜、こんな夢を見た---

 わたしは破門され、山門からつまみ出された修行僧だった

49
00:21:46,352 --> 00:21:59,865
夕闇が迫る、薄暗くなり始めた山里に・・・

50
00:22:07,173 --> 00:22:20,169
わたしは裸足で、着の身着のまま地面に投げ出された

51
00:22:28,761 --> 00:22:42,958
カラスが巣に戻る鳴き声が、
    遠くから長く響いてくる

52
00:22:52,735 --> 00:23:07,199
ひもじさ、寒さ、心細さの中、
わたしは自問自答した・・・

53
00:23:18,177 --> 00:23:31,590
「なんでわたしには居場所がどこにもないのだろう?」

54
00:23:40,149 --> 00:23:54,96

ずっと問い続けてきた自問自答を反芻したが
ただ絶望の沈黙に押しつぶされるだけだった・・・

55
00:24:23,158 --> 00:24:36,438
その沈黙から逃げ出すように立ち上がり・・・

56
00:24:45,798 --> 00:24:59,695
わたしはトボトボと歩きはじめた・・・

57
00:25:09,788 --> 00:25:24,303
ただただ、歩いた、
・・・目指すべき宛(あて)もないのに

58
00:25:32,744 --> 00:25:47,559
空虚さがわたしの360度を取り巻いていた・・・

期待も、保証も、従うべき定めも、問うべき師も何一つなかった

59
00:25:55,867 --> 00:26:10,248
でもそこには唯一
踏みしめた足の裏から伝わってくる、
 自分の歩行のリズミカルな感触があった・・・

60
00:26:21,376 --> 00:26:36,291
それは
思いがけずにとても懐かしい「熱い確信」だった・・・

61
00:26:46,268 --> 00:27:00,849
なんてことだろう!
私にははじめから両親も、家族も、帰るべき家もなかったのだ!
確かにわたしのこの身体は両親を介しているが・・・、

62
00:27:08,340 --> 00:27:25,473
・・・彼らは別に私の両親として生まれたわけじゃ無い

誰もがわたしに私向けの一面をみせていただけだった

63
00:27:36,735 --> 00:27:51,182
そして
人生のカルマも、課題も、目的も、理想も・・・
 すべてはあとから取り込んだ発想に過ぎなかった」

64
00:28:00,959 --> 00:28:15,457
それらの全ては
  いまここには、影もかたちも無いじゃないか?

65
00:28:26,901 --> 00:28:41,149
すべては私が・・・
寂しさ虚しさから逃げ回っていたから、
優しさ慰めを人々に求め続けていたから、

66
00:28:50,391 --> 00:29:05,139
死ぬ程に死の闇を恐れてきた・・・、
でもその恐れ自体が
私の周りにリアルなお芝居を作り続けていたのだ

67
00:29:15,984 --> 00:29:29,831
常に何かを詰め込みつづけて・・・
常に何かを追いかけ続けることで・・・

68
00:29:38,389 --> 00:29:52,336
「本当の自分探し」をしていたつもりだったなんて!!

          ・・・何て自分はバカだったのか?

69
00:30:00,278 --> 00:30:16,844
すべては
夢中で集め続けた〝借り物〟だった・・・

すべてに
身勝手な〝カガミの役割〟を押し付けていた・・・




70
00:30:23,718 --> 00:30:35,930
・・・ああそうか

  だからずっと私の人生は空虚だったのか・・・





              - E N D -

この秘話の物的な証拠をブログ主は何も確認していないので
読んだ皆さんが各自のご判断で参考にして下さい


「まほろば創世vol.5 2016年5月号」より以下に一部を転載
編集発行:まほろば創生 
Tel:03-6417-9248 Fax:03-6417-9249
「平和への一思考」(河内正臣著)より抜粋

 日本軍は昭和19年、「トリニティ実験」に先がけて原爆開発を可能とするレベルまで優秀な技術的布陣を整えることに成功し、その開発を急いでいたというのです。この研究開発は、理化学研究所の仁科芳雄博士を中心とする仁科研究室で推進され、六フッ化ウランの製造、ウラン235の臨界量の計算、熱拡散法によるウラン235の分離装置など、原爆の製造に必要な実践的な研究開発が行われていました。この過程において、難関となったのは原料となるウランの収集でした。日本軍は国内はもとより朝鮮半島までウラン鉱山を探すのですが、中々発見できず、それは結局、昭和18年暮れから19年初めにかけて、同盟国ドイツから運ばれたのです。

 このことに関する生き証人は、戦中に特務機関の責任者であられた岩田幸雄氏でした。

 岩田氏は、その任務の性質上、当時の各国が原爆開発に血まなこになっていた実状を誰より熟知しておられました。そして、その実態を映したソ連製作の極秘フィルムを入手され、杉山元陸軍大臣に提出し、感謝状までもらっておられたのです。

 潜水艦で密かに運ばれた原爆製造用のウランは、広島県呉の軍港に到着しました。苦境にあった日本軍のトップは内心狂喜したことでしょう。これで新型爆弾が開発できる、今、完成させたら劣勢を逆転できる・・・そう考えたに違いありません。この時代の軍内部の動向は、一般国民に知らされることはほとんどありませんでしたが、杉山参謀総長こそは最も真相を知る立場にありました。

 その杉山総長が、東京世田谷の自宅に岩田氏を招き、驚天動地の重大事を話していたのです。この話に入る前に、陸相時代の杉山から岩田幸雄氏に送られた感謝状を提示させて頂きます。(まほろば創世vol.5内に「感謝状」画像あり)
文中「新兵器研究上」とは、明らかに原爆開発を意味しており
この感謝状を受領して数カ月後、岩田氏は杉山陸相から次のような秘話を聞かされていました。

 杉山
岩田君、君は軍籍のない民間人であるにもかかわらず日本軍のために身を挺し多大な貢献をしてくれ心から感謝している。その苦労に報いるためにも、一日も早く新兵器(原爆)を開発し、劣勢を挽回すべく懸命の努力をしていたが、事情があって残念だが新兵器製造は中止した。

実は御上(おかみ・天皇)から強いお叱りを受けた。君の提出してくれた秘録映画から各国が新兵器開発に血まなこになっている様がよく判り、私としては猶予は赦されず、製造を急がせていた。 完成すれば、最初にハワイに落とし、その威力を示し、日本軍を有利に導く計画であった。わが日本軍がウランを入手し、新兵器開発が今まさに現実的になった段階で、東条首相がその旨陛下に上奏した。戦局は困難な状況下にあり、帰死回生の決定打として、御上にお喜び頂けるものと思って申し上げたのだが、
意外にも反対された。

 その理由として、

数カ国が新兵器の開発を競っているとのことだが、
日本が最初に完成し使用すれば、他国も全力を傾注し完成させ、
使ってくるようになるであろうから、全人類を滅亡させることになる。・・・

 それでは人類絶滅の悪の宗家
       日本がなるではないか?


また、ハワイに投下する計画とのことだが・・・

  ハワイには、日本の同胞が多数移住し、
  現地民とともに苦労し今日を築き上げたところである。

  そのような場所に新兵器を使用することには賛成しかねる。

 ・・・・と仰せられた。」

 東条首相は、
陛下の御意志に反することは出来ないということであったが、
自分としては敗戦となれば日本が滅びてしまい元も子もなくなると考え、
製造促進を主張し意見が衝突した。

 参謀総長の立場にある者として、日本を敗戦に導くことはできない。
戦争とは、結果において勝利を得ることが肝要であり、今の日本は手段を云々できるときではない。勝てば陛下にお喜び頂けるに違いない。そうして、陛下の希求される世界平和を実現できるではないか・・・、と説得したが同意が得られず、私は昭和19年2月、参謀総長の座を東条にゆずり野に下った。

そして、同年7月、東条内閣が総辞職する事態となり、小磯内閣が誕生した。
自分は陸軍大臣に返り咲くことができたので、私の責任において、秘密裏に新兵器開発を急がせていた。

ところが、新兵器を積むロケットの燃料製造過程で誤爆事故が突発し、再び陛下の知れるところとなった。陛下に呼ばれた私は、『まだやっていたのか!』と、強くおいさめされた。まことに面目ないことであり、これ以上進めることはできなくなった。

 私は、日本が勝っても負けても自決し、この責任はとる覚悟である。
たとえ勝てたとしても、陛下の大御心を煩わせたことは罪万死に値する。
さらに多くの部下を死に至らしめた責任から逃れることは出来ない。
ここで述べたことは、誰にも話さないでくれたまえ。
もし知られたら、陛下も自分も全国民から恨まれるだろう。

    ・・・・このことを知っている者は、陛下と東条と自分以外にはない。

 岩田氏が、杉山陸相からこの話を聞かされたのは、昭和20年2~3月のことでした。
当時の日本は、敗色が日ごとに濃くなっていた頃で、陛下もそのことは感じておられたはずで、そんな時期に戦局を有利ならしめる新兵器(原爆)の開発に反対されていたという事実は驚嘆すべき重大事といわねばならないでしょう。

 高名なアインシュタイン博士は、戦後は“世界連邦運動”を通じて、核開発競争の反対運動を熱心に推進した平和主義者として知れれます。しかし、同博士ですら、当初ドイツが原爆開発に着手しているとの情報に触れた時、米国の科学者を代表して、先制の原爆開発を勧める書簡『アインシュタイン-シラードの手紙』をルーズベルト大統領に送ったという事実は、先に見た通りです。

 当時、一般人の間で、新型爆弾―原爆の噂を知っていた者は、最初に製造した国こそ世界を制覇できると考え、誰一人としてその開発に反対する者はなく、特に交戦国でこの事を知る全ての人間が一日も早いその完成を願っていた時代に、昭和天皇ははっきり反対され、実際にその製造を中止までさせていたとは・・・、
何という感嘆すべきことでありましょうか。

そして、新兵器は先の「マンハッタン計画」においてとうとう完成し、日本の都市はその洗礼を世界で初めて受けることとなります。昭和天皇がこの非情な現実の報告を受けられた時、その胸中はいかばかりであられたか・・・。

 『終戦の御聖断』の決定的なご決心は、この原爆投下に起因していたことは間違いなく、日本の戦争終結を「敗戦」とは表現せず、「終戦」と断定されたのも、原爆が製造され実際に使用された以上・・・
   この第二次世界大戦を人類の最終戦争とせねばならない
・・・と深く思慮されてのことであったものと拝察されます。
 
ここに、まさしく昭和天皇が、終戦後に幣原首相を介して、
世界史上で最初で唯一の『戦争放棄』および『交戦権の放棄』をはっきりと誓った
日本国憲法を御裁可の上で誕生せしめた必然の所以があったのかも知れません。

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