We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

2016年10月

「部分」を見れば世の中は理不尽だらけだよね~~
ものごとを短絡的に解釈すれば受け入れられる事なんざ殆どない

・・・・でもだからといって私たちが「全体」を見ることは無い
             メッセージの楽屋裏を見ることは無い

「答え合わせ」はすべてが終わった時だけにしか見れない・・・それがゲームってもんだ
経文・・「あらゆる人に感謝しなさい」
アティーシャは、全くもって科学的だ。
最初に、彼は言う・・
全ての責任を、自分で取りなさい。
次に、彼は言う・・
あらゆる人に、感謝しなさい。
あなたの、惨めさについて、
あなた以外、他の誰にも、責任がないとしたら・・
惨めさは、全て、
自分自身が、作り出したものだとしたら・・
後には、何が残っているだろう?
「あらゆる人に感謝しなさい」
なぜなら、あらゆる人が、
あなたが、変容される空間を、創り出しているからだ・・
あなたの邪魔を、しているつもりの人達でさえ、
あなたが敵だ、と思っている人達でさえ。
あなたの友人達、あなたの敵達、
善い人達も、悪い人達も、
順境にある時も、逆境にある時も・・
その全てが、一丸となって、
あなたが、変容されて、ブッダとなり得る状況を、
創り出している。
あらゆる人に、感謝しなさい・・
助けてくれた人達、妨害をした人達、
無関心だった人達に。
あらゆる人に、感謝しなさい・・
なぜなら、彼らは、一丸となって、
ブッダが生まれる・・あなたが、ブッダになる状況を、
創り出しているからだ。
OSHO:The Book of Wisdomより
思いどおりにしよう思いどりにしたいと思えば思うだけ
逆に感謝というところからは遠いところにいる
小林正観メッセージ301
生命維持の根幹に近いものに対する「感謝」程、
実感しやすい・・・なぜなら「テコの原理」が働くからだ

そういう意味ではヴィパサナは最高の瞑想法かも知れない 

OSHO

When I say hopeless
I don't mean what you mean by the word hopeless.

望みがない、と私が言うとき、
いわゆる「絶望」という意味で言っているのではない。

I simply mean there was no hope in me.
Hope was absent.

それは私の中に単に、
希望がそこになかったということだ。

I am not saying that I was hopeless and sad.

単に「希望の不在」を意味している

〝人類〟には常に「希望と絶望」が必要だ
その間で常にアップダウンしている必要がある
「滅び」と「パラダイスへの発展」との二つの夢が必要なのだ

しかし、個人(インディヴィディアル)には
明日の保証は無い、次の瞬間のいのちの保証は無い
それゆえに希望や絶望に身を焦がしているヒマなど無い

個人に許されているもの、
個人が唯一持っているものは、「いまこの瞬間」だけだ

しかし、人は皆、人類の一部であり続けようとする
だから「過去と未来」「希望と絶望のドラマ」という
時間が必要だ

人々は「人類の夢」を見続けた

人は皆、「花を見ている時に、それとは別のジブンがある」
と空想して生きている・・・「次の人類の夢」に移動するために

人は皆、ちょっぴり欲張りなのだ
だから「いまここにあるものがすべて」だ何て思いたくないのだ

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あなたたちが苦しみを握って放さないのは
愛を受け取らなかったからだ。
人生において愛を受け取った者は
喜びと至福に満たされている。
彼は喜びと至福を握って苦しみを掴まない。
苦しみは握り続ける価値のないものだ。
だが、それでも文句を言える利点はある。
何しろ他人が自分を苦しめていると
言っていればいつでも、
責任の重みは自分に掛からないからだ。
ところが私があなたたちに言うのは、
そしてあらゆる教典、すべての賢者たちが
あなたたちに言ってきたのは、
ほかでもない、あなたひとりに
責任があるということだ。
そうなると、
それはあなたにとって、非常な重荷になる。
最も厄介な思考は、
自分のほかの誰にも
責任を転嫁できないということだ。
さらにもっと厄介なのは、
もし自分ひとりの責任だとしたら、
誰に同情を求めたらいいのかということだ。
そして深い内面ではもうひとつの
困難が起ち上がる。
それはもしあなたに責任があるのだとしたら、
変化が可能だということだ。
そして変化とは革命であり、
それには変容を通り抜ければならない。
   あなたはあなたの古い習慣を
破壊しなくてはならない。
あなたが持っている古い枠組みは
すべて間違っている。
あなたがこれまでつくってきた家は
完全な地獄だ。
だがあなたがそれを創ったのだ。
それがどれほど大きなものだとしても、
壊さなければならない。
あなたの全生涯のワークが
どぶに流れていくように見える。
それがあなたが
真実を避けようとする理由だ。
だが、あなたが避ければ避けるほど、
あなたの迷いはさらに深くなる。
 これをまっ先に理解しなさい。
あなたこそがあなたの存在の中心であり、
ほかの誰にも責任がないということを。
その事実に直面することがどれほど
大変であろうとも、
あなた独りに責任がある。
もしあなたがこの真実を受け容れたら、
あらゆる悲しみはじきに消える。
というのも、いったん
「自分がこのゲームを演じている」
ということがはっきりしたら、
それを壊すのにどれほどの時間がかかるかね?
そうなったら、ほかの誰にも関係ない。
そしてもし、
それでもまだ苦しむことを
楽しみたいのだとしたら、
それはあなたの決定だが、
もはや不平を言う理由はない。
もしあなたがあてもなく
この世をさまよいたいと言うなら、
それはあなた自身の好みだ。
もしあなたが地獄に落ちたいと言うなら
それは完全にあなた自身の選択だ。
だがそのときは、不平を言ってはならない。
そのときは、苦しみの中で幸福でいなさい。
OSHO
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バガバァン
皆さんは怒りがあることが自然なのです。
嫉妬があって自然なのです。
暴力的であって自然なのです。
それが生(なま)の自分なのです。
皆さんはそれを変えられません。
それがハプニングとなって皆さんに生じなければなりません。
変わろうとするどんな努力も、問題を作るばかりです。
それは問題を複雑にし、さまざまなトラブルの原因になります。

皆さんはそこで真実を見落とします。
ですから、変わろうとするのではなく、
むしろ嫉妬や心配、恐れを抱きしめ、恋してみて下さい。

そうしたら何が起こるかを見て下さい。
やってみて下さい。
何がどうやって起こるかなど考えずに、
とにかくやってみて、見てみて下さい。
何か驚くべきことが起こるでしょう。

それは悟りにまでは導かないかもしれませんが、
それでも確実に、皆さんをとても素晴らしい状態へと導きます。
ですから同じように、皆さんは、
自分が安心感を必要としているという
事実も受け止めなければなりません。

皆さんは、父母、兄弟、妻、夫、恋人、
自分の知識や富や権力などから
安心感を得なければなりません。
どんなものからでも構いません。
ここで私たちが、この手法の中で提案したい大切なことは、
皆さんが安心感を得ていく中で、
安心のより所をうまく配分すべきだということです。

ひとつのバスケットに卵を全部入れてはいけません。
父や母、恋人、誰でも構いません。
あるいは学歴でも美貌でも、何でも構いません。
安心のより所をいくつかに配分すべきなのです。
これは安心感というものに対しての上手な取り組み方です。

もし皆さんが悟っていないのなら、安心感が必要なのです。

皆さんは、隙だらけになるべきではないのです。
逆に、自己を無くした人は自ずと隙だらけです。
なぜなら、その人にとって保護するもの、
守るものは何もないからです。
つまり自己・自分がないからです。

逆に、もし皆さんにまだ自己があるなら、
抜け目なく、現実的に自分自身を守らなければなりません。
自分の安心のより所を創り出さなければなりません。
そして、そのベストな方法は、安心のより所を配分することです。
卵をいくつかのバスケットに配分します。
これが皆さんのすべきことです。
そしてもし、そこに関わっている相手が、
あまりに移り気な人なら、少し注意すべきです。

もし彼が浮気心を見せ始めたら、
皆さんの側でこの人間関係を終わらせる
覚悟をしなければなりません。

そして他の誰かに乗り換え、しがみつくべきです。
これをうまく実践すべきなのです。
ですから悟っていない人、悩んでいる人がやって来たとき、
私たちの対応はまったく違うのです。
そういった人たちに、ここでプロセスを受けて下さいとは言いません。
私たちはただ会話をし、安心のより所を再配分するだけです。
そうすればその人はとても幸せになって帰っていきます。

これは二つのレベルで働きます。
若者に話す場合、自己が解放されること、隙だらけになること、
愛を発見することなど、そういった内容には言及しません。
そんな話しはしません。
私が話すのは、シンプルな愛の発見です。
つまり、恋することを話し、私たちはそのお手伝いをします。
もう一方で悟りたいと思っている人たちには、
彼らの愛を高めていきます。

これら二つは別々のものです。
愛と言っても異なるものです(訳注:愛と恋)。
ですから、皆さん(訳注:青少年向けコース参加者を指す)の場合、
私の祝福は、皆さんが恋するのを助けます。
今日、人々は恋することさえ難しそうに見えます。
だからこそ、私たちはそれを助けているのです。
なぜなら、それは皆さんが必要としているものだからです。

そしてもし、皆さんが本当に恋に落ちるなら、
本当に嫉妬するなら、本当に欲深くなるなら、どうなるでしょうか。
私からはっきりお伝えしましょう。
そういった人こそ、遅かれ早かれ悟りに至ります。
逆にもし皆さんが、
「いえいえ、私は嫉妬はしません」
「自己中にはなりません」
「私はとても素晴らしい人間です」
などと、ゲームを続けていく限り、
つまり、
悟っていないのに悟った人のように振る舞っている限り、
哀れな人間です。
あらゆる生き地獄を味わい、惨めな人生になるでしょう。

それとは逆に、
「私は、悟りを得ていません。これが私の性格です」

「これが私です」

というスタンスを取ってみて下さい。

それの何が悪いのでしょうか。
そのまま生きて下さい。

そのときこそ、皆さんはたくさんの幸せを発見するでしょう。

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