なぜ?シンプルに呼吸を見つめるだけで、奇跡が起きるというのだろうか?
わたしたちは何か神秘的な現象というのはとても〝複雑な〟現象に違いないと考える
確かにリラックスというのは非常に複雑な現象なのだ
野生の動物たちにとっては「あるがままである」以外の在りようがない
そこには一切の選択肢が無い
人間には一見無限とも思える選択肢がある
そして「あるがまま」とは、その無限の選択肢の「どれかひとつ」にしか見えない
だからリラックスしようとすることは〝試み〟であり一見実に複雑な選択を通過する・・・
するとそこには、成功や達成と、失敗、間違った選択があることになる・・・
・・・しかし、本当はすべての選択は最終的には
くつろぎがベースにあり、くつろぎがゴールでもある
※ これは「最も抵抗値が少ないところを探す」という
量子コンピューターの演算原理でもある
そのことをヴィパサナは思い起こさせてくれるし、
そのあらゆる複雑さへの理解があってはじめて
わたしたちはヴィパサナの中に寛ぐことが出来る
「完璧なくつろぎへのこだわり」が
わたしたち人間を不完全でいびつなクリーチャーにしているのだ
・・・押し付けられた単純さとは「くつろぎ」ではなくファシズムだ
それは新たな迷路を作り出すだけだ
ヴィパサナへの没入の中では、そんな「わたしという宇宙」の歴史が突如沈黙する
そのことを〝奇跡〟と呼ぶわけだ、
何かが〝起きる〟ことが奇跡なんじゃない・・・
だから〝精進〟とは努力ではないのだ、放縦でも無い・・・