わたしは若い時、占いや整体で喰っていた
プロでやっていくというのはそれなりに張り合いはあるし
その実務経験の結果、技術も理論も向上する・・・ 一見良いことだらけだ
しかし、だんだんその「好きなことへの意欲」は〝すり減って〟きた
自分の「好きなこと」が摩耗していくのを目の当たりにすること程、残酷な人生は無い
よく成功哲学などでは「好きなことをしろ」というが私の場合は例外だったようだ
「あなた、本当に働くことが嫌いなんですね・・・」と
ある霊能力者から溜息交じりに言われたことが私の頭にこびりついている
・・・まさしくそういうことなのかも知れない
まさしく「好きなこと」を換金し始めた時から、私に地獄が始まる
すでにやったことに関しては全く悔いは無い
占いにせよ整体にせよ、
「お金をとってする」責任を負ってシビアな現場で実践することには
おおきく得るものがあった・・・
・・・しかし「お金を取って商業ペースでやる」そのこと自体が
ある種の限界を私に課してきた
この限界点に達した時、ひどく自分を責めた記憶がある
それは自分の移り気、プロとしての無責任さでは無いか?・・・っと
でも結局は堪らない気持ちを抱いて廃業した
ある程度は必要な体験だった・・・しかし、ある瞬間から
「好き」でお金を取ることで、私の中の「それへの愛情」は窒息しはじめたのだ
この話は、誰にでも当てはまるとは思わない
でも、いままだ若い人の中に、私と同じタイプの人が居る可能性は大いにあると思う
そんな〝かれ〟〝かのじょ〟達に、このわたしの体験談を書き残しておきたいのだ
たぶん〝あなたたち〟は私と似たタイプなのだろう
ひょっとしたらまさしく今、過去の私と同じ「頭打ち」を感じて悶絶しているかも知れない
もはや「商業ペース」の中に「自分の愛情」を投げ込み続けることに限界を感じている人達
・・・かれらは、自分達を
「大人になりきれていないのじゃないか?、プロフェッショナル意識に欠陥があるのでは?」
っと、自分を責めているかもしれない、・・・かつての私の様に
でも、過去のその時の苦しかった自分を思い出すと、いまは痛ましい
あんなに自分を責める必要は無かった・・・ いまはそう確信を持って言える
「プロとして研鑽し続ける」と言うことばっかり、この社会では奨励されるだろう
「やめた~!」と投げ出すことは、「敗北である」と教える大人達ばかりだろう
社会は個人に常に、「終始一貫性」をもとめる、
教科書には「やり遂げろ」としか書いてない
だから、これは命がけの転身だ
その「命がけ」であることに一番意味がある
「愛がある」ときには愛すれば良い
「愛が無い」なら素直に離れるべきだ
・・・これは「全て」に言える
わたしたちは一方通行のカリキュラムの階段を上がるために生まれてきたのでは無い
一瞬一瞬が断崖絶壁の、何の命綱も無いステップの連続だ
「いまここ」の自分に正直に生きるとはそういうことだと思う・・・
・・・フォースの栄えあれ
プロでやっていくというのはそれなりに張り合いはあるし
その実務経験の結果、技術も理論も向上する・・・ 一見良いことだらけだ
しかし、だんだんその「好きなことへの意欲」は〝すり減って〟きた
自分の「好きなこと」が摩耗していくのを目の当たりにすること程、残酷な人生は無い
よく成功哲学などでは「好きなことをしろ」というが私の場合は例外だったようだ
「あなた、本当に働くことが嫌いなんですね・・・」と
ある霊能力者から溜息交じりに言われたことが私の頭にこびりついている
・・・まさしくそういうことなのかも知れない
まさしく「好きなこと」を換金し始めた時から、私に地獄が始まる
すでにやったことに関しては全く悔いは無い
占いにせよ整体にせよ、
「お金をとってする」責任を負ってシビアな現場で実践することには
おおきく得るものがあった・・・
・・・しかし「お金を取って商業ペースでやる」そのこと自体が
ある種の限界を私に課してきた
この限界点に達した時、ひどく自分を責めた記憶がある
それは自分の移り気、プロとしての無責任さでは無いか?・・・っと
でも結局は堪らない気持ちを抱いて廃業した
ある程度は必要な体験だった・・・しかし、ある瞬間から
「好き」でお金を取ることで、私の中の「それへの愛情」は窒息しはじめたのだ
この話は、誰にでも当てはまるとは思わない
でも、いままだ若い人の中に、私と同じタイプの人が居る可能性は大いにあると思う
そんな〝かれ〟〝かのじょ〟達に、このわたしの体験談を書き残しておきたいのだ
たぶん〝あなたたち〟は私と似たタイプなのだろう
ひょっとしたらまさしく今、過去の私と同じ「頭打ち」を感じて悶絶しているかも知れない
もはや「商業ペース」の中に「自分の愛情」を投げ込み続けることに限界を感じている人達
・・・かれらは、自分達を
「大人になりきれていないのじゃないか?、プロフェッショナル意識に欠陥があるのでは?」
っと、自分を責めているかもしれない、・・・かつての私の様に
でも、過去のその時の苦しかった自分を思い出すと、いまは痛ましい
あんなに自分を責める必要は無かった・・・ いまはそう確信を持って言える
「プロとして研鑽し続ける」と言うことばっかり、この社会では奨励されるだろう
「やめた~!」と投げ出すことは、「敗北である」と教える大人達ばかりだろう
社会は個人に常に、「終始一貫性」をもとめる、
教科書には「やり遂げろ」としか書いてない
だから、これは命がけの転身だ
その「命がけ」であることに一番意味がある
「愛がある」ときには愛すれば良い
「愛が無い」なら素直に離れるべきだ
・・・これは「全て」に言える
わたしたちは一方通行のカリキュラムの階段を上がるために生まれてきたのでは無い
一瞬一瞬が断崖絶壁の、何の命綱も無いステップの連続だ
「いまここ」の自分に正直に生きるとはそういうことだと思う・・・
・・・フォースの栄えあれ
2016年 06月 17日
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